第一話 異世界少年登場
登場人物紹介
黒崎櫂斗:主人公。自分が異世界に召喚されることを信じて疑わないバカ。
片岡荘介:異世界ラノベ好きの陰キャオタク。
阿久根:坊主頭の巨漢。高校生なのにおっさんと思われている。不良達相手に喧嘩の代行業をしている。
黒崎源斎:櫂斗の祖父。
人々で賑わう商店街の歩道を少年が歩いていた。
学生服姿の少年だ。
身長は一七〇ぐらいだろうか。
太ってもいなく、痩せてもいない、バランス良い体格をしていた。
少年は、両手を頭の後ろで組みながら空を上げていた。
「ああ~、異世界行きたい」
少年――黒崎櫂斗は、一人商店街を歩きながら、何気なくつぶやいた。
「……え?」
近くを歩いている人からのぎょっとした声が聞こえたような気がしたが、まあ気のせいだろう。
櫂斗は異世界が好きだった。
それは伊達や酔狂でもなく、本当に好きだった。
それは、一〇年前『あの話』を聞いてからその気持ちは変わっていない。
いや、むしろ大きくなっていると言っていいだろう。
そして、櫂斗は常々思っている。
――いつになったら俺を異世界に召喚してくれるのか!
本当は、もっと口に出して叫び出したかった。
この気持ちを発散せねば、落ち着かない。
とりあえず、行きつけの書店で異世界系のラノベでも物色するとしよう。
物語の中だけでも異世界を感じることで
――そういえば、今日は、『転生したらゴブリンになった件』の新刊が発売だった気がするな。なんにせよ、行けばわかるだろう。
と、そんなこんなで櫂斗は書店に入ったのだが……
*
――なんで今日に限ってこんな目に遭うんだろう。最悪だ……
片岡荘介は、眼前で起こっている状況に絶望していた。
書店でライトノベルの新刊を購入しほくほく顔で帰宅しようとした時、それは起こった。
早く家に帰って本を読みたかった荘介は、今日に限って裏路地を通り、近道をしようとしたのだ。
そしたらこれだ。
目の前には、二人の男が立っている。
金髪の男と茶髪の男の二人組だった。
おそらく高校生ぐらいだろう。二人とも小柄な壮介よりも体格も良く威圧感に押しつぶされそうだった。
荘介と同世代とは思えなかった。
二人は、にやにやとこちらを見ながら、壁際に追い詰めてきた。
じりじりと後ろへ下がる。やがて、ビルの壁面に背中が当たる。
逃げようがなかった。
――いつも通りに帰っていればこんなことにならなかったのに……
などと今更言ってもどうしようもない。
がくがくと足が震える。
「なあ、兄ちゃん。俺らちょっと金貸してくれねえか」
金髪の男が顔をこちらに近づけてきた。
「ひっ」
思わず声が出る。
そんな姿を見て、金髪の男は嘲笑する。
「ビビりすぎだって。ウケるわ」
「おいおい、そうやって脅かすなよ。俺たちが脅してるみたいじゃねえか。俺たちは話し合いがしたいだけなんだぜ」
茶髪の男が壮介の肩に手を置く。
「お、お金は持っていません……」
「ダメだぜ、嘘ついちゃ。さっき本屋で財布からお金を出しているのを見てるんだぜ」
最悪だ。書店にいる時から目をつけられていたのか。
もう観念するしかないのか。
と――
現れたのは、壮介と同じ南城高校の学生服姿の少年だった。
「おお、ここにいたのか」
今の剣呑な雰囲気をぶち壊すような、明るい声だった。
――あれ、彼は……黒崎君?
