18話 負の転換③
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物語は、確実に終盤へと差しかかっていた。
舞台上には、壊れかけた体育館を模したセット。
歪んだ鉄骨、ひび割れた床。
照明は落とされ、青白い光だけが床を這うように広がっている。
中央に立つのは、月菜演じる少女。
その少し後ろに、兄役の男子生徒が控えていた。
「――ねえ。気づいてるんでしょ?」
……ああ、この場面だ。
俺が月菜の練習に付き合った、あのシーン。
台本で読んだ時より、ずっと重い。
空気そのものが、舞台に引き寄せられている。
「月菜ちゃん、演技上手なんですね」
気づけば、後方の席に星菜ちゃんが座っていた。
「お、いつの間に?」
「しー。今、いちばん大事なところですから」
その言葉通り、体育館は水を打ったように静まり返っている。
『……何の話だ』
兄役の声も、自然と低く、落ち着いたものになった。
「見えないからって、なかったことにはできない」
月菜の視線が、まっすぐ相手を射抜く。
一切の迷いがない、強い目だ。
客席の空気が、張り詰める。
『――見えないものに怯えて、立ち止まるくらいなら』
静かな、しかし芯のある声。
『俺は、知らないふりを選ぶ』
月菜は、ゆっくりと首を振った。
「それは……逃げてるだけだよ、兄さん」
声は震えない。
胸の奥から、まっすぐ届く声。
「見えなくても、感じてるでしょ?」
一歩、前へ出る。
「だったら、向き合わないとダメだよ」
胸の前で、ぎゅっと手を握りしめる。
「ね。私と一緒に探そ?」
空気が、張り詰めた糸のように張る。
『……向き合った先に、何がある?』
「分からない」
即答だった。
「でも……」
一瞬、視線を伏せてから、
「何も知らないまま終わるより、ずっといいよ」
短い沈黙。
「……一緒に、見てくれる?」
兄役は、間を置いてから、ゆっくりと頷いた。
『……ああ』
声が、わずかに柔らぐ。
『一人にする気はない』
月菜の目が少しだけ見開かれ、
そして、小さく微笑んだ。
「……ありがとう」
その瞬間――
照明が、ふっと落ちた。
ざわり、と客席が揺れる。
次の瞬間、舞台奥にもう一つの影が浮かび上がった。
細身の少年。
年齢は同じくらいか、月菜より少し下。
……てか、あの子。
お化け屋敷にいた子じゃね?
『……やっと、気づいたんだ』
少年の声が、静かに体育館へ響く。
『君たちが、見ようとしたから』
月菜が、一歩前に出る。
「……あなたは、誰?」
少年は、少し首を傾けた。
『さあ。名前はないよ』
そして、舞台全体を見渡す。
『君たちの負の感情から生まれた存在だよ』
ざわっ、と客席が大きく揺れた、その瞬間――
――暗転。
「……すげぇな、月菜ちゃんのクラス」
ショージの声が、思わず漏れる。
「外部から子役でも呼んだのか?」
「いや……前に台本を見せてもらった時、こんな役はいなかったぞ」
「へ? そうなのか?」
直前で台本が変わった――
そう思うには、妙な違和感が残った。
―――――
『ちょっとちょっと!! 今の子、誰!?』
暗転と同時に、舞台裏は一気に騒然となった。
『聞いてない! あんな役いないよ!』
『誰か勝手に上がったの!?』
飛び交う声。
混乱の中心で、月菜は舞台袖に立ち尽くしていた。
「……」
胸の奥が、ざわざわと落ち着かない。
(咄嗟にアドリブで乗り切った。でも……)
暗転と同時に、少年の姿は消えていた。
それが、逆に異様さを際立たせる。
「今のシーン、追加した覚えはない」
陽菜が、青い顔で言う。
「とりあえず暗転はしたけど……」
『月菜!』
クラスメイトが駆け寄ってくる。
『大丈夫? 変なことされなかった?』
「……ううん、大丈夫だよ」
そう答えながらも、月菜の視線は、
さっきまで少年が立っていた場所から離れなかった。
(……気のせい、じゃない)
「月菜……多分だけど、あの子、ニブラと関係がある」
陽菜は月菜のそばに寄り、声を潜める。
「うん。でも……いつもとは全然違う感じがした」
「詳しくは分からない。下手に動くと騒ぎになる。先にエヴァに連絡を入れる」
陽菜は素早くスマホを操作した。
「とりあえずはエヴァに任せて、これ以上の騒ぎにならないようにしよう」
「……そうだね」
(何も起こらなければいいけど……)




