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トマト  作者: ヒルマ・デネタ
Chapter 3
6/17

猫が好きな男



「お客さん、あと十円です」

 トレーの小銭を数えながら、須永が言った。刈り上げで、サングラスをかけた男は「え」と叫んで、ポケットすべてに手をあて、中を探る。十月のアロハシャツはさすがに季節外れだよな、と里波は天津飯を食べながら思った。男は、財布にもポケットにも十円はないようだった。

「電子マネーにします?」

 須永が気を利かす。男は困った顔を横に振る。

「私はねぇ、そういうのね、使わないんだ。使えないというか。アナログ進歩を極めているというか、そういうタイプで」

 御託に近い言い分を並べる男に、須永は真顔で十円を待つ。須永は愛想がない。それが愛嬌になり、可愛がられ、どこへでもやっていけるタイプの人間だ。里波は、レンゲを置いて財布の中を見る。ちょうど十円玉が一枚あった。立ち上がり、レジに行くとトレーに十円を置く。須永と男が驚く。

「返さなくていいからさ、コンビニの募金箱とかに入れといてよ」

 そう里波は男に笑って、戻る。須永が会計をすると男にレシートを渡した。男はそれを、握りしめながら里波の元に来る。

「兄ちゃん、この近所に私の知り合いがいんだよ。十円、借りてくるから待っとけ」

「え、いや、いいですし。十円だし」

 里波は言ったが、男は聞かず、店を飛び出した。

「返すって言うんだから、受け取っておけよ」

 須永がそう言って、男がいたカウンターを片付ける。里波は天津飯を食べ終えた。事情を察した奥さんが胡麻団子をサービスしてくれた。里波は奥さんと奥野が元気かどうかの話をしながら胡麻団子も食べ終えると、男は戻って来た。里波と男は一緒に店を出ると、同じ方向に足を向ける。

「兄ちゃんもこっちか。私もこっちなんだよ。昔馴染みの家にしばらくいるつもりでな。途中まで一緒に行こう」

「そうですね」

 里波は初対面の男と家路を歩く。男は気さくで、例えるならばたまに会う親戚の自由奔放なおっちゃん、という感じだった。男はずっとペラペラ喋った。

「いやぁ、な、ずうっと、けったいなとこに住んでた馴染みが、この辺りに住み出したっていうのを風の噂で聞いてなぁ。旅行がてらぁ、顔を見に来た」

「どれぐらいぶりだったんっすか?」

「たいしたことない。十年ちょっとぶり」

 十年ぶりに会って、いきなり十円貸せとこの男が押し掛けたのを想像して、里波は笑みを浮かべた。

「急いどったから、ちょろっとしか見てないけどよ、ぺんぺん草が生えそうな住処だったわ。あ、ここ」

 里波は我が家を見る。里波は気まずそうに聞いた。

「もしかして、秋津さんの知り合いですか?」

「え?」

「俺もここに住んでる」

「はえっ!」

 男はサングラスをはずして、心底申し訳なさそうな顔をした。


「いやぁ、すまんすまんすまんすまんっ! でもなぁ、もっとええ家を準備してもらったらよかったのに。里波ちゃんはお人好しだな」

 十円が足りなかったサングラスの男は赤森と名乗った。里波は秋津のドリップパックを拝借して、コーヒーを出した。秋津は珍しく不機嫌で、それを隠そうともしなかった。

「それを飲んだら、帰れよ。泊める気はない」

 秋津はぶしつけに言って、赤森と目を合わせず、ちゃぶ台に肘を付けて、そっぽを向いていた。

「いいやん。一週間ぐらい泊めて」

「ずうずうしいにも程がある」

 秋津は吐き捨てた。それでも赤森は飄々とコーヒーを飲んだ。里波は赤森の滞在に文句はなかったが、ふたりの関係性がいまいち読めず、口を出さずおとなしく座っていた。里波は視線に気が付き、赤森を見た。赤森はにこにこしていた。

