第七十七話「痛みの在処」
――視点が上手く定まらない。
指先が痺れ、次の瞬間には全身が冷たい膜で覆われたようだった。
血の気が、音もなく引いていく。
操縦桿を握る手から力が抜け、流那の腕が重力のままに垂れ下がった。
「………………」
俯いた顔は目を見開き、声も出さず、目の前の現状から必死に逃避しようと、働かない頭に命令を送る。
(……なに……これ……? 嘘よ……)
感覚も音も消えた世界で、流那は一人、助けを求めた。
(嘘よ……嘘よ、嘘よ嘘よッ! ……助けて……誰か助けてよ……ッ!?)
出ない声の代わりに、その瞳からは冷たい涙が溢れだす。
ぽたぽたとコクピットの床を濡らし、流那の心は、ただただ恐怖に支配されていた。
精霊が復活する――
それは、流那にとって希望だった。
かつて喪った友を――マリンを、再びこの世に呼び戻せるかも知れないと願った、祈りそのものだった。
「フぅうー……ここは、ダイタニアかァ?」
近くの岩場に降り立ったディーネはゆっくりと辺りを見回す。
一際目を引く電神――ドラゴンゾンビが目の前にいると言うのに、ディーネは視界に映っていないかのように、状況を考えていた。
「……あたしは、再構成されたんだな? フ、ふふ、フふふふ……アーっハッはっハーーーッ!!」
ディーネは仰け反ると高笑いを上げる。
「……どうして……」
流那は搾り出すように声を上げるが、ディーネの耳には届いていない。
「いいねェ、ルナぁ……キミのおかげかい? ククっ!」
ディーネは半身を蛇のように捻り、ベルファーレを一瞥した。
「ッ!」
流那は大きくその身を震わせる。
蛇に睨まれた蛙のように、彼女はただ歯をガチガチと鳴らした。
「ルナが願ってくれたんだろ? あたしを喚んだのは、アンタだよ……」
ディーネの声のトーンが低くなり、流那に向け言葉の刃を投げつける。
「マリより、あたしの方が忘れられなかった? 殺したくせに、ちゃんと覚えてるじゃない!?」
そしてまたディーネは高笑いを上げる。
流那は青ざめた顔で考えようとする。
(……私が喚び出したの? 私にとって、万理の死より、ディーネの方が深く残っちゃってたのッ!?)
流那はもう、今流している涙が何のための涙か分からなくなっていた。
コクピットに入り込むダイタニアの外気がいやに冷たい。
そんな中、二人の動きを分析していたドラゴンゾンビが動いた。
それも、ディーネ目掛けて――
自分に向け振り下ろされた尻尾攻撃を、ディーネは斜に構えて余裕の表情で迎え撃とうとする。
「フフン!」
一先ず跳躍して躱そうと、ディーネは脚に力を込めようとした。だが――
「あァッ!?」
脚に力が入らず、その場にしゃがみ込んでしまった。
躱せないと判断したディーネは胸の前で両腕をクロスさせ、電神の尻尾攻撃をもろに食らい、吹っ飛んだ。
「おグっ!?」
ディーネは宙を滑るように吹き飛ばされ、小高い岩肌に派手にぶつかり、窪みの中から地面に向け唾を吐き出した。
「……なんだ? 力が、入らない……」
それを見ていた流那は、電神の狙いが自分から逸れたことより、ディーネの目が自分から離れたことに、僅かばかりの安堵を覚えていた。
「……いい気味よ……」
いっその事、このまま潰し合ってくれたら……
流那はそんなことを思ってしまう自分に普段なら嫌悪を覚えていたかも知れない。
だが、相手はあのディーネだ。
情をかけてやる理由が一つもないと、自分の良心に言い聞かせた。
「ぐッ! クソっ!!」
またディーネがドラゴンゾンビの攻撃を受け、痛々しく岩肌にめり込む。
流那は咄嗟にモニターから目をそらした。
激しく立ち上った土埃の中から、苦痛に顔を歪めたディーネが目の前の電神を見据えながら、今度は紅い唾を吐く。
(……この体、まったく万全じゃないでやンの! それにコイツ、野良電神にしちゃあ、強すぎるなァ……)
ディーネの顔は相変わらず不敵な笑みを浮かべている。まるで、勝ち負けより、今が楽しければそれでいいとでも言わんばかりに。
(早く、終わって! 終わっちゃってよおッ!!)
