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トマト  作者: ヒルマ・デネタ
Last chapter
16/17

メンヘラ気味な120歳





 里波は秋津の傍らで目を覚ます。里波はスマホを見て、起き上がる。秋津は気持ちよさそうに寝息を立てている。里波はしばし秋津の寝顔を眺め、ベッドから抜け出す。

 顔を洗ってリビング行くと、ちゃぶ台にレシピが書かれた紙が広がっていた。試行錯誤しているらしかった。秋には店が開く。里波はザルとハサミを持つと、キッチンの勝手口から畑に出た。

 秋津は田舎に広い土地を買った。周辺には何もない。人も暮らしていない。その敷地に小さなレストランと家がある。家は一階は昔暮らした借家と似た広さだが、洋風になった。二階もある。白い外壁に赤い屋根。広いテラスにハンモックもある。それ以外の土地は畑になった。秋津の趣味の畑だ。レストランの食材はきちんとした農場と契約をしている。それを取り付けたのは奥野だった。

 奥野は会社を立ち上げた。飲食店を開業するためのサポートをする会社だ。関本も秘書として一緒に働いている。けれど関本は「あいつ絶対、秘書必要ない。私の仕事が足りない」と里波に愚痴らしくない愚痴をよくこぼしていた。奥野は気が置けない関本が、近くにいる秘書としてちょうどいいと思っている。

 里波がキッチンに戻ると、秋津がコンロで湯を沸かしていた。

「おはよう」

 里波は勝手口の脇にかけたウォールポケットにハサミをしまう。

「おはよう。うるさかった?」

 秋津は里波の手からザルを取る。

「隣にいなくて寂しかっただけだよ」

「そういうのやめてー」

 里波が真顔で嫌がった。秋津はシンクで野菜を洗う。里波はコンロの鍋を覗く。秋津はゆで玉子を作っていた。

「俺の分、ある?」

「ひとりで四つも食べないよ」

 秋津はキュウリとトマトを切る。里波が洗面所で手を洗って戻ってくると、食卓にサラダができていた。かかっているのは、ボスのレシピのオニオンドレッシングだ。去年の八月、秋津と一緒に客として里波はペンションに行った。その時にこのドレッシングを里波は教えてもらった。

「里波、ウインナー何本食べる?」

「三本」

「はいはい」

 ゆで玉子の隣で秋津がウインナーを焼く。秋津はパンを焼き、インスタントのコンソメスープを添える。里波はごはんをよそって、インスタントのワカメの味噌汁を添える。四人掛けの食卓にふたりは向かい合って朝食を食べる。秋津はゆで卵には塩、里波はウスターソースとマヨネーズを混ぜてものを付けて食べる。冷蔵庫の傍にはレモンペーストが詰まった瓶がいくつか並んでいる。秋津がコンソメスープを飲みながら、結んでいない髪を後ろに流す。

