ガイザーン帝国の皇子
皇妃は歌を歌っていた。高貴な身分の者の為の貴人牢の中で、幼い子供の為の歌を歌う。
「イリオス、もうすぐエバンス様がいらっしゃるわ」
皇妃はイリオスと皇帝の名前を呼ぶ。
幼いイリオスの手ひき、歌い聞かせた歌である。執務を終えた皇帝が訪れると、皇妃はイリオスを皇帝の膝に座らせる。
アンセルムも集まると夕食が始まる。
遠い昔の幸せな記憶。
「イリオス、イリオス」
優しい声で自分の名を呼ぶ皇妃に見つからないように、扉の外から様子を伺うイリオス。
柱に背を預けたイリオスの頬に涙が伝う。
「イリオス」
小さな声で呼ばれて、イリオスの身体が小さく跳ねる。
イリオスを名前で呼べるのは3人だけである。皇帝、皇妃、皇太子の3人だ。
振り向くと、アンセルムがイリオスを見ていた。
アンセルムはイリオスの横に来ると、その肩を抱く。
「母上は、夢の世界にいる」
皇妃は牢に入れられた時、皇帝の名前を呼び続けていたが、次の日には大人しくなった。
賢い皇妃は、すでに覚悟をしていたのだろう。
だが、心が壊れてしまった。
「母上は愛情深いお方だ。父上には報われることがなかった。
母上を壊したのは、父上だ。
皇妃という役に自分を愛する女性を妻に迎え、愛情を与えない父は皇帝であっても夫ではなかった」
アンセルムの言葉を頷きながらイリオスが聞いている。
「だから、イリオスが愛する女性に巡り合ったら、後悔することが無いよう大事にしてやるがいい。
母上を牢にいれ、命をも奪う罪はこの兄が背負っていくから」
「兄上は悪くない。僕も・・」
「私の皇太子という地位の為には、イリオス、お前を赤ん坊の時に殺しておいた方が安心なのに、母上はお前を生かした。
母上はお前を使って父上を引き留めようとしたのかもしれない。
だが、それだけではないことを覚えておいてほしい。
母上は、お前も愛していた」
イリオスはアンセルムにしがみ付いた。
「兄上、今だけは泣かせてください。ちゃんと皇子としての役はしますから。
母上を苦しめたのは、父上だけではありません。
僕も、僕の生みの母も、母上を苦しめました。
夫に愛人がいて、愛人が子供を生んだら、妻はどれほど苦しむのでしょう。
母上を鬼にしたのは、僕の存在です。
なのに、僕が熱を出した夜は、寝ずに付き添ってくれて、翌朝公務にいかれるのです」
「だが、罪は罪だ」
モードリンに害そうとした、許すことは出来ない。
アンセルムの冷静な言葉に、イリオスも落ち着いてくる。
袖で涙を拭うと、イリオスは顔を上げた。
「行くぞ」
「はい」
イリオスの前を歩きながら、アンセルムは
「父上は、私に帝位を早々に譲ると言われているが、それよりもっと早く奪いに行くぞ。
父上には、母上への責任を取らせる」
アンセルム、イリオスの周りに護衛騎士が集まり、皇宮の廊下を歩く様は、威厳に満ち、戦争の英雄である皇子達。母親が違っていも、間違いなく兄弟である。
今は、皇妃を亡くすことは出来ない。
そうなると喪に服する為に、慶事は1年間できなくなるからだ。
まずは、アンセルムの戴冠と結婚。
それから静かに死を与えられるのだろう。




