初恋の終わり
皇家の狩り場には、森や小川だけでなく、野の花が咲く花畑があり、そこで、ユージェニー、セリアと合流した。
セリアを同行していたユージェニーも狩りはできなかったようだ。
「お姉様」
セリアが花冠を作ってモードリンに被せると、モードリンもセリアに花冠を作った。
皇子として物心ついてから、こんなにのどかに過ごしたことは、何回あるだろう、とモードリンとセリアが花畑で遊ぶ姿を見ながら、アンセルムは思う。
「我が領地は魔獣の生息地と隣接していることで恩恵がありますが、危険も多いのです。緊急に魔獣征伐に行くこともあります。
だからこそ、平安な時間を大切にします」
ユージェニーは、水を注いだグラスをアンセルムに渡しながら言う。
「ああ」
グラスを受け取って、アンセルムは頷く。
どんなにモードリンを気に入っても、モードリンの婚約を解消させて娶るなどできない。戦争になってしまう。
「レプセント侯子、さすがに二人とも獲物がないはいたたまれない。
ここは、護衛に任せて付き合ってくれないか?」
アンセルムが立ちあがる。
「名高いレプセント騎士に手合わせをお願いしたいところだが、私に勝ち目はないと分かっている。狩りなら勝てるかもしれないからな」
「それは、張り切らざるを得ませんね」
ユージェニーも同意して、馬に飛び乗った。
昼過ぎには、ユージェニーは鹿、アンセルムは銀狐を狩って戻ってきた。
ユージェニーは妹達に真っすぐに歩いて行くが、アンセルムは躊躇せずにモードリンに向かって歩いてる。
「再従妹殿に、襟巻をプレゼントしよう」
アンセルムは、獲物の銀狐の毛皮で襟巻を作らせるようだ。
セリアはユージェニーの腕を突いて、小声で話す。
「襟巻の似合う再従妹は、ここにもいるんですけど」
「まったくだ」
セリアもユージェニーも苦笑いを浮かべていたが、モードリンとアンセルムがお互いの立場をわかっていると信じて、少し離れて見守っている。
レプセント辺境侯爵家というのは、恩恵を願う者達に囲まれ、足をすくおうとする者達に妬まれるほど、力のある家なのだ。
この婚約は、王家、レプセント辺境侯爵家双方に利のある政略である以上、覆すことは難しい。
王家はレプセント辺境侯爵家の脅威を押さえ、モードリンが王妃になればレプセント辺境侯爵家は魔獣征伐に王国軍を使う事もできる。
イグデニエル王国王太子の婚約者をガイザーン帝国皇太子が奪ったとなると、イグデニエルに戦争の口実を与えてしまう。
それは近隣の多くの小国を巻き込んでの戦争になるだろう。
そして、最前線に立たされるのはレプセント騎士団だ。
モードリンは精一杯の笑顔を見せた。
この人には、笑顔を覚えていて欲しい、と思うのだ。
誰よりも綺麗だと、覚えていて欲しい。
きっと、私は今日を忘れないと思うから。
僅か二日だけだ。
お互いの知らないことばかりなのに、眼が離せない。
モードリンの唇が震える。
「政略結婚であっても、お父様と信頼と愛情を結ばれたお母様のように、私も王太子殿下と信頼し合って、イグデニエル王国を豊かな国にしたい。殿下もどうか、お元気でしあ・・」
涙でモードリンの言葉が続かない。
アンセルムは、モードリンの手を取ると、口づけた。
モードリンがピクンと震える。真っ赤になって泣いている。
手がゆっくりと離される。
「永遠の愛なんて信じていなかったのに、どうして貴女なんだ。
どうして貴女を幸せにするのが、私じゃないんだ。
昨日も、貴女のことばかり考えていた」
アンセルムに反応して、モードリンは、私も、と囁く。
「綺麗なモードリン。
誓いの言葉でなく、別れの言葉を告げねばならない。
誰よりも貴女の幸せを願っている」
笑おうとしたアンセルムの顔は歪んでいる。王族として表情を作れないのは失敗である。
「公爵邸まで送って行こう」
エスコートの為に差し出したアンセルムの手に、モードリンの手が重ねられる。
身体中の神経が全て、手に集中している。
「いつか、国の代表としてお会いした時に、恥ずかしくないような王妃になります」
「モードリンなら、大丈夫だ」
言いたいのはこんなことじゃないのに、言葉にすることは許されない。
モードリンとアンセルムが見つめ合っていた時間は僅かだ。
それでも、分かってしまう。
同じ気持ち。
母親ケイトリアの実家である公爵家まで送ってもらったら、それが別れの時だ。
アンセルムは、ユージェニーの元にモードリンを連れて行く。
「殿下、妹をありがとうございます」
ユージュニーがモードリンを受け取ろうと手をさしだすが、アンセルムはそのままモードリンが馬を繋いでいる場所に案内した。
ユージェニーとセリアはアンセルムとモードリンの後を追い、その後ろを護衛達が追随していた。
その中には、アンセルムの側近ファントマ・マーノンがいた。