第六話 火撫由輝斗と桜小路薫子⑤
登場人物紹介
黒崎櫂斗:主人公。異世界少年を自称し、自分が異世界に召喚されることを信じて疑わないバカ。異世界ラノベも大好き。無双流の使い手。
片岡荘介:櫂斗の友人。陰キャオタク。最近、櫂斗とオタク友達になった。
阿久根孝蔵:坊主頭の巨漢。高校生なのにおっさんと思われている。不良達相手に喧嘩の代行業をしていた。櫂斗に敗れた結果、現在開店休業中。
火撫由輝斗:阿久根と同じ高校の赤毛の少年。櫂斗の幼なじみ。火蜥蜴(笑)。桜小路薫子が自分のせいでさらわれて後悔中。
桜小路薫子:櫂斗のクラスメイト。隠れオタク。櫂斗と荘介が楽しそうにオタクトークに花を咲かせているのが気になっていた。偶然、由輝斗と阿久根の二人と関わりを持つことになる。由輝斗の人質として不良にさらわれてしまった。
黒崎源斎:櫂斗の祖父にして無双流の師匠。自称異世界召喚経験者。実は異世界ラノベ好き。
由輝斗から遅れること数分の後、櫂斗達は廃工場に来た。
塀の外から廃工場をうかがう。
「どうやら建物の外に見張りはいないようだな」
阿久根が言った。
「工場のシャッターは開けっぱなしだね。――このまま入るとさすがにバレるよね」
荘介が恐る恐る工場を覗きながら言う。
「だが……ここからだと薄暗くて、火撫の様子はわからないな。かすかに声は聞こえるがな。もっとも、あまり聞いていて楽しい内容ではなさそうだが」
阿久根が顔をしかめている。
工場の中からは、何者かを罵倒するような声が聞こえている。
おそらく鈴原達不良連中の声だろう。
由輝斗の声はまったく聞こえない。
もし、由輝斗が鈴原と喧嘩状態になっているのであれば、由輝斗の声も聞こえるはず。
そうでないということは――
「とりあえずは、作戦通り、由輝斗は気を引いてくれているみたいだな」
由輝斗に頼んだのは鈴原達の気を引くこと。
特に、見張りもいないのであればここでいいだろう。
「二人とも、周囲の警戒頼むわ」
肩幅に足を開き、自然に立つ。
大きく息吸って――吐く。
それを繰り返す。
「なあ、本当にできるのか、そんなこと」
「そうだね……確かに櫂斗は凄いけど信じられない、かな。『気配を完全に消すことができる』なんてさ」
荘介は懐疑的な声を上げた。
作戦は単純だった。
由輝斗が連中の気を引いている間に、気配を消した櫂斗が桜小路薫子を助ける、というものだ。
櫂斗は二人にツッコんだ。
「荘介、お前はそれでも異世界好きか? スキルで気配ぐらい消せなくてどうする。今、俺の目の前にはステータスがドンと出ているんだぜ」
「……スキル? ステータス? なんだそら」
だが、阿久根はわけのわからない顔で、
「いや、それはないでしょ。いくらなんでも」
荘介はあきれ顔だった。
「……まっ、さすがにそれは冗談だけどな」
櫂斗は苦笑した。
さすがに、そんなことは不可能だった。
だが、そうであったら、良い、とは思っている。
「そっか、そうだよね――」
「だけどな、荘介」
櫂斗は不敵な笑みを見せた。
「異世界に行きたいって言うのなら、これくらいはできないといかんのよ」
「え?」
櫂斗は全身に意識を巡らせ、存在する『気』を感じ取る。
ゆっくりと呼吸を繰り返し、その気をヘソ下数センチの位置にある丹田に集め、練っていく。
