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トマト  作者: ヒルマ・デネタ
Chapter 5
10/17

帰りたいところ




「白髪って加齢だけが原因じゃないからね。ストレスもあるから。体質とか」

 関本は淹れたての緑茶を飲む。ずれたひざ掛けを持ち上げる。森は凍える冬の空気に厚く包まれていた。受話器を掴む手も冷える。

「そういうこといわないでよー。でも、ストレスか。ありえるよなー」

 里波は反論したがすぐに弱気になる。里波はシグレの顔をぽんぽん叩く。

「だって、一本でしょ?」

 関本が言う。

「一本あったら十本あるでしょ!」

「そういうこと言わないで。私、今朝白髪抜いたのよ」

 関本が真剣に言った。

「あ、はい。すみません」

「まあ、でも様子見がいいと思うよ。いままで通りにね」

「うん」

 いままで通りは無理な気がする。そんなことは里波は関本に言えなかった。

「おじいちゃんに変身したら、それは急いで教えて」

「変身って」

 里波は笑う。関本は、いつでも電話しておいでと付け加えて、電話を切った。デスクから緑茶の入ったマグカップを持ってテーブルに移動する。

「待たせたね」

 奥野の斜め向かいに関本は座る。奥野は買ってきたおはぎを広げていた。

「お茶、淹れなおすか?」

 奥野が聞く。

「いい。このマグ保温効くやつ。土産のセンスいいよね、奥野。ここにいたら、和菓子って食べる機会ないんだ。きな粉、もーらいっ」

 きな粉のおはぎを掴むと、関本は大きく頬張った。奥野はあんこのおはぎを取りながら聞いた。

「正月は帰らなかったのか?」

「帰ったよ。街にくり出して福袋、しこたま買った。眼鏡ケースが二個入っててね。帰る時、あげる」

「それはどうも」

 奥野はたいして嬉しくなかった。関本は二個目のおはぎを取る。あんこがテーブルに落ち、拾って指を舐める。

「里波君は、よく電話をかけてくるのか?」

 関本はおはぎにかぶりつきながら、首を横に振った。

「里波は久しぶり」

「里波、は?」

 奥野が引っかかる。関本は緑茶でおはぎを流し込む。

「関本佐和のお悩み相談室。色々かかってくるのよ」

 はぐらかしてみたが、関本は早めに話を進めた方がいいと、手を拭いて座り直した。

「秋津が愛惜を持ちつつ、ある。もうすでに持ってる、かもかも?」

「真面目に話せよ」

 愛惜の対象について、お互いわざわざ口にしなかった。

「秋津がただの人になる。それは私もあんたも望んでたこと。でも、秋津がただの人になったからって、里波任せで放り投げるわけにはいかない。私達も、責任を果たさないと」

「それは、考えてる。里波をここに連れてきた時から」

 窓の外は冬の森。静かに静かに、包んでいる。

「松崎をどうにかできるの?」

 関本が問う。

「やるしかない」

 奥野は中華屋で里波に声をかけた日から、覚悟は決めていた。





 里波はカチューシャを付け直す。前髪が伸びてきて、また自分からするようになった。おでこを見せると、秋津がよく触れて来るのが、里波は正直悪くなかった。里波が部屋から出ると、秋津は新聞を床に広げて読んでいた。

「お米炊くけど、二合でいい?」

 里波は秋津のつむじを見下ろす。白髪はない。

「いいよ」

 秋津は新聞をめくる。寒波の記事を見る。

「来週、雪降るかもって」

 秋津が言った。

「えぇ、やば。買い溜めしとこうか」

 そうだねーと、秋津は間延びした返事をする。里波は米を洗い、炊飯器にしかけ、予約する。台所の棚を点検する。袋ラーメンと鍋の素を買い足しておこうかと、里波は考える。居間に戻ると、秋津はまだ新聞を読んでいた。里波はその背後に座る。

「買い物行く?」

 里波が聞く。

「そうだねぇ」

 どっちつかずの返事をする秋津。里波は秋津の背中に頬を付ける。

「どっちだよー」

 里波は頬を付けたままずれ落ちて、寝そべった。すると、秋津が仰向けに倒れた。

「おぼっ!」

 お腹にきた重みに里波は声を上げる。

「ははっ! 変なこえー」

 秋津が里波のお腹を枕にする。

「買い物いかねーのかよー」

「行こう。買いこもう」

 口ではそう言うのに、秋津は動かない。里波も急かさない。心もとない穏やかな日々が過ぎた。里波は迷ってから、口を開けた。

「三月にさ、うちの親が帰国する話したじゃん?」

「ああ」

 秋津の相槌がお腹に響いて、里波はこそばゆかった。

「俺の両親と一緒に、ご飯どう?」

 気負いなく、里波は誘ったつもりだったが、緊張した。秋津はすぐに返事をしない。

「そういうの、苦手だったら、遠慮せんで言って。この間の親との通話で、そういう話が、なんとなくさ、出ただけだから」

「行くよ」

 秋津は起き上がると、里波の顔を見る。

「行く。お土産は何がいいかな?」

 里波は満面の笑みを浮かべた。そして、起き上がる。

「酒がいいかも。うちの親、スパークリングワインが好き」

「いいね。買い物ついでに、ちょっと覗きに行こう」

 近所のスーパーで買い物を済ませる予定が、ショッピングモールまで行った。秋津は遅いよりいいからと、ワインを選んだ。食材売り場で、肉も野菜も菓子も缶詰もたくさん買った。買い過ぎて、ふたりはタクシーで帰った。夕食に里波がミネストローネを作り、秋津がピラフを作った。台所でふたりは並ぶ。そして、ラベンダーのボディクリームがなくとも、ふたりは触れあうことにもう、理由は見つけなかった。