少年は、クラスメイトの黒崎櫂斗だった。
まだ高校に入学して一ヶ月ほどでクラスメイト全員の顔と名前は一致しないのだが、彼のことだけはよく覚えていた。
櫂斗はこの状況だというのに平然としていた。
まったく臆していない。
櫂斗は普通の足取りで、こちらに近づいてくると――
「ちょっとどいてね――」
と、軽く茶髪の男の胸を軽く押す。
本当に何気ない動作だった。
「へ?」
すると茶髪の男は、体勢を崩し、あっさり尻餅をついてしまった。突然のことに茶髪の男は呆けたような表情をしている。
そして、櫂斗は壮介の前に立つ。
「あ、あの……」
「あのさ、片岡、さっき本屋で『転生したらゴブリンだった件』の新刊買ってたじゃん」
突然、そんなことを言ってきた。
「…………そうだけど……って僕のこと知ってるの?」
「はぁ? クラスメイトだからそりゃ知ってるだろ。――そんなことより、俺もさ『転ゴブ』買ったんだけど、ランダム特典が推しキャラじゃなくってさ。もし、推しキャラが被ってなかったら交換できないかな、と思ったんだけどどうよ」
櫂斗は周りのことなどまったく気にならないかのように話しかけてきた。
ひきつり顔の荘介。
未だ尻餅をついたままの茶髪の男。
状況についていけず棒立ちの金髪の男。
そして、脳天気な口調で話す櫂斗。
異様な空間だった。
「…………そ、そうなんだ……、べ、別にいいけど……」
正直、この状況に混乱していてとりあえず答えることしかできない。
「おい、てめぇ、なにしやがる!」
櫂斗に転ばされていた茶髪の男が立ちあがり、櫂斗に向かって怒鳴る。
「…………」
櫂斗は、そちらをちらりと見ると、また視線を戻して、気にせず続ける。
「じゃあ、オッケーってことで。じゃあ、こんなところにいてもしょうがないんで行こうぜ」
「……う、うん……」
「おい、待てや!」
茶髪の男が今度は櫂斗の肩に手を置く。
「……なんだよ。いい所なんだからよ」
迷惑そうな顔をする櫂斗に、茶髪の男はさらに激昂する。
「おい!」
茶髪の男は、右手で櫂斗の左手首を掴む。
と――
その瞬間、櫂斗の左手が奇妙な動きをして――
「あ……?」
茶髪の男がまた尻餅をついた。
「邪魔」
櫂斗が言うと、今度は金髪の男が突っ込んでくる。
「てめぇ」
金髪の男は櫂斗に殴りかかった。
櫂斗は特に慌てることなく、それを見て――上体を後ろにそらして躱す。
同時に右足で軽く金髪の男の足を払った。
「うおっ」
金髪の男は勢いのまま転んでしまう。
櫂斗はそんな金髪の男をとことん面倒くさそうな表情で見て、すぐに荘介の方に向き直り――
「行こうぜ」
と、走り出した。
「えっ、ちょっと待って」
荘介も慌てて走り出す。
虚を突いた行動に、二人の男は動き出しが遅れているようだ。
必死に走り、裏路地を抜けて商店街の大通りに戻る。
人気の多い場所に戻り、少し安心する。
「こっちこっち」
櫂斗が手招きをしている。
先ほど本を買った書店だった。
「しばらくここにいればあいつらも直に帰るだろ。まさかここで絡んでくるとは思えないし」
荘介は櫂斗を追いかけ書店に逃げ込んだ。
*
書店内でしばらく様子を伺うが、不良の二人が中に入って来てはいないようだ。
――もう諦めてくれたかな……
胸をなで下ろす。
後は、人気のない道を通らずにさっさと帰るのが吉か。
だが――
「なあなあ、片岡って『転ゴブ』読んでるってことは異世界モノ好きなんか?」
櫂斗はラノベコーナーで本を物色しながら、普通に訊いてきた。
――僕が気にしすぎなんだろうか……
「うん。好きだよ。もちろんほかのも好きだけど」
「へぇ。俺も実は異世界モノは大好きなんだよな」
「…………だよね……」
よく知っていた。
それは、先月のこと。
南城高校に入学して、クラスでの自己紹介で、櫂斗は言った。
『黒崎櫂斗です。趣味は異世界ラノベを読むこと。そして、夢は異世界に行って無双することです』
誰もがあっけにとられる中、櫂斗は平然と言いのけた。
クラスの誰もが、そんな彼に引いていた。
結果、櫂斗はクラスで友人もできずに孤立することとなった。
だが、そのことを櫂斗は微塵も気にしていないようだった。
荘介にはとても真似できないことだった。
自分などは、ラノベ好きは公言できず、その時は『趣味は読書』とお茶を濁すことしかできなかったわけで。
だが、そんな当たり障りのない自己紹介をしてしまい、荘介も櫂斗同様クラスに友達ができていないのだが……
――だったら、僕も黒崎君のように自分をさらけ出した方がよかったのかな?