急いではいけない。
急いでしまえばすぐにその気は散ってしまい、再度集め直しになってしまう。
この気を練ることは無双流を習い始めてから毎日欠かさず続けているが、未だ使いこなすに至らずにいた。
「……お、これは……」
「荘介……」
阿久根と荘介がなにかを感じ取ったのか声音が変わる。
だが、さすがに今は反応する余裕がない。
気を練ることはできるが、だが、とにかく――時間が掛かるからだ。
ここで軽口など叩いてしまえば、気は霧散してしまう。
そんな状態だから、今はまだ実戦でとても使えるレベルではない。
それ故に、由輝斗に時間を稼いでもらう必要があった。
――よし、行くぞ……
丹田に溜めた気を練り込み、さらに内に閉じ込める。
消してしまうわけではない。
身体の内に閉じ込めるのだ。
そうすることにより、完全に気配を消す隠形の業だった。
それが無双流練気術のひとつ――隠の型だ。
「どうだ、荘介、おっさん」
阿久根と荘介に問うた。
「これは……なるほどな」
阿久根はうなり声を上げていた。
「櫂斗……目の前にいるっていうのに……」
荘介は目を丸くしていた。
「……どうやら、うまく行ったようだな……」
「どういうこと? 本当にスキルとかあるの?」
なんだかわくわくしたような表情の荘介に、櫂斗は苦笑した。
「違うって。これは所謂、『気』って奴を使った業だな。じっちゃんによると別の呼び方もあるみたいだが、面倒くさいんでそう呼んでいるらしいけど。『隠の型』は完全に気配を消すことで相手に認識をさせないことができる。――もっとも、荘介達のように最初から見られていたら、さすがに意味ないけどな」
「ほう。凄いものだな」
阿久根が腕組みをしながら感心していた。
「おい、おっさん。そんなのんきなことを言っているなよ。奴らの仲間がこれから、この廃工場にやってきたら普通に見られちまうんだからな。しっかり見張り頼むぜ。この業はとにかく負担がでかいんだ」
隠の型を維持し続けるのは、非常に難易度が高かった。
少しでも油断すれば気が漏れ出して、消していた気配が染み出てきてしまう。
満タンの水が入ったコップをこぼさないように歩くかのような、繊細さが必要だった。
この状態を維持できるのは一〇分が限界だろう。
「わかった。ならば、オレはこっちから見張ろう」
と、阿久根は廃工場の入口に立ち、見張りを始めた。
それを見た荘介は、阿久根と同様に入口に立った。
「じゃあ、櫂斗、頼むよ。僕に出来ることはこれくらいだから」
「いや、ありがてえ。――行ってくる」
櫂斗はゆっくりと歩き出した。
足音を立てずに細心の注意を払って、歩く。
いくら気配を消そうが、音を出してしまったら元も子もない。
慎重に行こう。
いくら気配を感じさせないと行っても本当に真正面から歩いて行くわけにはいかない。
壁沿いを歩き建物に近づく。
足音は立てずにゆっくりと。
開け放たれたシャッターの隅から、工場内に入る。
さほど広くない工場内で由輝斗が土下座をしながら蹴られているのが見えた。
――由輝斗……なんとかこらえてくれよ。
今はそちらに意識を向けている余裕はない。
視線を動かし、周囲を見渡す。
桜小路薫子の姿は見えない。
――どこだ?