「なにか?」

 赤森はずるずる音を立ててコーヒーを飲む。

「どんな子が秋津に唆されたのか、観察中」

「なんすか、それ。めっちゃ嫌」

 里波は赤森と距離を置いた。

「もっと離れときな、里波」

 秋津がふてぶてしく言った。里波は一年暮らしても、こんな風に子どもぽい秋津を見たことがなかった。秋津のことを一匹狼みたいに感じていたので、里波は保護者の気持ちで安心した。本当に嫌なら家にあげないだろう。里波はだんだん、秋津が照れ隠しからくる塩対応なのだろうと判断した。里波は立ち上がる。

「布団、乾燥機にかけてくるな」

「おい、里波」

 秋津がめずらしく焦って、里波を呼び止めた。里波はおかしかった。

「そんなに嫌なら、自分で追い返せよな」

 里波が言えば、秋津は歯ぎしりしそうな険しい顔をして、

「好きにしろ」

 と、観念した。

「一週間、お世話になりまーすっ」

 赤森がうるさく言った。

「なんかいいもん食わせなよ」

 秋津が言った。

「この赤森さんが、寿司奢ってやるよ」

「出前にしろ。お前はこれ以上、出歩くな。目立つから。どうせ、ろくなことしてないんだろう」

 里波は自室の押し入れから布団を出しながら聞こえてくる会話に、微笑んでいた。



 次の日、里波が大学から帰ると秋津は留守で、赤森が縁側で寝そべっていた。

「おかえり、里波ちゃん」

「ただいま」

 里波は上から赤森の顔を覗く。まぶたは閉じたままだった。

「秋津さんは?」

「買い物。私が行くって言ったのによー、嫌がられた」

 赤森はケラケラ笑う。

「秋津さん、晩飯なんだって?」

「焼き鯖。私のリクエスト。大根おろしは私がやるから、安心しろ。居候だからな。トイレも風呂も掃除した。居候三杯目にはそっと出しって言うだろう? 気がねしなとなぁ」

 縁側で寝ころび、足を組む赤森はまた、ケラケラ笑う。気がねとは程遠い性格だと里波は思ったが、心の中に留めておいた。里波はバックパックをおろし、赤森の傍に座る。

「赤森さんと秋津さんって、いつからの知り合い? 赤森さんの方が、年上に見えるけど」

 里波は見た目の話をした。赤森は、四十前後に見えた。

「同い年だよ。私とあいつは」

 里波は無言で驚く。赤森は目を開けると、起き上がり、庭の方を向いてあぐらを組む。

「隣に来い。お話をしよう」

 里波は赤森の隣に移動する。秋の庭の畑は、何も育てていなかった。秋津が先週、綺麗にならした。

「私にも篁家の血が入っている。でも私は、外でできた子だった。私の母は篁の遊び相手のひとりだったんだろう。だから、随分と私の存在は見つからなかった。ある年齢になって、自分がおかしいことに気が付いた。でも、私は父親のことなんてこれぽっちも知らなかった。だから、自分がひたすらに、それはもう心底、気味が悪かった。周りも気味悪がった。気味が悪い噂はすぐに広がる。それで私の目の前に現れたのが、秋津だ」

 赤森は懐かしそうに目を細めた。

「秋津の説明で、自分のことに納得がいった。突然現れて、わけの分からない話をする秋津に腹が立つこともなかった。歳をとらない、何も愛情が沸かない。理由がわかるっていうのは非常によき。それからはあの森で暮らした。何十年も」

「秋津さんと一緒に?」

 里波は赤森の横顔に尋ねる。

「いいや。あいつは情がないくせに、人間付き合いを楽しむ余裕がある。あの男ほど、掴みどころのない人間は百年以上経っても会ったことはない。なのになんでよ、篁の家に行ったか。トラウマのくせによ」