わからない。ただ、その時そう思ったとしても実際に動くことはできなかったであろう。
「あ、あの、黒崎君……」
「なんだ?」
「……本当に異世界に行けると思っているの? どこまで本気なの?」
異世界に行きたい――そう思うことは、正直荘介だって考えたことはある。
だが、それは思うだけだ。現実的に考えることはないだろう。
それが普通だ。
だが、櫂斗は本気で言っているように思える。
「ああ。思ってるぜ」
櫂斗は堂々とした口調で言った。
微塵も疑っていないようだった。
「馬鹿にされても?」
「ああ。というか、他人に言われてもどうでもいーじゃん。俺が行きたいと思っているだけだから」
櫂斗はにっと笑って見せた。
裏表を感じさせない、真っ直ぐな笑みだった。
「…………凄いね、黒崎君は……」
思わず声にでる。
そう思えたらどんなに楽だろう。
うらやましかった。
「……なあ、片岡」
「え」
「これは、秘密なんだが……、俺が異世界に行きたいと思っていることについて、根拠があるんだよ」
「根拠?」
「ああ、それは――」
と、その時。
櫂斗は話しかけていた言葉を止め、振り返った。
「ほんと、しつこいな、あんたら」
心底呆れ果てたような声で、言った。
「けっ、こんなところに居たとはな。探したぜ」
「まったくだ。まさか本屋に戻っているなんてな」
荘介もあわてて振り返る。
そこには荘介にカツアゲをしてきた茶髪の男と金髪の男がいた。
二人は周囲に気づかれないように声のトーンを落として言ってくる。
「もう逃がさねえぞ。このまま外に出やがれ」
茶髪の男の言葉に、櫂斗は機嫌悪そうな顔をした。
そして、左の掌をこちらに向け後ろに下がるように促した。
荘介は、そのまま数メートル後ろに下がった。
櫂斗はそれを確認すると二人に向き直り、
「やだよ。あんたらこんな衆人環視の中で暴力でも振るうつもりか? ここで俺が騒ぎ出したっていいんだぜ」
「やって見ろよ。……やれるもんならな」
茶髪の男は、書店の店内で騒ぎ出すなんてことができるとは思っていないようだった。
「すいませーんここにカツアゲをしようとしている不良がいまーす! 助けて下さーい!」
櫂斗が即座に二人を指出して大声で言った。
――黒崎君ならそうするよね。
なんとなく櫂斗の行動パターンが見えてきた気がする。
やると言ったら躊躇しない。
それが黒崎櫂斗だった。
櫂斗の声を聞き、なんだなんだ、と遠巻きにではあるが人が集まってくる。
「なっ!」
まさか迷わず言ってくるとは思わず、二人の不良は困惑した。
「さあ、どうする。俺たちになにかするか? あんたら」
不適な笑みを浮かべ、櫂斗は言う。
『この状況でなにかできる度胸あるか?』
と問いかけているようだった。
「……野郎……」
茶髪の男はこちらに聞こえるか聞こえないかの声で毒づく。
「仕方ねえ、行くぞ。このままじゃ本当に警察を呼ばれかねん」
「……ちっ、わかってるよ。覚えてろよ」
金髪の男の言葉に観念したのか、茶髪の男が、渋々納得し、二人は店を出た。
だが、去り際に櫂斗を見る二人の視線は憎悪に満ちていた。
もはや、荘介のことは眼中にすらないように思えた。
――え? まさか……
「片岡。もう少し、本屋を見回っているといいぜ。――具体的に言うと……一時間ぐらいは店内に居た方がいいかもな」
「…………黒崎君……その、あの……」
荘介はなにを言えばいいのかわからなかった。
「櫂斗」
「え?」
「櫂斗でいいよ」
