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トマト  作者: ヒルマ・デネタ
Chapter 7
14/17

再来して嘘




 大学を卒業して、里波は縁のない土地へ引っ越した。須永も地元の市役所に就職を決め、卒業式の後、ふたりだけで中華屋で祝賀し、別れた。里波は結局、就職せずにフリーランスのライターになった。

 里波が書いた小説はそこそこ人気が出て、書籍化した。けれど里波はもう小説を書くつもりはなかった。その代わりに、ウェブ上でエッセイや本のコラムなど書くようになった。里波は小説を書いたことで、文章を書くことが自分の性に合っていることを知った。一日二回更新というノマルを決め、毎日エッセイもどきを続けていると連載の依頼が来た。その他にもブログのアフェリエイトや細々した仕事をもらい、里波はなんとか生活ができていた。須永に悪運強いよなと言われた里波は笑うしかなかった。里波は須永にも小説を書いたことを言ってはいない。ペンネームも「波際ササメ」にした。七絵がもしかしたら買ってくれているかもしれない、と里波は思った。コラムの仕事は本名でしている。関本や奥野、赤森とはもう去年の夏以来会っていなかった。

 七月になって、小説の映画化が決まった。里波が感動していると、マンションのエアコンが壊れた。里波はすぐに管理会社に電話した。混みに混んでいるからと、工事ができるのは一週間後だった。里波は絶望した。とりあえず、ノートパソコンを持ってチェーン店のカフェに避難した。この悲劇もネタにしようと、里波は下書きを書いて置く。里波はアイスティーを飲んで、印刷しておいた連載の原稿を推敲する。

「しっかり働いて偉いね」

 里波の身体は固くなる。知っている声だが、ふり返るのがためらわれる声。松崎は、里波の隣に座った。里波はガラス張り越しのカウンター席に座っていた。松崎は外を右手で指差す。その人差し指にはダイヤの指輪がはめられていた。

「前の道を歩いていたら、俊吾君を見つけてさ。嬉しくなって、会いに来たんだよ」

 全部嘘だと里波は分かっていた。原稿を伏せ、ノートパソコンを閉じた。

「なんですか?」

 里波は感情を押えて、冷たく聞いた。目を合わすつもりもなかった。松崎はダイヤの指輪を抜くと、伏せた原稿の上に置いた。怪訝に里波それを見下ろす。

「秋津だよ」

「は?」

 思わず、里波は松崎を見てしまった。松崎は嬉しそうな表情を浮かべた。

「秋津の骨で作った」

 店内のざわめきが、海底に沈んでゆく泡の音に聞こえるような感覚に里波は陥った。

「秋津は死んだよ」

 松崎は微笑んだまま里波に告げた。里波は、指輪を持つと松崎の前に返した。

「噓だ」

 想像よりも里波は大きな声が出た。

「君に愛惜を持ったから、彼は百年分の歳をいっきにとって死んだよ。僕は寂しい」

「そうは見えないけど」

 里波は言い返した。バックパックにノートパソコンと原稿を手早くしまう。

「俊吾君さ、僕と傷心旅行に行こう」

「行くわけないだろ」

 抑えきれない怒りのにじみに、里波の喉は震える。秋津は里波の感情には気に掛けず、話を続けた。

「僕、友達いないんだ。それで、考えた。いちばん僕の友達らしい人は誰かなって。それで、俊吾君かなって」

「ふざけるな、気持ち悪い」

 里波は吐き捨てて、立ち上がった。

「二度と俺の前に現れるな」

 里波はバックパックを乱暴に担ぐと、背を向ける。

「エアコン壊れただろう」

 松崎が言った。里波は表情を殺した。

「天気予報見てないのか? 今週はすごく暑いよ。俊吾君にとっても旅行は都合がいい」

 里波は飲みかけのアイスティーをそのままに、無言で店を出た。里波は歩く。その足はだんだんと速足になる。マンションのエレベーターに乗る。里波の部屋は五階だった。どうやって、と考えるのも無駄だった。玄関に入ると、里波はスマホを出す。奥野の顔が浮かんだ。連絡先も残っている。けれど、頼りたくはなかった。せっかく、松崎から離れたのに奥野をまた引きずり込むことは、里波にはできなかった。頼れるなら、赤森を頼りたかったが連絡先は知らなかった。ひとりでどうにかするしかない、と里波は決めた。このマンションにはいられないと、里波はバックパックに全財産と充電器を突っ込む。取り込んで畳まず、床に放り投げていた服と下着をぐちゃぐちゃのまま押し込む。ベッドの上のシグレが目に入る。さすがに無理だと里波はすぐに諦めた。デスクのペン立てから、カッターナイフを取る。もしもの時のためのお守りだと里波は言い聞かせる。むき出しでバッグにあるのはよくないと、ペンケースに入れた。クローゼットから帽子を掴むと、里波はすぐにマンションを出た。