流那は眼前の一方的な戦闘を直視できずに、パイロットシートの上に膝を抱えて丸くなり、ただこの時が過ぎ行くのを願った。
ディーネは赦せない。
どう足掻いても赦せはしない。
だけど、自分がころ――消滅に追いやったのも、事実だ……。
それは紛れもなく一生自分に付き纏うだろう“罪”。
どんなに悪人だったろうと、この手を汚したことには変わりはない……。
流那は涙に濡れた顔を上げ、モニターを霞む目で見やる。
相変わらずディーネは劣勢のようだった。
「ねえ万理……私はさ、本当に、あんたに戻ってきて欲しかったんだ。それだけは、信じて……?」
流那は震えるまま、操縦桿にその手を掛けた。
「でも、心の何処かでいつも思ってた。私は、人を殺しちゃったんだって……恐ろしかった……!」
ベルファーレの脚に魔力が行き渡り、幼子の泣き声のような駆動音が大地に響き渡る。
「……だからさ」
流那は、一度だけ目を閉じた。
「これは……多分、私への罰……」
流那は感覚の戻り始めた指先に掛けた操縦桿をゆっくりと前方に倒した。
ベルファーレが大地を踏みしめ、拳を強く握りしめる。
見上げた空が青い。
静かに澄み渡った、かつての友の瞳の色みたいに――
流那はキッと正面に向き直ると、掠れた声で叫んだ。
「天国にいるあんたを――失望させるわけにはいかないのよッ!! うぅああぁあああぁあーーーッ!!!」
「ッ!?」
突如走り込んできたベルファーレの姿にディーネが面を食らう。
(チっ……不完全で復活させやがって……まーたあたしはルナに――)
ベルファーレの魔力をこめた拳はディーネの脇を通り越し、ドラゴンゾンビの胴体を撃ち抜き、今度は逆に相手が岩にめり込むくらい吹き飛ばした。
「ハァっ! ハァっ! ハァっ!!」
全身で息をする流那。
依然、顔色は悪いままだったが、何故だか魔力は充実しだしていた。
「………なさい……」
「?」
ディーネには流那が何か呟いたように聞こえたが、自慢の聴力でも聴き取れないほど、その声は小さかった。
流那は一瞬だけ、拳を握りしめた。
それから、もう一度、手を開いた。
頭のヘッドホンを外すまでもなく、今度はディーネにもハッキリと聞こえた。
「来なさいッ!!」
流那はベルファーレのコクピットハッチを勢いよく開け、その手をディーネに向け差し出したのだった。
『超次元電神ダイタニア』
第七十七話「痛みの在処」
巨人から差し伸べられた細い腕を、ディーネはキョトンとした顔で見る。
岩と土の乾いた大地に一陣の風が砂埃を巻き上げ通り過ぎていく。
ディーネはすぐにいつもの人を小馬鹿にしたような顔に戻ると、ドラゴンゾンビに向き直り相手を見据える。
「今いいとこなンだからさァ、邪魔しないでよルナぁ」
流那は吐き気を堪えながらも続ける。
「……あんた、どう見ても普通じゃないでしょ? 来なさい。逃げるわよ」
何が可笑しかったのか、ディーネは奇妙な笑い声を上げた。
「あハハっ! 少しくらいハンデがあった方が、面白いじゃン……」
そう笑って言うディーネだったが、顔は笑っていなかった。彼女は再びドラゴンゾンビに向かい飛びかかった。
「《氷の槍》ッ!」
ディーネのドロップキックが氷柱のような鋭い槍へと変化し、電神に襲いかかる。
電神は避けようともせず、氷の槍は胴体に跳ね返され、粉々に砕け散った。
ディーネは身を翻し、近くの岩場にバランスを崩しながらも着地した。
その口元は尚も弧を描いてはいたが、目は笑っていなかった。
(……かなり、弱い。あたしの魔力、どうしちゃったのさ……)
後ろから重厚な足音が近づいて来て、ディーネを追い越し、ドラゴンゾンビの前に立つ。
ディーネはそのそびえる背中を見上げ、白い八重歯を見せながら噛みついた。
「やいやいルナ! どういうつもりだい!? そいつァあたしの獲物だヨっ!」
「……」
流那は応えず、ベルファーレの魔力制御に神経を割く。
(《呪い》が解けたところで、私とベルファーレだけでどうにかなる相手? 何か……何か……)
流那はディーネを見ずに、後ろ脚二足で立ち上がり対峙したドラゴンゾンビから目を逸らさないように観察する。
(狙うなら、装甲と装甲の継ぎ目……あの胸の部分……)
流那が狙いを相手の胸部に定めた時、ドラゴンゾンビが再び四足で前屈みになり突進してきた。
「くッ!」
ドラゴンゾンビの突進を、ベルファーレは正面から受け止めた。
「あぐ……うぅ……ッ!」
足裏で大地を削りながら、後退る。受け止めきれていない。
(押し返せない……ッ!)