 年が明けてから、秋津は求人情報サイトをよく見るようになった。里波は気がついていたが、口には出さなかった。

「俺、仕事するなら何がいいと思う?」

 それなのに秋津は自分からその話を里波に振った。秋津には戸籍がきちんとある。健康保険証だって持っている。運転免許は持っていない。里波は本を閉じると、ちゃぶ台に置く。

「秋津さんなら何でも器用にこなしそうだけど。やりたいのやったら?」

「やりたいのがない」

「じゃあ、やれそうなのは?」

「だいたいやれそう」

「相談する気ある?」

 里波は呆れた。

「でも、どうしたの? 働きたいなんてさ」

「久しぶりに働いてみようかなって」

 秋津は適当なことを言った。

「農業以外に何やったことあるんだよ」

 里波が聞く。そうだね、と秋津は百年を思い返す。

「イタリアンレストランで皮むきしてた。あと、植木屋に配達員。あとは、何しただろ? 案外、ちゃんと働いてないんだね、俺」

 秋津は長い人生をふり返る。

「お金とか、どうしてたの?」

 ずっと気になっていたことを里波は尋ねる。

「秘密の金庫があるんだよ。篁家が俺らみたいな奴らが困らないように、そういう個人機関を設けていたんだ。それが、森だよ」

「そうなの?」

 里波は驚く。

「篁は金があった。森は元々、資金洗浄の仕事をしていた」

「ヤバい金じゃーん」

 里波は嘆いた。秋津が何を今さらと思う。

「お前も森に行ったんだから、分かるだろう。あそこはお天道様の下じゃないって」

「秋津さんと暮らして麻痺ったのかも」

「よく言うよ」

 笑って垂れた黒髪の一束を秋津は耳にかける。

「森は松崎に目を付けられて、研究所みたいになった」

「でも、関本さんが昔のカルテがあるって話した。不老の人達の」

「半分は不老の人間の隠れ家であり、もう半分は療養所だった。森が松崎のものになってから、俺は金を持って出て行った。それからまあ、適当に暮らした」

 さらりと秋津は濁す。耳にかけた黒髪はまたすぐに垂れた。

「けど、松崎が森に帰れとうるさくてね。金もなくなって来た。俺も帰りたいって気持ちになった。いつもどこかに帰りたいと思っていた。けど、それは森じゃなかった」

 秋津は冬の庭を眺める。里波は、黒髪が隠す秋津の横顔を見つめる。

「じゃあ、どこだろうって考えて、生家だろうなって漠然と思って。他にいいところは思いつかなかったから。百年経っても場所は覚えてた。けど、竹林が凄くて、自分がどこを歩いてるか分からなくなって。ろくに飯を食べてなかったせいもあるけど、緑に飲み込まれて気を失った。目が覚めたら、森だった。それからずっと何も見えなかった」

 秋津は里波を見つめ返した。

「今はよく見える」

 里波は嬉しかった。今日の秋津はよく喋った。

 二日後、秋津は日雇いの仕事に出かけた。派手なジャンパーを着て、矢印の描いてある看板を持って、道の端に置いたパイプ椅子に八時間座っている仕事だった。

「バイト代、即払だったから。プレゼント」

 帰って来た秋津は里波に文庫本を差し出した。里波がずっと読んいる作家のデビュー作だった。

「もう読んだだろうけど」

 里波は首を横に振った。

「ううん。まだ読めてない。俺、最新作から読んでるから、この小説は最後に読む予定だった。ありがとう」

 里波は優しく文庫本の表紙を撫でた。秋津はその様子に満足した。

「しまってくるね」

 里波は自室に戻ると、デスクの引き出しにそっと文庫本をしまった。居間に戻ると、秋津がちゃぶ台の上にあったレポート用紙を見ていた。

「ああ、それ」

 レポート用紙には箇条書きでメモが書かれていた。

「あ、ごめん。何かと思って」

 秋津が謝った。

「いいよ。見られて困るもんなら隠してるし。俺さ、全然就活してないじゃん。そろそろやらんとなって。それに向けてやることリスト。汚いメモを箇条書きに書き直してた」

 里波はレポート用紙を折りたたむ。

「俺も書こうかな」

 秋津が言った。え? と里波が聞き返す。

「やることリスト」

「いいね。レポート用紙あげようか?」

「ちょうだい」

 秋津はちゃぶ台の上で悩んでいたが、里波が見る限り、紙は真っ白だった。

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