Data34:「あの日それから」
ダイタニアから戻って五ヶ月が過ぎた、一月十七日――
その日は、数日続いた寒波が嘘のように陽射しが白く降り注ぎ、真冬にしては不思議なほど穏やかな日だった。
迫田進一は黒のスーツに身を包み、静かに焼香をあげる。
実家が寺院ということもあり、この香りには幼い頃から慣れ親しんでいた。
けれど毎年この日だけは、同じ香りのはずなのに、少しだけ鼻の奥に残る気がしていた。
焼香を終え、墓地へ向かおうとした時だった。
境内の端に見慣れた姿を見つけ、進一は思わず足を止める。
ダークスーツ姿の相川まひるが、静かに立っていた。
「相川さん……? どうしてここに?」
声をかけると、まひるは小さく頭を下げた。ゆっくりと顔が上がる。
その表情を見て、進一は胸の奥が少しだけ痛んだ。
「……これから墓参りなんだ。一緒に、行くかい?」
言ったあとで、自分でも少し驚いた。自分から誰かを誘うなんて、思っていなかったからだ。
「…………」
まひるは俯いたまま何も言わない。けれど、その沈黙だけで十分だった。
進一は小さく笑う。
「……あなたには、会って欲しい」
その言葉に、まひるがゆっくり顔を上げた。
「……いいん、ですか……?」
少しだけ、声が掠れていた。
「俺もね、ご家族からは毎年“もう来なくていい”って言われてるんだ」
苦笑いしながら肩を竦める。
「勝手に、自分で来てるだけさ。だから――ね?」
進一は先に歩き出した。
後ろから、少し遅れてついてくる足音が聞こえる。
振り返らなくても、それで十分だった。
砂利を歩く音が、どこか現実味をなくさせる。
墓地までの道すがら、まひるが少し前を歩くその背中に呟くように話しかけた。
「……迫田さん。球子たちのこと、本当にありがとう御座いました」
「だから何回目だい、それ」
出来れば進一はこの話を長く続けたくはなかった――
まひるの歩みが止まる。
「あたし、自分で支えるって言いながら、結局――」
「相川さん」
進一が無理矢理まひるの言葉に重ねる。
「あの時も言ったと思うが、君たちに経済的に負担をかけるつもりはない。そのくらいさせてくれ。ただでさえ、あなたには里親なんて重圧を――」
今度は進一が言葉を詰まらせる。
自分の使った言葉のニュアンスの違いに自ら気づいたことと、やはり、見たくなかったこの沈んだ彼女の顔を見てしまったからだった。
「……重圧という言い方は変だな。ごめん。あなたが自ら選んだことに……」
「いいえ……」
進一は完全に歩みを留め、まひるに向き合い、ひとつ空を仰いだ。
神々しい陽の眩さに目を細める。
「あのさ、相川さん」
ゆっくりとまひるの視線が進一に向けられる。
「はい」
「……そんな顔されると困る」
「え?」
「俺がやりたくてやってるだけなんだ」
「でも――」
「って言っても、あなたは絶対また気にするだろうけど」
進一が苦笑して肩を竦める。
「……俺は、そんな形であなたと関わってたいわけじゃないんだがなあ……」
「え?」
「いや、何でもない。とにかく、本当に気にしてくれるな。あなたにそんな顔をされるのが一番堪えるんだ」
「ご、ごめんなさい……」
更に小さく縮こまるまひるに、進一は慌てて続ける。
「あ、いや! 違う! あなたが謝ることじゃなくて、その――」
進一の妙な慌てぶりにまひるもようやく事態のおかしさに気づいた。
「……?」
「……その顔、見てると落ち着かないんだよ」
「え?」
「いや、だから! ほら行こう!」
進一は誤魔化すようにまた前を向いて歩き出した。
既に身内の者は墓参りを済ませたのか、墓前には人の姿はなかった。
