イリオスの秘密
駆けて来たのはイリオスである。
心配させることはわかっていたが、どうしても皇妃と話したかったのだ。
皇妃が暴挙に出たのは、アンセルムが帰って来たら、モードリンを大事にする様子を見たくなかったのではないか、とモードリンは思っている。
結局は、皇帝なのだと思う。
皇帝はケイトリンが皇妃に向かないことを知っていて、異国のレプセント辺境侯爵家に嫁ぐことを認めたのに、未練を残していたのだろう。
だから、イリオスを見た時に言ってしまったのだ。
「皇帝陛下は、皇妃陛下のことをどう思っていらっしゃるのですか?
イリオス殿下は?」
「ここで言う話じゃないな。部屋を用意させよう」
夜に、イリオスとモードリンが二人で部屋にいるわけにいかない。
そして、漏れては困る話だから、信用のおける使用人か警護を呼ぶということだ。
「彼女は僕の乳母なんだ」
イリオスが紹介する女性は、穏やかな笑みを浮かべてモードリンに挨拶をした。
モードリンも会釈で返答する。
イリオスとモードリン、そしてイリオスの乳母の3人が、王家の客間にいた。
ケイトリアの火傷はたいしたことはなかったが、イリオスの乳母が冷えた布でケイトリアの火傷を冷やしていた。
「僕は皇帝の息子だが、皇妃の息子ではない」
イリオスの言葉に、モードリンは声にはしないが驚いていた。
アンセルムとイリオスは、皇帝と皇妃の正式な皇子として記録されているからだ。
「僕の母は産後の体調が悪く、亡くなってしまった。ケイトリア・メルデニエ公爵令嬢と同じ髪の色だったそうだ。
皇妃は僕を実子としてひきとり、兄と分け隔てなく育ててくれた」
イリオスは、乳母が淹れたお茶を一口飲む。
モードリンは、イリオスが話を続けるのを待った。イリオス自身が覚悟がいると思ったからだ。
「多分、僕の存在が母を壊してしまったのだろう」
皇妃を母と呼ぶイリオスは、実子でないと言いながらも皇妃以外を母と認識しないのだろう。
「結婚前の父がケイトリア・メルデニエ公爵令嬢に執心だったのは有名なことで、婚約者だった母は辛い思いをしたのは容易に想像できる。
結婚して落ち着いたかと思ったら、他の女性に僕を生ませて、母は苦しんだに違いない。
ケイトリア・メルデニエ公爵令嬢と同じ髪の色だから、父が惹かれたと思いたかったのかもしれない。
自分では、ケイトリア・メルデニエ公爵令嬢に勝てないと思い込んでいる。
父も遅まきながら気がついたようだが、対応に苦慮していると僕は思っている」
淡々と語るイリオスは、皇妃を庇っている。
「幼い頃の記憶には、いつも母がいる。
熱を出した僕を心配して、公務を休んで看病してくれた。
手を繫いで庭を歩いた母の笑顔が、幼心に綺麗だと思った」
イリオスはモードリンに向き合う。
「皇妃のしたことは許される事ではない。
だが、心が壊れているんだ。責は皇妃だけではない」
だからだ、とモードリンは納得した。
ガイザーン帝国という大国の皇太子であるアンセルムに婚約者がいなかったのは、アンセルムの我がままだろうが、それを皇帝が許したからだ。
好きな人と結婚しなかった皇帝が、政略で結婚した結果が皇妃を苦しめた。
「イリオス殿下は、皇妃陛下をどうされるのですか?」
モードリンの問いかけに、ん、と相打ちを打ってイリオスは笑った。
「今までと同じだよ。側に居るよ。モードリン嬢には迷惑をかけないように、もっと気を付けるよ」
イリオスがモードリンを守ってくれたのは兄の為だけでなく、皇妃の為でもあったのだ。
皇妃は寝室のベッドに腰かけていた。
薄暗い室内に、キャンドルの灯りが揺れる。
「あの娘は、ケイトリアとは違うわ。そんなの知っている、知っているのに・・」
ケイトリアが憎い、未だに陛下の心に住んでいるケイトリアが憎い。
「あの娘に火傷をさせてしまった・・。きっと陛下は知ってしまう」
モードリンを排除したかった。
でも、もう出来ない、と暗闇を見つめて呟く。