「……わかった、櫂斗。僕のことも荘介でいいよ」
「そっか。じゃあ、ちょっと俺は用事ができたんで、帰るわ」
「……うん」
「じゃあ」
櫂斗はそう言いながら、悠然と歩き出し店を出た。
荘介はそれをただ見ているしかなかった。
*
櫂斗は書店を出るとゆったりとした足取りで歩を進める。
数分の後、後方から刺すような気配を感じた。
「…………」
櫂斗はそんな気配を感じながらも、気にせず歩き続けた。
――どうすっかな。もう少し歩いたら、人気のない神社があったっけ。そこにするか。
面倒事は後に引きずりたくはない。
櫂斗は神社へ向かう。
できれば、『話し合い』で済ませたい所だ。
*
茶髪の男――高見は、少年の後をつけながらスマートフォンを取り出した。
「どうした」
金髪の男――鈴森の質問に、
「もう絶対に逃がしたくねえからな。阿久根さんに連絡してみるわ」
「阿久根さんにか? あの人、喧嘩は好きだけど、ロハではやってくれないぜ。カツアゲしようとして逆に金払ってんじゃ本末転倒だろ」
「もう金とかどうでもいい。あのガキ、絶対に許せねえ。俺らをコケにしやがって」
「……そう……そうだよな。――高見結構金持ってんだな」
「お前も出すんだよ、鈴森」
「マジかよ。――しゃあねえな」
「じゃあ、連絡するぞ」
と、高見は阿久根に電話をかけた。
*
書店内。
櫂斗も不良の二人もいなくなり、店内は静けさを取り戻した。
――櫂斗……
荘介は胸中でつぶやく。
迷っていた。
このまま、ここでのうのうとしていて、いいのだろうか。
ただ、助けられるだけでいいのだろうか。
櫂斗は不良二人の怒りの矛先を自分に向けることで、荘介を二人のターゲットから外してくれた。
櫂斗の言うとおり一時間もここで隠れてやり過ごせば、無事帰れるはずだった。
でも。
それで良いのだろうか。
友達がこれから危ない目に遭うのがわかっているのに、何もしなくてもいいのか。
おそらく、何もしないのが正解なのだろう。
櫂斗は、自分とは違う。
さきほどの路地裏の身のこなしから、ただ者ではないのはわかった。
荘介がなにかしようとしても、足手まといにはなっても、役に立つことはないだろう。
――でも、それは本当かな。
ただ、脅えているだけなら、足手まといなのは間違いない。
だが、勇気を振り絞り、死にものぐるいになれば、なにかできることもあるはずだ。
荘介は高校に入って初めての友達のために、書店を出た。
たぶん、そんなに遠くへは行っていないはずだ。
決着をつけるのだから、人気のない場所なのは間違いない。
この辺でそんな場所はあまり多くはない。
荘介は、思い当たる場所へ向かって走り出した。
*
そこは、寂れた神社だった。
数百年の歴史があるらしいが、正月や祭事の時期でもなければ、人がいることはほとんどない。
そんな神社だった。
そのため、近所の子供の遊び場として使われることもあるらしいが、今日は誰もいなかった。
好都合だった。
鳥居を抜け、石張りの参道を通らずに少し離れた場所にある開けた空間に移動する。
周辺は木々に囲まれており、外からはじっくり見られない限りは、見られることはなさそうだ。
足下の土の地面を見る。ここならば、万が一が起きることもないだろう。
やがて、待っていた連中が来た。
茶髪の男と金髪の男が、二人並んで近づいてきた。
「こんな所に来て、なにが狙いだ?」
「いや、邪魔にならないところで『話し合い』がしたくてね」
「話し合いだぁ? なにをなにを話し合おうってんだ」