進一とまひる、ふたりが墓石の前に立つ。
まだ一本しかない塔婆と、刻まれた戒名を見て、まひるは目を閉じ、深く息を吸い込んだ。
進一が膝を折り、スーツの内側から線香とライターを取り出すと手際よく火をつけていく。
まひるの前に、彼の手から香煙くゆる数本の線香が差し出された。
「さ……」
まひるはそれを受け取ると、同じく膝を折り、彼と隣り合って線香を上げる。
冬の冷気に混じる今日の陽射しが、手を合わせるふたりをしばし現実から遠ざけ、時間を忘れさせた。
どれくらい手を合わせていただろう。
ふたりは同じくして顔を上げると、そのまま眼前の墓石を見上げる。
そして、柔らかく、ゆっくりと進一が口を開いた。
「……十三回忌、だってね。もう、そんなに経つのか……」
進一の視線の先を同じく見つめ、まひるは隣りで彼の言葉に揺蕩うように耳を傾ける。
「一緒に目指した仮想空間――ダイタニアは、ちゃんと前に進んでるよ」
彼の言葉が、胸の奥を静かに軋ませる。
「色々あったよ。笑っちゃうくらい……毎回何かしら起こってさ」
進一が愉しげに話せば話すほど、その浮き彫りになっていく寂しさに、まひるの胸は更に締め付けられた。
「先輩たちも相変わらず頼りになってさ。そうそう、頼りになると言えば――」
そこで進一がようやくまひるに視線を向けた。
彼の視線は変わらず、優しい視線のまま、まひるに向けられている。
「紹介するよ。相川まひるさん」
「え?」
突然の紹介に、まひるは少し驚きながらも、ひとつ息を呑み込み、呼吸を整える。
視線を進一から墓石に正し、まっすぐ見据えた。
「初めまして。相川、まひるです」
まひるは墓石に向かって浅く、長くお辞儀をした。
「……この人に、何度も助けられた」
「そんな……」
「君ならきっと、好きだったと思う」
進一のオーバーな紹介に、まひるは少しだけ頬を赤らめながら首を横に振る。
「あたし、そんな大層な人じゃないですよ。みんなで頑張っただけです」
「ふふっ、そういうところだよ」
ふたりの視線がふと止まり、合う。
進一は少し笑って、墓石へ視線を戻した。線香の煙がゆっくり空へ溶けていく。
「君がいてくれて、助かった。本当にありがとう」
「え?」
進一の突然の素直な感謝の言葉に、まひるの思考が一瞬止まる。
そして彼はまたまっすぐ墓石に向き直った。
「……陽子さん……俺は、君を忘れたくないと思ってる。……けど、そろそろこのままではいけないとも、思ってる……」
「…………」
まひるはその横顔を黙って見つめた。そして――
「……忘れなくて、いいと思います」
自然と、言葉が漏れていた。
「あたし、詳しいことは何も知らないですけど……大切だった人を、前に置いたまま歩いてもいいんじゃないかなって……」
「…………」
まっすぐ墓石に向かい、そう穏やかに話すまひるに、進一は目が離せなかった。
そしてゆっくりと祈るように目を瞑り、心で噛み締める。
「……不思議だな。何だか今も背中を押されてる気がするよ」
そう言う彼の口角は緩やかに弧を描いていて、今度はまひるが何故かその優しげな曲線から目が離せないでいた。
「さてっ!」
すると、進一は突然立ち上がり、まひるに向け手を差し伸べてきた。
まひるは暫しその手を見つめていたが、ゆっくりと手を取り、彼に引かれるように立ち上がった。
「さ、帰ろうか」
「あ、はい。……今日は、ありがとうございました」
風待は陽射しから影を作るように目の上に手を添えながら、まひるに言う。
「……ひとりじゃなくて、よかったよ」
進一はそれ以上続けなかった。
冬の陽射しの中を、二人はゆっくり歩き出した。