 タクシーを捕まえ、ひとつ先の駅まで行く。電車に乗り、新幹線に乗った。新幹線の中からビジネスホテルを予約する。期間はとりあえず、二泊にした。ビジネスホテルに着くと、里波は途中だった原稿の推敲を終えて、直したものを先方に送った。もう、真夜中を過ぎていた。里波は、ベッドに仰向けに倒れる。

 秋津が死んだ。どうしてそんな嘘をわざわざ自分に言いにきたのか。里波は秋津の死が嘘だと確証もないのに信じていた。それは自分でも不思議だった。でも、松崎の言っていることが正しかったなら。不安を遮るように、里波はまぶたを閉じる。それは穏やかに、眠りになった。

 里波の目が覚めたのは、まだ午前四時だった。三時間ぐらいしか寝ていない。布団を抱きしめ、再びまぶたを閉じるが、思考は騒めき落ち着かなかった。それに、身体が冷えていた。里波はしょうがなく、ベッドから起き上がり設定温度を上げた。ベッドのふちに腰掛けて、ぼんやりする。温かいものが飲みたかった。部屋にはドリップコーヒーと緑茶のティーバックがあった。どちらも里波の気分ではなかった。チェックインの時、地下にカップの自動販売機があると説明してもらっていたことを里波は覚えていた。里波は財布を持って、帰ってきたらシャワーを浴びようと考えながら、部屋を出た。

 地下にはコインランドリーがあった。こんな時間でもゴウゴウ回っていた。コインランドリーの横に自動販売機がある。ホットココアのボタンを里波が押そうとすると、横から手が伸びてきてホットコーヒーを押した。その指にはダイヤが光っている。里波はぞっとした。そして、笑った。

「マジかよ」

 そうこぼして、壁まで行くと座り込んだ。松崎は里波を見下ろす。

「旅行でしょう? 僕の行きたいところと違ったけど、僕は意外と合理主義じゃない。無駄な時間や寄り道は気分転換になるからね。好きだよ」

 里波はトラウマを押し込む。シグレをバックパックの中身をすべて出してでも押し込むべきだったかと里波は反省した。バックパックを開けて、無理矢理に押し込まれたシグレの顔を想像で、里波の心は気休めだけれど、優しくなる。

「あんたが好きなのは秋津さんだろ」

 自動販売機がピーピー鳴る。

「コーヒーできたよ」

「コーヒー飲めねぇ」

「そうなの?」

「あんたが押したんだから、あんたが飲めよ」

「しょうがないなぁ」

 松崎は素直にコーヒーを飲んだ。

「僕は別に秋津が好きなわけじゃないよ」

 松崎が言った。

「どちらかと言えば、気に食わない」

「じゃあなんで、傷心旅行なんてほざいたんだよ」

「生きてる時に何があっても、人が死んだら傷つくだろう?」

 松崎は白々しく言った。里波は立ち上がる。

「部屋戻るから」

「二泊三日だっけ? ゆっくりしなよ。明日の朝、十時にロビー集合ね」

「キモチワルイ」

 里波は嫌悪感を投げつけて、非常階段から部屋に戻った。身体は冷たいままで、熱い風呂に浸かった。

 逃げても無駄だが、それでも逃げるか。松崎はどこまで追ってくるのか考えた。どうしてこんなに粘着質になる。秋津が死んでいないなら、秋津は松崎の元から逃げたんじゃないだろうか。里波はそう、考えた。松崎は、里波を人質にして秋津を呼び戻そうとしているのではないか。考え過ぎかもしれないが、その仮定が里波はしっくり来た。秋津は自分が逃げれば、松崎が里波に接触することは分かっていたはず。松崎が二度と、里波の前に現れないようにあの雪の日に秋津は里波の元を去ったのだから。里波はホテルの窓から秋津の姿を捜してみたが、当然見つけられなかった。もしかしたら、本当に秋津は死んでいるかもしれない。それでも、逃げて里波に会いに来なかったのならば、里波はこのまま松崎と一緒にいるべきだと思った。それがけしてうぬぼれで、馬鹿を見たとしても、秋津の想いを感じるのならば目を背けることはできなかった。自分が傷つくだけならそれでいい。朝の十時、里波は松崎をロビーで待った。