「俺としては、不良のケンカごときに関わっていられないんで、ここで引いてくれることを願っているんだよね。俺は異世界行く準備に忙しいんだからな」
「なにが異世界だ。バカにしやがって。ガキかてめえは」
「ガキで結構。――カツアゲとかしている連中よりは一〇〇倍マシだろ?」
「てめえ!」
「おい、挑発に乗るな、高見。あいつのペースに乗せられているぞ」
「ちっ、わかってるよ、鈴森」
激昂する茶髪の男――高見というらしい――を制する金髪の男――鈴森。
「別に挑発しているつもりはないんだけどな」
「うるせえ! ……お、やっと来てくれたか」
高見とやらがバカにするような笑みをこちらに見せた。
「お、間に合ったようだな」
「阿久根さん。わざわざありがとうございます」
「いいさ。払うもん払ってくれればオレはいい」
阿久根と呼ばれた男が、櫂斗の眼前に立つ。
身長は一九〇センチ半ばぐらいで、体重は一〇〇キロ近くはありそうだった。
坊主頭の巨漢だった。
己の膂力に自信があるのだろう、余裕の笑みを浮かべていた。
身長一七〇程度の櫂斗からするとその体格差は歴然としていた。
「おい、おっさん。ガキのケンカにしゃしゃり出てくるもんじゃないぜ」
「…………オレは高校生だ」
阿久根はむっとした顔で言う。
まあ、それはわかっていた。なにしろ学ランを着ているのだから。
ただ、結構な老け顔なので言いたくなってしまっただけだ。
櫂斗の通う南城高校も学ランだが、阿久根のそれはデザインが少し違った。
あの学ランは、嵐山高校のものだ。
あまりお行儀が良いとは言えない学校として有名だった。
「あっそ。で、なにしに来たんで? 俺のそこにお二人とお話中なんですがね」
「その二人から頼まれてな。いけ好かないガキを教育してくれとよ」
「なるほど。あんたら、びびってそのおっさんに頼ったわけか」
高見と鈴森に視線を向け、鼻で笑う。
「てめえ!」
「だから挑発に乗るな。阿久根さんに任せるんだ」
相変わらず挑発に乗りやすい高見にそれを諫める鈴森。
「もうそれくらいにしてくれ。時間が惜しい。二人も下がっていてくれ」
阿久根は二人を下がらせ、腕を上げ構えをとった。
「あれ? あんた一人でやるのか?」
「オレはタイマンしかやらん」
「へぇ……いいじゃん」
櫂斗は感心していた。
どうせ、囲んで逃げ場が無くしてくると思っていたからだ。
それは、不良としての矜持なのかもしれない。
「じゃあ、やるしかないってわけか」
「その通りだ」
「じゃあ、やりますか。俺は……」
と、名乗ろうとして――考える。
よくよく考えると不良連中に真面目に名乗るメリットはなかった。
そういえば、いつか名乗ってみたい名前があった。
「俺は…………『異世界少年』とでも呼んでくれ」
「いせ……なんだ?」
「いずれ異世界に行き、無双しまくる予定の男の名だ。覚えておいて損はないぜ」
高揚しながら言うが、不良の二人にしても困惑した顔をしていた。
「なんだあいつ……ヤバすぎだろ」
「関わらない方が良かったな」
この格好良さがわからないとはセンスがない。
「よくわからないが…………やるぞ。異世界少年とやら」
阿久根はバカにするわけでもなく、淡々と言った。
わかっているじゃないか。こいつ。
「ああ、やるか」
そういうことになった。
――ようやく見つけた。
荘介は、櫂斗等がいる神社に恐る恐る近づいた。
そこには、櫂斗と茶髪の男と金髪の男がいた。
そして、さらにもう一人、坊主頭の大男がいた。
――誰だ?
