私の視界 第一話
自分の思っているままのことをただ書きました。
3月頃まで不定期連載予定です。
次回、「×××人生生きづらい部 編」更新予定です。
その部室の中で起こった嬉しかったこと、悲しかったこと、楽しかったこと、許せなかったことなど主観的にまとめてお送りします。
眠れない夜間などにまとめて書き溜めてるので毎回ぐちゃぐちゃです。
R-18表現はありませんが、あまりお若い方や暗い表現が苦手な方には読んでほしくない内容です。
念のためR-15指定にしています。
トラブル等を防ぐため、あくまで創作物としてこれを投稿します。
この作品に登場する架空の人物について憶測を立てるのはお止めください。
この創作物の内容と同じような悩みを抱えた人に読んでもらいたいです。
pixivプロフご一読願います。
https://www.pixiv.net/users/970248
恐れ入りますがDM等受け付けておりません。
全て無視させて頂きます。
https://40990.mitemin.net/i713508/
六億円くれる神より安楽死させてくれる神のがいい
それほどまでの大金を手にしたことはないけれど
なんとか分の1の確率で手にしたところで
満たされる自分の姿は浮かばない
何をやっても同じで
ゲームも何も心から楽しむことはできない
まず1つ、作業感が強くなってしまうこと。
2つ目、ゲームの世界で強くなったところで私の息苦しい現実は変わらない。
3つ目、これが私の心の大半を占めている。
ゲームが普通にうまくなったところでそれは趣味の範囲を超えない。
やりがいのある趣味はとても素晴らしいことだと思う。
しかしそれは自分に課された日々の責任のノルマをクリアした人だけが許される道楽である。
お先真っ暗で自分の責任も果たせない自分が遊んでいる場合ではないのだ。
かつて小〜中学時代の私は没頭できる趣味などない空っぽな自分が嫌で無理矢理趣味をこじつけた。
それが絵を始めたきっかけ。決して楽しくはなかった。
それでも趣味と言える心から楽しめるものが欲しかった。
けど結局続かなかったし、自分の能力ではなんの役にも立てないし、社会人になれば描かなくなった。
今は自分の面倒な気持ちに蓋をして絵を趣味ということにしている。
家庭環境に制約があり家の中でも働ける絵の職業に醜くしがみついただけ。
絵をほどほどに描けても何も残らないから僕は絵を描く特技だけは身に付けなくて良かった。
かつての知り合いがそのように言っていた。
彼は絵を描く人達をとても嫌っていたのでその全てには同意できない。
しかし自分こそは彼の意見の体現者だと思う。
彼のその憎しみの根本には、美大卒業後今もニートしてるお姉さんへの恨みつらみがあるようだった。
ただひとつ弁解させて頂きたい。
誰からも必要とされなかった自分の能力を
お金をお支払い頂いてまで必要としてもらえるのは本当に嬉しかった。感謝しきれません。
けれどこういう形で皆様にかけて頂いた期待を裏切ってしまうのだ。
本当はご依頼主の皆様に恩返しがしたかった。しかしそれは叶わない。
今度こそできるだけ早く死んだほうがいい。
趣味とはなんだろう。
嫌でも生きていかなければならないから
無理矢理趣味というものをこじつけて
これこそが生きている理由なのだと思い込ませたり
死にたい気持ちをごまかしたりする延命治療にしか私には見えない。それにはすごく、お金も時間もかかる。
本当に人生を楽しんでいる人もいるのだろう。
しかし私は一生そちら側の視界でものを見ることができない。全部作り物の笑顔に見えてしまう。
脳の構造、育った環境などによる今更対処のしようのない問題だと私は思う。
何をしても作業感倦怠感がつきまとう。
好きであるはずの物を集めたってガラクタになり、美味しいものを食べたって、本当の意味の満足感は一生味わえない。
私の脳ではスペック不足で読み取ることができない。この先もずっと。
何のために生きてんだ。苦しいだけじゃないか。
美味しい、まずいは判断できる。
しかし美味しいものを食べたって、2〜3口で気分が悪くなる。
これも私にとっては作業。
生きていたくないのに生きるための作業をさせられている。
何を食べたって満腹感という終着点は変わらない。なら何を食べても同じだ。
満腹感は苦しいだけ。
空腹感はとても寒い。
物だって人だっていくつか減っても社会は回る。
なら安楽死を認めてくれたっていいのではないだろうか?
私のような生産性のない大したコマにもなれない者を生かしておかなければならない理由は?
弱者がいて、それを保護する団体がいて
そうやって人間社会は回っている。
一見して意味はないと言われようとも、そうやって社会が回る。
そんなことのために生かされているのか?