腕が震える。操縦桿を握る指先に、また感覚が遠のきかける。
「《光鎖拘束》!」
光の鎖が地面から立ち上がる。
だが、ドラゴンゾンビの動きは止まらない。
鎖は届かず、虚空で霧散した。
(……ダメだ)
喉の奥がひくりと鳴る。
逃げる、という選択肢が、頭をよぎる。
地面を粉砕し、岩片を巻き上げながら二機は大地に窪みの線を引いていく。
「このッ!」
「……お前ら、いい加減にしろヨ……」
逆光の中から、ディーネが姿を現した。肩で荒く息をしながら、それでも口元だけは歪めて笑う。
「勝手に二人で盛り上がってさァ……」
次の瞬間、地面を穿つ衝撃。
ベルファーレとドラゴンゾンビの衝突が止み、二機の組み合いが解けた。
流那は地面に穴を穿った人物に恐る恐る視線を向ける。
そこには、怒りに顔を歪め、肩で息をするディーネの姿。
「はァ! はァ! あたしを無視して二人で楽しンでんなヨ!? あたしも混ぜろッ!」
「……」
流那は何も言わずに、再び視線をディーネからドラゴンゾンビに移した。
(……相手にしてらんない。そんなに戦いたいんなら勝手にすれば?)
ベルファーレからも脚部に甚大なダメージを受け、モニターにアラートが点滅し、この戦闘が長くは続かないことを告げていた。
何も言い返してこない流那に、ディーネも面白く無さそうに視線を前のドラゴンゾンビに戻す。
「……チっ!」
ディーネは舌打ちしながらも、次の流那の出方を密かに伺っていた。
(……さっき、何か狙ってたよなァ……。抜け目ないルナのこと、逃げるとか言いながら倒すことを考えてるハズ……だったら――)
ディーネがドラゴンゾンビの懐まで猛ダッシュで駆け寄る。
「だったらあたしが先に倒すまでだッ! 《水の砲弾》ッ!!」
ドラゴンゾンビの胴体の下から首元にかけて、間歇泉でも噴き出したかのような極太の水の柱が立ち上った。
(クッソ! 持ってけ全魔力ッ!!)
ドラゴンゾンビの巨体が水圧で押し上げられ、その首をもたげ後ろ脚立ちになる。
「ッ! 《地球拳》ッ!!」
流那はその隙を見逃さなかった。
眼前に剥き出しになったドラゴンゾンビの胸部装甲の継ぎ目めがけて、高速の右拳を撃ち込んだ!
ドラゴンゾンビは金属のひしゃげる音と共に、絶叫のような駆動音を響かせ、数歩後退りする。
その胸部は装甲が剥がれ落ち、内部フレームが露出するほどの確かなダメージを負っていた。
「……入った」
拳を握ったまま、流那は小さく息を吐く。
――終われる。
そう思いたかった。だが――
「はァっ! はァっ! ……どうだいルナ? 相手をぶん殴るのは気持ちいいよねェ……? 次は、あたしの番だかンね!?」
暴力を肯定するディーネの言葉に、流那は素直に否定できなかった。
実際、自分が振るっているのは、紛れもない“暴力”だ。その力で現状を打開しようとしている。
何より、一度その力でディーネの生命を奪っている……。
砕けた骨の感触も、止まった呼吸の重さも、まだ掌の奥に残っている……。
「あハ! その顔だヨ、ルナ。アンタ、殴る瞬間だけ――生きてる顔してる」
流那の心を覆う暗い感触。
それは、沈んでいくようなものではなかった。
足元から絡みつく何かに、少しずつ身動きを奪われていく感覚。
逃げ道を一本ずつ塞がれ、気づけば、同じ場所を回り続けている。
そんな、見えない輪の中に――
胸部装甲が剥がれ落ちたドラゴンゾンビの動きが先程とは打って変わり、緩慢になっていた。
流那は冷や汗を拭いながら操縦桿を握り直す。
「オ!? さっきのが効いたカナ? このままぶっ壊して――」
ディーネがフラつきながら立ち上がり、もう一度ドラゴンゾンビに向かって行こうと構えた時、視線が一点を見つめ、言葉を止めた。
流那はその違和感を感じ取り、ディーネの視線の先を見つめる。