まさか一対三になっているとは。
気づかれないようにさらに近づく。
木に隠れながら覗く。
――あれは……
見れば、櫂斗と大男が構えながら対峙していた。
茶髪の男と金髪の男はそれを笑みを浮かべながら見ているのみだった。
どうやら、櫂斗と大男の一対一の闘いになっているようだ。
少し安心しながらも、助っ人として現れた大男はかなり強そうで心配になる。
――とりあえず様子を見よう……
隠れたまま状況の推移を見守ることにした。
阿久根は地を蹴り、右、左と拳を振るった。
スピードの乗った速い攻撃だった。
だが、異世界少年を名乗る少年はそれを、上体をそらすのみであっさりと躱されてしまう。
「どうしたどうした? そんなもんか」
しかも、余裕の笑みを浮かべて、だ。
「くっ」
その後も、拳を打ち続けるが、当たる気配が微塵もなかった。
さしもの阿久根も焦燥感に苛まれる。
――何故だ。何故当たらない。
いくらなんでもここまで当たらないはずがない。
あり得るとすれば――圧倒的な実力差があるこということか。
高見らが、金を払うと言ってまで頼ってくるぐらいだ。弱い相手とは思ってはいなかった。
だが、ここまで差があるものか。
そんな焦りからか、さらに攻撃は大ぶりになり、より当たらなくなってきていた。
そんな時、少年の右手が突き出されてきた。
手を伸ばせば届く距離である。
阿久根は迷わず、左手で少年の右手首を掴んだ。
これで、逃げられないはずだ。
と思ったその時。
掴んだと思った手首を逆にとられる。
そしてそのまま阿久根はわけがわからないまま、身体が宙に浮き、地面に叩き付けられる。激痛が全身に伝播する。
その勢いのまま、少年の左膝が阿久根の頭部に落ちてきそうになるが――突如軌道がずれ、頭には当たらなかった。
いや、当たらなかったのではない。
当てなかったのだ。
阿久根は格の違いを痛感することとなった。
*
結論から言うと、阿久根はそこまで弱くはなかった。
これだけの体格差があるのだ。
冷静になって攻めて来られたら『少し』は苦戦したかも知れない。
そのため、最初は阿久根の攻撃の回避に専念した。
そうすると、阿久根の攻撃は苛烈さを増すが、同時に雑になりむしろ回避しやすくなる。
そうして阿久根を焦らせた後、エサとして右手を差し出す。
そうなると、阿久根としては右手を掴まざるを得ない状態となる。
掴みさえすれば、もう逃がさない。
阿久根はそう思ったはずだ。
だが、そうはいかない。
阿久根の左手に右手首を捕まれた瞬間、そのまま右腕を引く。
そうすると阿久根はそうはさせじと反射的に左腕を引くことになる。
その結果、阿久根の重心のバランスが後ろ寄りになる。
――ここっ!
櫂斗は右足を前に一歩進め、左膝をつく。そして空いた左手で阿久根の左手首を掴む。
そのまま掴んだ状態で腕を高く掲げ、一八〇度向きを変えながら阿久根の巨体を地面に叩き付ける。
無双流柔術初伝――四方投げだった。
本来であればトドメとして、左膝を頭部に叩き付けるのだが、それはやり過ぎなのでやめておいた。
阿久根本人もそのことがわかっているのか、なにか観念した表情をしていた。
腕を極めたまま、櫂斗は問うた。
「まだやるかい?」
「いや……オレの負けだ」
阿久根はすっきりとした表情で負けを認めていた。
潔くてありがたい。
「そいつはなによりだ」
櫂斗はにっと笑って見せた。
と――
背後から殺気が迫ってきていた。
――凄い……
なにがどうなったかはまったくわからなかったが、櫂斗が坊主頭の大男を見事に投げ飛ばしていた。
ある程度強いとは思っていたがここまでとは……
これだけ強ければ、むしろ荘介がいない方が闘いやすいだろう。
と――
茶髪の男が、ポケットから光るものを取り出した。
折りたたみ式のナイフだった。
「おい、ちょっと待てよ」
金髪の男は驚き、制止するが、それに構わず茶髪の男は櫂斗に向かって地を蹴りだした。
櫂斗は、まだ坊主頭の大男の腕を極めたままで動けないはずだ。
――危ない!