「トラウマ?」

「あいつ、竹やぶで気絶してヘタこいて、森に入れられたんだよ。あの竹やぶの向こうには篁家の本家の屋敷がある。でも、もう廃墟だ。私は行ったことないけどよ。なんで、わざわざ行ったのか、知らんがな」

 秋津のトラウマが里波はすごく、気になった。けれど、それに触れるには秋津と自分の関係は浅すぎる気が里波にはした。関係の長さは役に立たない。里波は膝を抱える。

「赤森さんはいつ、森を出たんですか?」

「十年とちょっと前。愛惜を持った。ひとめぼれだった。だから私は、秋津より老けている」

 赤森は静かに笑った。笑ったまま、言った。

「死んだけどな」

 里波はいい言葉を探した。けれど、素直に言った。

「悲しいね」

「ああ。悲しい」

 赤森は頷いた。

「いなくなっても、愛しさは消えない」

 赤森の声で響くその言葉は、とても美しいと里波は思った。秋津が帰って来るまで、何もない庭を黙って二人は眺めていた。

 夕食後、里波は洗い物をしていた。

「あがったよ。あと里波だけだから、入ったら栓抜いていいから」

「はーい」

 秋津が冷蔵庫から、牛乳を出して、一気飲むする。

「グラス置いて。ついでに洗うから」

「ありがとう」

 赤森がシンクにグラスを置くと、里波はすぐにスポンジで磨く。

「げ、お前もう布団敷いてんのかよ」

 居間に敷かれた赤森の布団の上を、秋津がドスドス歩く。

「おい、秋津! 歩くな! またげ! 長い足で大きくまたげ!」

 赤森が抗議する。

「うるさい」

 秋津はテレビのチャンネルを変える。洗い物を終えた里波は、口でやり合う二人の後ろを通り過ぎ、ベッドに放り投げた寝巻きを取る。机のスマホを確認すると、須永から着信とメッセージがあった。着信は十分程前だった。里波はメッセージを確認する。

 ブレッドがいなくなった。

 里波はすぐに電話をかけ直した。須永はすぐに出た。

「ごめん、気づくの遅くなった。ブレッド見つかった?」

「まだ」

 須永の声は明らかに落ち込んでいた。

「さっき、バイトから帰って。洗濯物取り込もうとして、ベランダの窓開けたら、逃げた。餌やってたから、油断した。あー、俺最悪」

 須永が自己嫌悪に陥る。

「賢い猫だからさ、すぐ帰って来ると思うけど。俺も捜すから」

 壁の時計を見る。九時を過ぎていた。

「とりあえず、須永の家の方行くわ」

「マジでごめん。頼ってごめん」

「いいよ。じゃあ、あとで」

 里波はポケットにスマホをしまうと、押し入れから懐中電灯を見つけ出す。明かりがつくか確かめて、部屋を出る。

「ちょっと、出て来る」

 里波は急ぎ足で居間を通り過ぎる。

「こんな時間にか? コンビニ?」

 秋津が居間から声をかける。スニーカーを履きながら、里波は大きい声で返事をした。

「ちがう。須永のとこの猫が逃げた。ちょっと探して来る。あ! 鍵、持って行くわ! 秋津さん、鍵取って」

「どんな猫だ」

 里波がふり返ると、赤森がいた。里波はびっくりして、変な声を出した。赤森も靴を履く。

「数がいた方がいいだろう。私も行く。写真ないのか?」

「あ、ある」

 里波はスマホから写真を出す。

「これ。名前はブレッド」

 赤森はまじまじとブレッドの写真を見ると、顔を綻ばせる。

「かわいいな。可哀想に、早く見つけてやろう」

「俺も行くよ。戸締りはしてきた」

 秋津も出てきて、靴を履く。

「数がいた方がいいんだろう?」

 秋津も言った。

「ありがとう」

 里波は礼を言った。

 とりあえず、三人は須永のアパートへ行った。赤森のことは、里波が須永に話していたため、お互いに驚くことはなかった。とりあえず、家に帰って来るかもしれないからと、須永は家にいろと赤森が命令した。