「今日の朝、時間ある?」

 里波が尋ねる。

「あるよ」

 秋津は今日一日空けていた。

「髪切ろうか?」

 秋津は嬉しそうにする。

「お願い。里波の前髪も切るよ」

「うん。ケープ出しとくね」

 前は代わりにカッパを使っていたが、ちゃんとケープを買った。

「昼、スパゲッティにしてもいいか? ちょっと感想聞きたい」

「いいよ! 楽しみー」

 里波は炊飯器のご飯を全部タッパーに詰めて、冷凍庫にしまった。テラスから椅子を運ぶ。

「あ、ケープ」

 外に出る時についでに持ち出そうとして里波は忘れた。テラスからリビングを覗く。秋津はいない。

「秋津さーん」

「なぁにー」

 どこからか秋津の声が聞こえた。

「外出るとき、ケープ持って来て」

 秋津は階段からおりてきて、リビングに顔を出す。

「どこにあるっけ?」

「洗面所の棚のいちばん下。長細い方の棚にある」

「あー、はいはい」

 秋津は顔を引っ込める。そしてケープを付けて外に出てきた。それを里波はゲラゲラ笑った。

「前に切ったのいつだっけ?」

 里波は秋津の鎖骨を目印に髪を切っていく。

「花見行って帰ってきた日だから、三月の終わりじゃないか」

 秋津が思い出す。里波が指折り数える。

「五か月前か」

「その時に里波の前髪も俺が切った。それにしては伸びるの遅いね」

「俺は美容院行くから。秋津さんもたまにはちゃんと美容院行ったら?」

 その方がいいと里波はずっと気になっていた。

「俺は里波がいいから」

 里波は照れ笑いをする。

「腕、あげないとね」

「もうプロだよ」

「それはどーも」

 里波は秋津の褒め言葉を流した。交代して、秋津は里波の前髪を切り過ぎた。

 秋津はお昼にトマトクリームパスタを作った。テラスで並んで食べた。

「うまっ!」

 里波が叫ぶ。

「お店みたいじゃんか!」

「店で出すからね」

「それはそうか」

 里波はフォークですするように食べる。里波はスパゲッティを巻くのが下手くそだった。半分ほど食べたところで、里波は言った。

「これ食べたら、帰るよ」

 秋津のフォークで巻く手の動きが若干、鈍くなる。

「食後にレモンシュカッシュ作るから、それは飲んでよ」

「飲む飲む! レモンペーストの瓶、一本持って帰っていい?」

「……ダメ」

 秋津は含みを持たした。里波は秋津が少しふてているのを察した。

「来週、また来るよ」

「知ってる。来週までここに泊まればいい」

 秋津はちょっとぶっきらぼうになる。里波は呆れながらも秋津のことがかわいいと思ってしまう自分が憎かった。

「あと、一か月ちょっとじゃん。九月には俺もここに住む。仕事だからさ」

 秋津は気まずそうに頷いた。

「分かってる。ごめん。ちょっと大人げなかったね」

「百歳越えて大人げないのはねぇ」

 里波がからかう。秋津は軽く里波の頬をつねった。ふたりは少しじゃれあって、レモンスカッシュを飲んで、日が暮れないうちに里波は初心者マークの付いた軽四に乗って、秋津の家から帰っていた。





 松崎の件が終わったあと、秋津はレストランを開きたい話を里波にした。里波は「めっちゃいいじゃん!」と自分のことのように喜んだ。その様子を見て秋津は安心したように、一緒に住もうと言った。すると、里波は考え込んだ。秋津は里波はすぐに頷いてくれるもんだと勝手に思い込んでいたため、焦った。里波は運転免許取りたいから少し待って、と言った。秋津は安心した。年が明けて、里波は免許を取得できた。けれど、里波は車買うまで待ってと言った。秋津は頷いた。桜の花が咲いた頃、秋津は里波の前髪を切りながら、さりげなく引っ越しの時期を里波に聞く。里波はちょっと仕事が忙しいから九月にして欲しいと言った。

「そんで、九月になったらまた延期されるんじゃないかって、ビビってるってこと?」

 関本の問いに秋津は頷いた。奥野はレモンサワーを飲む。里波が帰った週の夜、秋津は奢るからと、関本と奥野を個室の居酒屋に呼び出した。

「秋津もビビったりすんのね」

 ニヤニヤしながら関本は枝豆をつまむ。秋津の隣に座る奥野が、グラスを置く。

「でも、九月って今度ははっきりと日付を出してるじゃないか。まあ、絶対に延期しないとは私は言えないけど」

「ほら」

 秋津がまだ来ていない未来に落ち込む。秋津が頼んだレモンサワーはまだ一口しか減っていなかった。

「でも、里波はフリーランスだろ? 大きい仕事なら、逃したくないだろう。急に仕事が決まっただけだろうよ」

 奥野は言った。関本が同意に何度も頷く。

「あんたの考え過ぎよ。それでもなに? 里波が浮気してるとでも?」

「絶対ない」

「即答じゃん」

 関本が平和過ぎて呆れた。それでも秋津はうだうだ言った。

「勝手に不便な場所に土地買ったから本当は怒ってんじゃないかと思って。里波に相談しなかったし」

 レストラン兼住居は、里波に再会する前にはもう、秋津は買っていた。関本はああー、と白ワインを飲み干す。

「私ならブチ切れるね」

 秋津は俯く。店員がてんぷらの盛り合わせとタコのから揚げを運んで来る。関本は白ワインのお代わりを頼む。奥野もレモンサワーを頼んだ。

「でも秋津は、話したんだろう? レストランの場所は勝手に決めたから、住む場所は里波の都合にできるだけ合わせるって。里波が話してた。自分の仕事はどこでもできるから、秋津のいるところでいいって」

