第一九話 御巫詩穂美の憂鬱⑩
登場人物紹介
火撫由輝斗:櫂斗の幼なじみ。最近は、空手の師匠である叔父に再び稽古をつけてもらっている。『チーム異世界』メンバー。
黒崎櫂斗:主人公。異世界少年を自称し、自分が異世界に召喚されることを信じて疑わないバカ。無双流の使い手。詩穂美とは同門であり物心ついた頃から一緒の幼なじみ。『チーム異世界』メンバー。
御巫詩穂美:櫂斗の幼なじみ。櫂斗とは一緒に異世界に行こうと約束を交わした仲だった。今は全寮制の光華学園に通っている。なぜか不良相手になにかを考えているようだが……。別作品『義妹できました』にも登場。
桜小路薫子:櫂斗のクラスメイト。隠れオタク。櫂斗たちと友達になり、『チーム異世界』を結成した。
櫂斗は、構えをとり、目を閉じると精神を集中し始めていた。
これは、『練気術』を使う上での基本動作である。
詩穂美自身それはよく理解していた。
このくらいのこと、詩穂美だって出来る。
今更、なにを見せるというのだろう?
『詩穂美、お前、もっと馬鹿になった方がいいぜ』
櫂斗はそう言った。
馬鹿、とはどういうことだろう。
そんなことを考えながら、詩穂美は櫂斗を見やる。
早くも櫂斗の丹田に『気』が集まってきているようだった。
――そういえば、櫂斗が『気』を溜めているところをちゃんと見たことなかったっけ……
詩穂美自身が出来ていなかったから、悔しくて櫂斗が『練気術』を使っている時は道場の外に出ていたのだ。
つまりは、櫂斗が『気』を溜めている姿を見るのはこれが初めてだった。
櫂斗は――静かだった。
無我の境地、とでも言うべきか。
本当に、『気』を溜めることだけに集中していた。
櫂斗が、ここまでの集中が出来ているだなんて思ってもいなかった。
――わたしに出来ていなかったのは、これなの……?
『気』を感じ取れないことへの焦りが、集中を妨げていたということなのか。
師匠からも常々「焦るな」とは言われていた。
だから、焦らないように集中をしてきたつもりだった。
だが、自分自身『気』を使いこなしたいという強い思いが、ほんの僅かだが『焦り』を消しきれず、『気』を感じ取れなかったということなのか。
――馬鹿になれ……か……
詩穂美は胸中で呟く。
確かに、自分は櫂斗のように馬鹿にはなれなかった。
櫂斗自身、『気』というものに執着していなかった。
あくまで、無双流の技のひとつに過ぎない、と。
対して自分は、『気』を使うことがなによりも大切だとずっと思ってきた。
その差が明暗を分けた、ということだったのか。
詩穂美は、泣きたくなってきた。
――なんでこんな簡単なことに気づけなかったんだろう……
だが、かつての自分ならば素直にそれを受け入れられただろうか。
否、である。
櫂斗に対してのわだかまりが消えた今だからこそ、素直に受け入れることができた。
「………………くぅ…」
櫂斗は丹田に集めた『気』を練り上げている。
「………………はっ!」
櫂斗が叫び、丹田に溜め練り上げられた『気』を開放した。
ぶわっと凄まじい『なにか』が櫂斗の全身に行き渡っていた。
櫂斗の全身に黄色いオーラのようなものが見えていた。
「これが……練気術かよ……」
「なんなんですか……これ……」
由輝斗と桜小路が呆然と櫂斗を見ていた。
二人も櫂斗から凄まじい『気』が溢れていることがわかるようだった。
「……無双流練気術――陽の型……」
陽の型とは、練り上げた『気』を全身に行き渡らせることで、身体能力を飛躍的に上げる業である。
逆に、練り上げた『気』を身体の内に閉じ込める業は、陰の型と言う。
「確かに、こうして『気』を開放すれば、こういうことも出来る」
櫂斗は、後ろに軽く跳ぶ。
助走もなく、後ろに軽く跳ぶだけで一〇メートルも跳んでいた。
「いくぜ!」
着地した櫂斗は、もう一度、跳ぶ。
今度は上だった。
高く跳び上がった櫂斗は、拳を握りしめながら、急降下する。