「いや、そういうわけにはいかないでしょう」

 須永はかなり渋った。赤森は力強く指を差した。

「猫のためだ」

 赤森の強さに、須永は押し黙る。そして赤森はブレッドを捜しに、夜の中をぐいぐい行く。赤森とは逆の方向に里波と秋津は行き、公園でブレッドの名前を呼んだ。

「ブレッドー。ブレッドー、出ておいで。須永がしょげて大変だぞー」

「にゃあ、にゃあー、にゃにゃーん」

 里波は植木から顔を上げて、どんぐりの木の上に向かって猫の鳴きマネをする秋津に冷たい眼差しをやった。

「なにやってんの?」

 秋津が猫の鳴きまねをやめる。

「ブレッドを呼んでるんだけど」

「……そう」

 そういうやり方もあるのか、と里波はマネしようとしたが、やめた。ブレッドの名前を呼び続ける。

「あ!」

 里波が叫ぶ。秋津が駆け寄る。

「いたのか?」

「秋津さん、玄関の鍵閉めた?」

 里波は急に心配になった。

「閉めたよ」

 秋津は答えた。

「ガスの元栓は?」

「閉めてない。でも、大丈夫だよ」

「そうだけど、なんか不安」

 里波が俯く。

「それ、今気にすること?」

 秋津が不思議そうに聞く。

「そうだよな。そうだけどさ、心配ってふいうちで来るだろー。あー、早く見つけよ。俺ちょっと、他行くわ。公園は秋津さんに任せた」

「はい」

 秋津はまた、猫の鳴きマネをはじめた。不審者と間違われて通報されたらどうしようと、里波は公園から離れるのをためらう。その時、スマホが鳴った。須永からで、里波は慌てて出る。須永の一言目で、里波は安堵した。すぐ戻ると言って、秋津の元へ行った。

「ブレッド見つかったって。赤森さんが見つけて来たって。須永のとこに戻ろう」

「それは、よかった」

 公園を出ながら、里波は赤森のことを思い返す。

「赤森さんって、猫好きなんだね」

「それは、そうだろうな。あいつは猫に愛惜を持ったんだから」

「え、」

 里波は街灯の下に立ち止まる。秋津も身体を揺らして、立ち止まり、里波を見返る。

「猫なんて、昔からいたのにな。百年見向きもしなかったのに、奥野が連れて来た子猫に、愛惜を持った」

「奥野さん?」

「そう。奥野が子猫の里親探しを知人に頼まれたらしくって一匹、赤森に世話を任せたんだ。それが理由で、老けたから、研究対象ではなくなった。奥野が責任を持って、赤森の仮保護人となって、赤森は森を出た。猫がいなくなって、赤森は奥野の元を脱走した。大変だったろうね、奥野は」

 秋津の同情は他人事だった。奥野も仮保護人だったと知った里波は、つかみどころのない意味があるように思ってしまった。奥野が自分を秋津の元へ、連れて行ったのは第一印象だけではない気がすると里波は夜道で考える。

「奥野さんって、俺のこと猫になるって思ったのかもな」

「絶対思ってないと思うよ」

 秋津は言い切って、歩き出す。里波は街灯の下から走り出し、追いかけた。

 須永が申し訳なさそうにアパートの前に立っていた。玄関を開けると、赤森が猫を抱っこして、表情はゆるゆるだった。帰る時に名残惜しそうに、何度もブレッドを撫でた。

「中華屋に来てください。お礼に奢ります。よかったら、明日にでも」

「おー、行く行く!」

 赤森はそう言って、須永の頭をくしゃくしゃに撫でた。須永はされるがままだった。家に帰ってすぐに里波は、ガスの元栓を閉めた。


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