「いつそんなこと聞いたんだ?」

 秋津が喰いつく。

「去年のあのあと、里波のマンションまで謝りに言ったんだよ。その時に話してた」

 奥野は里波の前で泣いた記憶が蘇り、それをレモンサワーで流した。

「でも、そういうしかなくなーい? 土地ってデカい買い物だしさ。里波は優しいいい子だから、妥協したんじゃない」

 関本がつつく。

「角を立てるな。私がせっかくまるくおさめたのに」

 奥野が関本を言い返し、タコのから揚げを口に運ぶ。白ワインとレモンサワーが届く。

「ポテサラ全部食べていい?」

 関本が聞く。奥野がいいよ、と頷く。秋津はやっと、玉ねぎの天ぷらを食べる。関本は頬杖をついて、ワイングラスを揺らしながら秋津を眺める。

「秋津さ、引っ越しの時期がどーのこーのより、もっと根本的な心配があるんじゃない? はっきり言って、どうしようもないことばっか、うだうだ言ってるわよ、あんた」

 秋津は天ぷらを飲み込んでも、押し黙る。

「何か思い当たることがあるのか?」

 奥野が聞いてやる。秋津は言った。

「歳の差」

 関本は白ワインを吹き出して、ひゃーははははっ! と転げる回る勢いで笑った。

「おい、関本。あんまりだぞ」

 奥野は関本に注意しながらも、笑いを堪える。秋津は真剣だった。百歳差を真剣に悩んでいた。

「だって、考えてみろ。おじいちゃんだぞ」

 関本は咳き込む。笑い過ぎて呼吸ができなくなっていた。

「そんなの! ほんとうに! どうしようもないじゃん!」

 秋津は不機嫌になる。

「私から見て里波は秋津が好きだよ。そうとしか見えない」

 奥野が言った。それでも、秋津は疑い深く奥野を見る。奥野は里波が引っ越すまで秋津の疑心暗鬼は終わらないなと察した。今夜は秋津を励ますだけ励まして、うまいタダ酒を飲もうと奥野は決めた。

「じじいの余裕をみせろよ」

 関本が雑に励ましてから、白ワインのお代わりを頼む。

「余裕なんてないよ」

 しみじみ秋津は言った。

 帰り際、秋津は八月に開店前のパーティーをするからよかったら、と奥野と秋津に招待状を渡した。

「八月の最後の週の土曜日。急で悪いんだけど」

「行く行く! 楽しみにしてる」

 関本が言った。

「絶対行くよ」

 奥野も頷いた。

「赤森も呼んでる。あと、須永君。ペンションのふたりも誘ったけど、仕事だからって」

「繁忙期だね」

 奥野が言うと、秋津は申し訳なさそうな顔をした。

「また別の日にふたりは招待する」

「そうしてあげて。じゃあ、気をつけて帰れ、秋津」

 秋津は近くにホテルを取っていた。

「里波によろしくねー!」

 関本が大きく手を振る。秋津は軽く手を上げて背を向けると、歩き出した。その背中を関本は感慨深く見送った。

「なんか秋津、めっちゃ人間」

 関本がこぼす。森にいた頃の秋津は浮世離れした、それこそ人間味のない男だった。

「そうだな」

 奥野は嬉しそうにした。

「まさか、秋津の恋バナをつまみに酒を飲む日が来るなんてね」

 関本は感動した。

「そうだな。しかも、秋津の奢り」

 奥野は笑みをこぼす。

「ねぇ! 森にいた時の私に教えてあげたい。あんた将来、秋津から恋愛相談受けながら、秋津に酒奢ってもらうよって! 絶対信じないね! 地球滅亡するって言った方が信じるわ!」

 奥野も同意だった。


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