私の視界 第3話 【祖母の思い出】
「小汚い、乞食みたい」
それが祖母の私に向けた口癖でした。
乞食、つんぼ、ちんばといった差別用語は祖母の口癖から覚えました。
ですが意味を勘違いして覚えましたので、悪気なく外で使って学校の先生に怒られたことがあります。
ちなみに祖母はみずぼらしい格好をした人のことを乞食と言っていました。
今回生きづらい部編②を更新予定でしたが、
疲れてしまったので幼少期時代の思い出をまとめました。
母方の祖母はシングルマザーで、貧困家庭で二人姉妹を育てました。
一人は私の母親、もう一人はそのお姉さんです。私からすれば叔母さんにあたります。
貧困家庭でしたが、私の母親だけ大学に入れてもらったそうです。
叔母さんは中学を卒業後東京に出て、住み込みで働いたと聞いています。
「私の母親」という表現がとても気持ち悪いので、以降母親と省略します。
読みづらいかもしれませんが、私の、と言わなければならないのが本当に気持ちが悪いのです。
母親は大学中退後、20で姉を産んでいます。
本人の口から妊娠してで中退とは聞いたことがありませんが、大学中退と聞いてそれを察しました。
母親はなにかにつけておばさんに向けて「ずるい」と言っていました。
おばさんと違いぬるぬると生きた母親がそれを言うのかと思いました。
叔母さんは家庭を持ってお金をためて、資格を取って今でもバリバリ働いている素晴らしい方です。
私には4つ上の姉がいます。
母親は、姉を産んだあと精神病院に入院を繰り返していたようです。
それなのに、私を生みました。
くだらない理由で。
「兄弟がいないと可哀想と思われるから」
そんなことのために生まれてしまった私は何なのでしょうか。
母親は働いていませんでしたが、
家で寝てばかりの人でした。
それでありながら働いている主婦の方をバカにしたようなことをよく言っていました。
ちなみに実家は紛れもない貧困家庭でした。
旅行など行ったことがありません。
今度まとめようと思いますが
母親や姉がとてもお金にだらしなくて、私はそれを見ながら
(こうはなりたくない)
そう思いながら育ちました。
それでなのか私は出ていくお金に対する執着心が強く、生活必需品で仕方がない出費であってもとてもそれがとても怖いのです。
身近な人間に息苦しい思いはさせたく無かったので極力表には出さないようにしましたが、減っていくことに対する恐怖心が消えません。
実際社会人になっても貯金ばかりで、この歳になっても一度も旅行といえる旅行をしたことはありません。
しないというより、したくない気持ちが強いです。お金が減るだけで、全く楽しくないので。
話がそれました。
母親には頻繁にこう教えられていました。
「あそこに生まれたいです!
神様にお願いして、ママとパパを自分で選んで生まれてきたんだよ」
私はそれがとても嫌で、今思い出すととても気持ちが悪いです。
自分が生んだ責任を子供に押し付けるような発言で、本当に無責任だなと思います。
毎日毎日誰かへの悪口を聞かされるのが嫌でした。
同居の母方祖母や、近所の親御さんであったり、テレビに映った綺麗な女優さんであったり。
姉はそんな母親にすっかり毒されてしまい、大人になってからも意地悪な言動が直りませんでした。
姉や母親に私はブサイクと言われたり馬鹿にされて育ちました。
同居の母方祖母もとても嫌味な人でした。
祖母は掃除の仕事をしている人で、夕方前に家に帰ってきて、私にインスタントコーヒーを入れるよう要求しました。
「あげないよ」
そう言って、目の前で美味しそうなパンを食べていました。
お腹が空いていたのでとても美味しそうに見えました。
それは毎日続きました。
祖母の中では私のことを「可愛がっている」という認識のようで、休日は散歩に付き合わせられました。
母親は私にだけ、祖母のご機嫌取りを強制しました。
祖母は家にお金を入れていたので、出ていかれると困ったのでしょう。
それでありながら、母親は祖母を疎ましがっていて悪口を聞かされました。
私は家族の中で一番弱い、丁度よいサンドバッグだったのでしょう。
父親はあまり話さない人でしたが、機嫌が悪ければ私にだけ殴ったり怒鳴ったりしました。
小〜中学生になれば父親の扱いを覚え、殴られることは減りました。
それでも、冷や汗が出るほどお腹が痛くて床でうずくまっていた時に蹴られて怒鳴られたことは忘れません。
本人達は都合の良い部分しか覚えていないでしょう。
いつもは逃げ足が早く知らん顔の姉でしたが、その時だけは「冷や汗でてるやん、やめーや」
そう言って庇ってくれました。
祖母は私が小学5年生の時に遠方に引っ越しました。
その後実家に来るたび、私に擦り寄ってきたのを覚えています。
私はそれまでのことが許せず、祖母を避けて拒絶しました。
すると母親が怒りました。
またご機嫌取りを強制させられました。
逃げ場なんて無かった。
この人たちが、
私の知らない場所でひとまとめに死んでくれてたら
生きるのが少し楽になるかなって思ってます。