壁沿いを歩きながら、工場の奥の方を見ると部屋があった。
部屋の前には見張りが二人。
――あそこだな。
扉の前にいるのは厄介だが、あそこまでたどり着ければ、なんとかなるだろう。
慎重に歩を進める。
由輝斗の話では、連中は六人組だったらしい。
鈴原ともう一人が由輝斗の近くにいて、部屋の前の扉に二名。
そうなると部屋の中には二人はいるということか。
――問題は無いな。
さあ、行こうか。
「まったく……退屈だな」
「そうだな。貧乏くじだよな」
人質として捕らえている部屋の前で見張りをしている二人――山口と金子は愚痴を言い合っていた。
鈴原と一緒に火撫由輝斗をいたぶることもできず、女がいる部屋の中にも入れず、というわけだ。
「まあ、部屋の中にいても、鈴原の命令でなにもできないんだがな」
山口がやれやれと肩をすくめた。
「つまらねえよな。鈴原も格好つけすぎじゃねえか」
金子が同意する。
二人とも相当緩みきっていた。
もっと周囲に注意を向けていれば――この後のことは起きなかったかも、知れない。
櫂斗は部屋のすぐ近くまでたどり着いた。
見張りの二人は手の届きそうな位置にいるが、こちらに気づくそぶりすら、見せない。
――なんだこいつら……
まったく警戒をしていない二人を見て、こちらが神経をすり減らして歩いてきたことがバカみたいなぐらいだった。まあ、これはありがたいことと思うべきだろう。
これなら隠の型を維持したままでもやれる。
隙だらけの二人に近づき――首筋に手刀を叩き込む。
「な、なに……」
二人はあっさりと意識を失い、どさりとうつ伏せに倒れ込んだ。
手刀で相手を気絶だけをさせるというのは櫂斗といえど容易いことではない。気絶させられないか、やり過ぎてしまうかだ。しかも、今は隠の型を維持せねばならないのでさらに難易度が上がる。
だが、これだけ隙だらけならば、十分に可能だった。
――部屋に入ろう。
部屋のゆっくりドアノブを回す。
鍵は掛かっていなかった。
外にも中にも見張りがいたからだろうか。強引にドアを壊さずに済んで良かった。
静かにドアを開き、中に入る。音はほとんどしていないはずだ。
部屋はそれほど広くはない。かつては事務所として使っていたのだろう。廃工場の事務所故に、薄汚れたオフィスデスクや棚は部屋の隅に追いやられていた。それ故に、部屋の中心にぽっかりと開いた空間があった。
その空間に三人の男女がいた。
一人は椅子に座らされている桜小路薫子。
椅子ごとロープで縛られ、動けない状態になっている。見たところ外傷等は見当たらない。
残り二人はそんな桜小路を見て下卑た笑みを浮かべてねちっこい視線を向けていた男達だった。
「なあ、本当に手を出しちゃダメなんか」
一人は金髪で派手な格好をしていた。
「そりゃあな。鈴原の命令だしな」
もう一人は坊主頭の男だ。
「別にバレやしないだろ」
「バレたらどうするんだよ」
「大丈夫だろ。だいたい鈴原の奴、火蜥蜴にあっさりやられているじゃねえか。そんな奴に従う必要、あるか?」
「確かにな」
その会話からすると、薫子がなにかをされたということはなさそうだ。
どちらも、まだ櫂斗が部屋に入っていることに気づいていない。
「ん?」
金髪の男がこちらに一瞬、視線を向けるが――それだけだった。
金髪の男は、櫂斗に反応できていなかった。視覚情報としては捉えているが、実体としての気配が感じないため、単なる景色の一つとして感じているのだ。
――とはいえ、油断は禁物……と。
こちらも変な動きをしてしまえば人として認識されてしまう。
慎重に歩みを進める。
これなら、気づかれずに桜小路の所までいけそうだ――
と、調子に乗ったのが悪かったのか。
足下に転がっていた空き缶を蹴ってしまう。
からんと音が鳴る。
視線が櫂斗に集中する。
――まったく……ゴミはちゃんとゴミ箱に捨てろよな!
まだ気配は消したままだが、さすがに意識して見られてしまえば気づかれてしまう。
「お、お前は……な、なんだ」
「おい、どういうことだ、あいつ、本当にいるのか?」
金髪の男と坊主頭の男が声を上げる。
「え……」
桜小路も目を丸くして、こちらを見ていた。
櫂斗は頭を抱える。
「……やっちまった……」
桜小路を助け出せたらさっさと連れてさっさと逃げてしまえば、と思ったが――
仕方ない、作戦変更だ。
スニーキングミッションはもう終わりだ。
閉じ込めていた気を解放する。
内に溜め込んでいた気が体外に吹き出して行く。
そんな解放感と共にずしんという疲労感も来た。
陰の型――というより気を使った反動だった。
――まだ未熟だな……だが、そんなことを言ってはいられない。
櫂斗は構えを取った。
「この状況だ。あまり、手加減は出来ないぞ」