「秋津さんはなんで死んだの?」

 里波は畳に浴衣から足を伸ばす。温泉旅館だった。部屋に露天風呂も付いている。髪を濡らしたまま松崎は、茶を飲んでいた。

「やっと信じた?」

「信じてないけど」

 里波はぶっきらぼうに言い返した。けど、と続ける。

「なんでそんな極端な嘘を吐いたのか気になっただけ」

 松崎は黙ったままだった。里波は横目で松崎の様子を伺う。

「俊吾君は、さぐりをいれるのがヘタクソだよね」

 松崎は指からダイヤの指輪を抜くと、飲みかけの湯呑みのなかに落とした。そして立ち上がると、里波の傍にきてかがむ。

「なに?」

 嫌な予感に里波は松崎を睨む。松崎は湯呑みを差し出す。

「どうぞ」

 松崎は笑みを浮かべる。里波は無言の抵抗をする。松崎は湯呑みのふちを里波の唇に付ける。里波は頑なに唇を閉じた。そんなことはおかまいなしに、湯呑を傾ける。ぬるいお茶は里波の唇をつたい、こぼれ、首元と浴衣を濡らした。底には指輪だけが残る。松崎は湯呑みを揺らす。指輪が転がりカラカラ音を立てる。

「これを飲み込めば、秋津とひとつになれるよ」

 里波は松崎の手から湯呑みを叩き落とした。

「頭おかしいぞ、あんた。知ってたけど」

 静かに里波は言った。

「僕も知ってる」

 松崎は小馬鹿にしたように返した。

「おかしくなった方が楽なことがあるだろう?」

「ひとりでおかしくなっとけ、バーカ!」

 里波は立ち上がると、ベッドまでドシドシ歩く。布団を抱える。バックパックも忘れずに持つ。

「いっそう、死んだ方がキリがいい」

 松崎は言った。里波はその言葉を深く受け止めないように努めた。

「秋津はそろそろ帰ると僕に言った。どこに帰ったんだと思う? 君達が住んでいた借家ではないよね? 幽霊になってひとりで住むには寂し過ぎるからね」

「天国にとかでも俺に言って欲しいのかよ?」

 里波は嫌味たらしく、聞き返した。松崎は声を上げて笑う。

「あいつが天国に行くと思ってるのか?」

「思うでしょ。秋津さんはいい人だ」

 里波は当然のように言った。松崎は畳に落ちた指輪を踏みつけた。

「秋津は悪い奴だ。存在するだけで、僕を傷つける」

 里波はもう相手にしなかった。バスルームに鍵を閉め、籠城した。温泉があるおかげで、使っていなかった。里波は浴槽に布団を置くとその上にうずくまるように寝た。手にはスマホとカッターナイフがあった。里波はスマホのGPSで居場所を確かめた。そしてカッターナイフを握って、眠った。

 次の日に里波は古民家に連れて来られた。玄関にウサギの木彫りがあった。松崎がこんなのあったかな、とそれを掴むと川に捨てた。

「この家を買った時、掃除もしてもらったから綺麗だと思うよ。気になるなら自分で箒ではいて。空気を入れ替えないとね」

 松崎は家中の窓を開ける。

「この村、まだ人は住んでるよ。お隣さんはここから見えないけどね」

 松崎は背伸びをして、遠くを見た。周辺にある民家は、誰も住んでいなかった。松崎はスマホを確かめる。

「電波はあるね。僕は周辺を散歩がてら探索するよ。一緒にどう?」

「疲れたから、寝る」

 里波は二階に上がった。戸を閉めると、スマホで場所を確かめる。住所見れば、知っている場所だった。秋津の生家がある村だ。里波は秋津に聞いた生家の場所を忘れないようにメモをして、覚えていた。秋津が最初に帰ろうとした場所だ。これは明らかな松崎の罠だった。分かりやす過ぎて、気づかないふりをするのも馬鹿馬鹿しいぐらいの罠だった。秋津は里波が住所を知っているのを知っている。何かあるはずだ。里波はそう信じたかった。里波が秋津を特別だと思っているように、秋津も里波を特別だと思っていると信じたかった。裏切られてもいい。勝手に信じただけだ。長い夢はもう見た。それはあの小説に閉じ込めた。里波は外へ出る。

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