そこにはドラゴンゾンビの開けた胸部。肋骨のような金属の内部フレームの隙間から、コクピットが覗いていた。
「……あれは?」
流那は目を凝らすとコクピット内部に、風に揺れる白い布が見えた。
その布に幾本ものコードが絡みついている。
人間より五感が鋭いディーネには、その白い布切れが何であるか、判断がついてしまった。
「……フン」
ディーネは低く鼻で笑うと、流那に向き直る。
「ルナぁ? 一つ提案だ。あたしがその電神の魔力供給をしてあげる」
ディーネの突然の提案に流那は身構えた。
「……何よ、今更」
「だからさァ、その電神、あたしに使わせてよ? あたしの電神出せないみたいでさァ?」
「…………」
流那はベルファーレのハッチを今度は慎重に開けた。
「よッ!」
そこにディーネが一飛びで入ってきた。流那の肩が一瞬ビクと硬直する。
コクピット内を品定めするように見回すと、シートの隣りに来て流那を見下ろしながら言う。
「ドーモ、世話になるヨ」
いやらしい笑顔に嫌悪感を顕にしながら流那は前のモニターに視線を向け低く呟くように言った。
「……生憎だけど、ベルファーレの操縦は渡すつもりはないわ」
「あぁン!?」
「でも、協力してあいつをやっつけるってのなら、手を貸してあげる……」
「フぅ……」
ディーネは少し考え、落胆のため息をつきながら、流那と同じく前のモニターに目を向ける。
「わーかった、それでイイ。じゃあ、チャッチャとアイツぶっ壊そう!」
流那はディーネに心に引っ掛かった疑問を素直に問う。
「ねえ、なんで今になって共闘する気になったのよ?」
「あァ? 別にィ……」
一瞬言い淀んだディーネの声を、流那は聴き逃さなかった。
「言いなさい。でないと、協力はなし」
「ア!? オマエね? どっちが協力してやってると思ってンの!? 勘違いしてンじゃ――」
ディーネは苛立ちを見せ、その語尾が強くなる。だが、流那はその言葉に被せ、言う。
「強い言い方で威そうとしても駄目よ。私にだって、訊く権利くらいあるわよね?」
流那の声が凛としてコクピット内に響く。
操縦桿を握る手の震えを、悟られないように努めながら――
ディーネは不機嫌な顔のまま、両腕を首の後ろで組み、つまらなそうな声で答えた。
「見えるかよあそこ、さっき開けた穴の所」
流那は言われるままに再度目を凝らしドラゴンゾンビの胴体の風穴を見つめる。
「見えるわよ。白い布が配線に絡まってる」
「白い布? フフ……」
ディーネは軽く鼻で笑って、低い声で続ける。
「……アレ、人だヨ」
「人ッ!? じゃあ!」
流那が何か言うより先に、今度はディーネが言葉を被せてきた。
「ああ……。あンにゃろう、ボロボロじゃねーの……」
「ッ!?」
ディーネのその言葉に、流那は衝撃を受け、次の言葉を発するのに暫しの時間を要した。
無音にも近い、静寂がコクピット内を支配する。
「……知り合い、なの?」
恐る恐る流那が訊く。もし人だとしたら、到底無事だとは思えない。
それどころか、生きてる保証だって――
「まあ、ね」
ディーネの声色は驚くほど落ち着いていた。
流那はその落ち着き具合に違和感を超え、恐怖を感じ始めていた。
「……だったら、どうしてそんなに平然としてられるのよ?」
流那は震える声でディーネに問うた。
「あ? オカシナことを訊くねェ……」
ディーネはチラと横目で流那を見てニヤリと笑った。
「ヘマをしたのはあたしじゃない、ノーミーのヤツだ。あたしは何も痛くない」
それを聴いたあと、流那は詰まりそうになる胸に息を吸おうとしたが、上手く吸うことができなかった。
【次回予告】
[流那]
倫理とか、道徳とか、
学校の授業で習うけど、
自分が生きるために必要な哲学は
自分で見つけて信じていくしかない……
次回『超次元電神ダイタニア』
第七十八話「命の道標」
どうして、そんなこと言えるのよ……