保護を受けたことはないから分からない。
けどそうやって、生きているのが辛い人を無理矢理繋ぎ止めることが正義なのか?
何年立っても死にたい気持ちが変わらない。
そうは言っても死ぬことは簡単にはできない。
痛み、苦しみ、恐怖との戦いである。
生きているのが辛いから選ぶ手段なのに
逃げ場を塞ぐなんてとても残酷。
死んだって生からは開放されないループ説もある。
どうしてそこまで意地悪に逃げ道を塞ぐのだろう。
よくわからないオカルトを織り交ぜまでまで
「死んでも無駄だよ」「お前に幸せなんて訪れないよ」と教えるとてつもない悪意。
生きていても無駄なんだよ。
大昔にこの説を世に広めた人は、相次ぐ自殺者を減らすためにこんな作り話を考えたんだろうなって私は思ってる。
このような非現実的な設定をなぜか皆疑うことなく信じてる。
私の視界からモヤが晴れることは一生ないだろう。
ありもしない希望を掲げられたり
その場しのぎの対処法は正直とても苦しい。
だから要らない。
現実世界でそうやって邪魔されたくないから、こうやってネットの海に吐き出している。
希望を掲げてしまう人の気持ちもわかる。
自分もやったことがある。
結果的に相手を苦しめてしまった。
何度も何度も死にたい死ねないを繰り返す。
そういう劣等種だから。
ちっぽけな成功なんて希死概念の前では無になる。
私のような精神疾患者に安易に近付くのはやめましょう。
全てが敵に見える時があります。
普段は人に嫌われたくない気持ちが強いけれど、いっぱい人様を不快な気持ちにして、嫌われて、自分をもっと追い込めば次こそ死ねる気がする。
とてつもなく迷惑がかかってしまうけど、飛び込み自殺をする人の追い込まれた気持ちが私には分かる。
治る人も中にはいるだろうが、鬱病が治った人を私は見たことがない。
頑張って病院に通うには時間もお金も体力も勇気も必要で
それで頑張って頑張って通っても
薬は合わないものが多いし、合うものが見つかっても量は減らない。
治る可能性があるものを病気と呼ぶなら一生治らないこれは病気と読んでもいいのだろうか。
私は外に出るのがとてもしんどい。病院も通えた試しがない。
一度だけ行ったメンタルクリニックで先生にこう言われた。
「自分だけ死んで楽になったら駄目だよ(笑顔)」
あんたも死を楽な手段と捉えているじゃないか。
そんなことのためにお金をかけてしまって、また凄く虚しくなる。
私が好きだったイラストレーターさんは昔、
ご自身のサイトに酷く傷ついたアームカットの画像を投稿していた。
その方は何年も頑張った末亡くなってしまった。
知ったような口を叩ける立場ではない。
どんなに実力があって、成功したり嬉しいことが起こっても人は変われないんだ。
その様子を見たくなくてミュートしてしまった。
作品、好きだったのに。
私が初めて死にたいと自覚したのは小学三年生の時だった。
ただ死にたかった。特に理由もなく毎日が暗かった。
もっと小さい頃ス○ーピーのおもちゃが欲しくて親にねだった。
ス○ーピー柄で全体的にピンク色をしていて、取っ手付きのポーチの中に子供用コームや手鏡が入っていた。
その時の親はそれを買ってくれた。
しかし手に入れた直後にとても気分が悪くなった。
子供なのに胸焼けがするような感覚がわかった。
(こんなもの買ってもらってどうしたかったんだろう)
手に入れたそれは店内でみたままの姿と同じで、直前までそれが凄く欲しかったはず。
でも凄く虚しくなった。
理由は分からない。
自分にとって人生はこの連続。
一生よくなることがないなら被害を少しでも抑えるため今すぐにでも死んだほうがマシではないだろうか。
実際私は、もっと子供の頃に痛みを我慢して死んでおくべきだったと後悔している。
一番の後悔。
そうすれば今までの全て無かったことにできる。自分が発生させた全ての責任から開放される。
そう思わなければやってられない。
責任のために無理矢理体を動かしている。
全ての責任から開放されれば、もう何もしなくていいんだ。本音を言うと本当はもう何もしたくない。
建前で見繕っても蓋を開ければ臭く汚い。
しかもこの蓋壊れている。
生きたくても生きられない人もいれば、
死にたくても死ねない人もいる。
互いの考えを否定し合わないで欲しい。
人それぞれだから。
本当はこんな文字書いている場合ではない。
もうすぐ終わると思えば建前の全てがどうでも良くなった。何のために生まれてきたんだろう。