矢も楯もたまらず、荘介は走り出した。
櫂斗はまだ気づいていないようだ。
荘介は必死に走り、茶髪の男に身体ごと体当たりを喰らわせた。
小柄な荘介ではあるが全体重を乗せたその攻撃に茶髪の男は吹き飛ばされる。
横目に見ると櫂斗はこちらを驚きの視線を向けていた。
「なにしやがる」
遅れてやってきた金髪の男が荘介を殴り飛ばす。
数メートル飛ばされ、倒れ込む。
口の中で血の味がした。
――痛い……でも、やったぞ……
もう少しで刺されそうになった櫂斗を助けられた。
満足だった。
「おい、荘介、大丈夫かよ」
櫂斗が心配そうな顔で荘介の元にやってきた。
「うん。ちょっと痛いけど大丈夫だよ。それよりも、櫂斗の力になりたかったんだ。――それとも邪魔だった?」
櫂斗はゆっくりと首を振る。
「いんや。マジで助かったぜ。なにしろ、荘介が来てくれなかったら、反射的に顎の骨砕いちまいそうだったからよ」
「え?」
そして櫂斗は、茶髪の男と金髪の男に向き直り――
「刃物はいかんなぁ」
「ああ、なんだぁ」
立ち上がった茶髪の男が凄んで見せた。
「これは喧嘩だ。喧嘩ごときに刃物持ち出しちゃいけないぜ。それは一線越えてるってもんだ」
「知るか! そんなもんこっちの勝手だ」
茶髪の男は再びナイフを構えた。
「ほら、死にたくなかったら命乞いしな」
だが、櫂斗は涼しい顔で茶髪の男に近づいていく。
「馬鹿野郎このナイフが見えねえのか! 刺すぜ」
「刺して見ろよ。本当にそんな度胸があるのならな」
櫂斗はどこまで悠然としていた。
「ならお望み通り刺してやんよ」
茶髪の男が刺そうとするが――櫂斗はあっさり刃物を持った手を掴み、投げ飛ばしていた。
茶髪の男は背中を地面に強打し、動けなくなっていた。
「く、くそぉ!」
金髪の男も弾かれるように櫂斗に殴りかかるが――同じ結果となった。
――強すぎる……
結局三人を相手に無傷での勝利だった。しかもそれを誇るわけでもなく、肩をすくめるのだった。
「まったく……手間かけさせんなよな」
*
二人は大通りに戻ってきた。
「本当に助かった。ありがとう、櫂斗」
荘介は、櫂斗に礼を言った。
「気にすんなって。友達だろ?」
「……うん」
何気ない櫂斗の言葉がうれしかった。
「とりあえず、あの阿久根って奴の言い方ならもう手を出しては来ないだろ」
「そうだね」
櫂斗の言葉にうなずく。
闘いの後、阿久根らは、完全に敗北を認めていた。
「負けたよ。こいつらももうお前に手を出そうとは、思わないだろうしな」
阿久根の言葉に高見と鈴森も同意した。
「ああ、もうやらねえよ」
「勘弁してくれ」
既に関わり合いになりたくないようだ。
「じゃあな。お前とやれて良かったよ。『異世界少年』とやら」
阿久根はそう言うと二人を引き連れてこの場を去って行った。
そして、ようやく平穏が戻る。
今は帰り道が同じということで一緒に帰っているところだった。
「あ、そうだ」
「櫂斗、どうしたの?」
「『転ゴブ』の特典!」
「ああ、そうだったね。僕の特典のキャラは主人公のライムなんだけど」
「お、マジか。俺ライム推しなんだよね。――俺の特典はシエンなんだけどどうよ?」
「僕はシエン結構好きだから、交換オッケーだけど」
シエンは大人っぽい女性キャラで男性人気も高い。
「サンキュ。――荘介はシエン好きなんだ。らしいっちゃあらしいけど」