「無双流、練気拳っ!」
櫂斗の拳が、神社の地面に突き刺さった。
凄まじい轟音が周囲に響き渡る。
土煙が舞い、櫂斗の姿を隠す。
「けほけほ……な、なんなんですか……」
「なんつー音だよ……」
桜小路薫子と由輝斗が戸惑っていると、やがて土煙が消える。
そこには――
直径五メートルほどのまるでクレーターのような大穴が出来ていた。
これが、櫂斗が打ち込んだ拳――練気拳の威力だった。
「す、凄いです! 黒崎君ってこんなことできたんですね。――まるで……ラノベの主人公じゃないですかっ!」
興奮気味の桜小路薫子に、櫂斗は苦笑する。
「どういう例えだよ……まあ、それはそれとして」
櫂斗は肩をすくめ、続ける。
「まっ、こんな感じで威力は凄いけどな。ここまでじっくり『気』を溜めさせてくれる相手がどこにいるって感じだよな」
そもそも『気』を溜めるのに時間が掛かる上に凄まじい集中力が必要なのだから、闘いながら『気』を溜めるというのは不可能と言っていい。
そんなことは、詩穂美だってわかっている。
だが、それでも『気』が使いたかったのだ。
それは――
「確かに、実戦で使うのは無理でしょうね」
詩穂美は言った。
「だろ? だからそんな焦るなって、こんなのいずれ使えればいいとでも思ってれば、ふとした時に使えるようになってるもんだ」
「あんたみたいに、馬鹿になれってことでしょ?」
「まあ、そういうこった」
「でも、やっぱり、わたしは『気』を使いたい。絶対に」
「おいおい……」
「大丈夫よ。焦ってはいないから。――でもさ、こんなにも格好いい技、絶対に使いたいじゃない」
「詩穂美?」
怪訝な表情をする櫂斗に、詩穂美は、悪戯っぽい笑みを見せた。
「まるで……ラノベの主人公みたいでしょ? ――だったら、絶対使えるようになるから」
「…………」
櫂斗は、目を丸くしていた。
そんな櫂斗の表情を見て、詩穂美は溜飲を下げる。
ようやく、すっきりした。
「それじゃ、わたしは帰るから。――さすがにそろそろ寮に帰らないと不味いし」
詩穂美は、まだ状況を理解していない櫂斗を見ながら、神社を出るべく歩き出した。
「お、おい詩穂美……まだ言いたいことが――」
「櫂斗」
詩穂美は櫂斗の発言を遮るように言うと、足を止めた。
そして、振り返り、
「今月は二回も外出したから、たぶん来月になると思う」
「は?」
「絶対リベンジするから、忘れないでよ」
「お、おう………………って、詩穂美!」
「またね」
詩穂美は、それだけ言うと、足早に神社を出た。
――さて……この汚れた制服の理由を考えないと……
詩穂美は、そんなことを独りごちながら、とても軽い足取りで、光華学園へ向かうのだった。
*
「……とりあえず……詩穂美は、道場に来てくれるってことでいいんだよな? 由輝斗」
「そうだな。御巫も、さすがに今更はっきりと言うのが恥ずかしかったんだろうぜ」
「黒崎君、良かったですね」
「ああ、そうだな……」
櫂斗はほっとした表情を見せた。
いつも脳天気な男だが、さすがに御巫詩穂美相手では、思うところがあったのだろう。
当初の予定とはかなり違ったが、とりあえずうまく行ったとは思う。
だが、大きな問題が残っていた。
「おい、櫂斗……」
「……さあ、そろそろ帰るか」
櫂斗はこちらに目を合わさず、帰ろうとする。
「ふざけんな! お前の練気拳とやらで開けた大穴をなんとかしやがれ! また『気』でもなんでも練ってよ!」
「もうそんな体力残ってねえよ。『練気術』を使っちまったからヘトヘトだ」
「じゃあ、どうするってんだよ」
「それは…………」
櫂斗は、両手を合わせて懇願した。
「お願い、一緒に穴埋めるの手伝って!」
由輝斗は、あまりにも情けない異世界少年の姿にあきれ果てた。
その後、由輝斗、桜小路、櫂斗の三人は、ヘトヘトになりながら、大穴を埋めるのだった。




