モードリンのしがらみ
モードリンが王太子の婚約者と決まった時期に戻ります。
ケイトリア・レプセント辺境侯爵夫人は、3人の子供を連れて実家であるガイザーン帝国メルデルエ公爵家に帰省をしていた。
ケイトリアの母は現王の姉である。
長女モードリンがイグニエル王国王太子の婚約者に決まった為に、報告に来たのだ。
イグニエル王太子妃になるモードリンには、最後であろうガイザーン帝国来訪である。
メルデルエ公爵家だけでなく、ガイザーン帝王にも報告せねばならない。
どこの国も青い空が広がって、鳥が飛び、花が咲いている。
モードリンはガイザーン王宮に向かう馬車の窓から外を見ていた。
小さな何かが目の端に映った。それはすぐに人間の子供だとわかる。
「止めて!」
モードリンが叫んだが遅かった。
飛びだした子供に馬車がぶつかって、大きく揺れた。
ガッタン!!
馬車に乗っていたケイトリアとユージェニー、モードリン、セリアは馬車の壁に打ちつけられた。
すぐに体制を立て直したのはユージェニーである。
馬車の扉を開けて状況を確認する。
その後ろから馬車の外を見たモードリンは、光景に目を見開いた。
子供は馬車に轢かれ、血を流しながら横たわっていた。
ユージェニーの後ろから馬車を降りると、横たわる子供に駆け寄った。
「やめなさい、モードリン!」
ユージェニーが止めるが、モードリンは止まらない。
子供の周りには人が集まっているが、貴族の馬車に飛びだして止めた子供を庇う者はいない。
そのせいで貴族がケガでもしていたら、処罰を受けるからだ。
モードリンは子供の横に膝をつき、ドレスのかくしからハンカチを取り出すと、血を流している子供の頭に当てる。真っ白なハンカチはすぐに真っ赤に染まる。
血が止まらないとわかると、モードリンは自分のドレスの袖のレースを引き裂いて当てる。
「モードリン、止めなさい」
ユージュニーはモードリンの肩に手を置いた。
「でも、お兄様、助けれるものなら助けたい」
モードリンは兄を仰ぎ見る。
「もう、助からない。血が流れ過ぎている」
ユージュニーは首を振りながら、モードリンを立たそうとする。
「誰か、この子の親に連絡してくれ。不幸な事故だった」
もし親が側にいたなら、子供が飛びだすのを止めたかもしれない。それを今更言っても仕方がない。
ユージェニーはモードリンを立たせて肩を抱き寄せた。
モードリンも分かっているのだ。
貴族の馬車に平民が飛び込んで貴族の馬車を止めたなら、平民が罰せられることが多いのは、どこの国も同じである。
憐れんで子供を医者に診せる為に金品を与えようものなら、同じように馬車に体当たりする当たり屋が横行する危険がある。
ましてや、レプセント家の子供が持っている魔核を子供に使うなら、レプセント家の子供が魔核を持ち歩いていると狙われてしまう。我が身が危険にさらされた時の為に、レプセント辺境侯爵家では各人に小さな魔核を持たせている。これがあれば即死でない限り、多少の回復になるからだ。
レプセント家が危険な魔獣を狩るのは、領地が魔獣の生息地に接していて時々魔獣が出現して被害が出ることと、魔獣の身体には万能薬である魔核があるからだ。強い魔獣ほど効能は強く、鮮度が落ちると効能は薄れる。万能に効果はあるが、小さい傷を治せる程度のものから、大病を治癒するものまでさまざまである。
ただし、瘴気に包まれた魔獣の生息地に入り、魔獣を狩るには鍛えられた騎士でも危険が大きく、流通する魔核は数少ない。とても高価な物なのだ。
「あれがレプセント辺境侯爵家か」
立ち去った馬車を見送る男が呟いた。
馬車から降りてきた二人、中に残った二人からも、馬車にぶつかった子供を叱咤する声は聞かれなかった。
馬車から降りてきた二人。
次期辺境侯爵と令嬢。
あんな令嬢がいるんだ、自分の服を裂いて平民の子供の血を止めようとしていた。
自分の手も血で汚れたというのに、気にしてなかった。
「もっと近くで顔を見たかったな。
侯爵夫人に似ていたら、とびっきりの美人だろうな。
なんたって、侯爵夫人は父上の従妹で初恋の君だそうだから」
自分も王宮に戻る時間だと、ガイザーン帝国皇太子アンセルムは街をあとにした。