「いや、べ、別に一番って訳じゃ」
損か感じで櫂斗と『転ゴブ』について語り合った。
楽しい時間だった。
とある『約束』を忘れるほどに。
*
櫂斗は荘介と別れ、自宅に帰ってきた。
自室で手早く道着に着替え、離れにある道場へ向かう。
畳敷きの道場で二〇畳ほどの広さがあった。
一礼をして、道場に入る。
「遅かったな」
道場の中央で正座をしていた白髪の男が視線だけをこちらに向けた。
祖父の黒崎源斎だった。
源斎は、櫂斗が習う無双流柔術の師範であり、創設者だった。
もうすぐ七〇歳になるはずだが、恐ろしいまでの覇気に満ちていた。
「ちょっとダチが不良に絡まれててさ。それに関わってて遅くなった」
「……無双流を使ったのか?」
源斎の問いに、櫂斗は両手を合わせて謝った。
「悪いじっちゃん。昔から道場以外で無双流を使うなって言われてたけど、使っちゃったわ」
幼い頃から無双流を習っていた櫂斗が源斎からきつく言われていたのが『無双流を外で使うな』だった。
これまで櫂斗はその言いつけを守っていた。
今日にしても話し合いで解決できれば良かったのだが、そういう流れではなくなってしまったので仕方なしの力の行使だった。
たぶん、かなり怒られるだろう――と思っていたのだが。
「……手加減はしたのだろう?」
「そりゃそうだよ」
「ならいい」
「いいんだ?」
「少し前のお前ではその手加減もできんと思っていたから禁止させていただけじゃ。今のお前ならその心配はなかろう」
「まあ、そう……かな」
「じゃが、無闇矢鱈に使って良いと言っているわけではないぞ。なにしろ、無双流は――」
と、源斎がいつもの口上を言おうとしているので遮り、
「無双流は、『異世界の魔王を倒すための業』なんだろ。わかってるって」
「……ふん。わかっておるなら良い」
「いいよなー、じっちゃんは。『異世界に行ったことある』のだから」
そして、道場の床の間に飾られている水晶玉を見た。
大きさはサッカーボールほどの大きさで、無色透明な水晶玉だった。
その水晶玉の中心部は小さく光っていた。
ただの光のはずなのに妙な威圧感を感じる。
「この水晶玉が、異世界から唯一持って帰ってきたものだっけ?」
「そうじゃ。その水晶玉に光が満ちる頃、『再び召喚する』と言っておったな」
「その時は俺に行かせてくれよな、じっちゃん」
「わかっておる」
「じゃあ、稽古始めようぜ」
「ちょっと待て」
「どうした、じっちゃん」
「今日は、『転ゴブ』の新刊を買ってきたのではないか」
「そうだけど。――大丈夫だって。俺が読んだらじっちゃんにも貸すから」
源斎も実は異世界モノのラノベが大好きだったりする。
「それはそれで頼む。じゃが、儂が訊きたいのは特典のことじゃ」
「特典?」
「特典が儂の推しキャラのシエンだったらくれる約束じゃったろ」
「……あ」
「あ、とはどういうことじゃ」
「実は特典はシエンだったんだけど……」
「だけど?」
「今日ダチになった荘介が『転ゴブ』好きでさ。特典交換してもらったんだよね」
「おい! 櫂斗! 話が違うぞ!」
「いや、だって、俺もライムの特典欲しかったし……」
「……許さんぞ。そこに立て。今日の稽古は覚悟してもらおう……」
「……勘弁してくれよ」
とは言いながらも源斎の前に立つ。
黒崎櫂斗はいつ異世界に喚ばれてもいいように、今日も無双流の修行に明け暮れるのであった。