その8
「あの、苔じゃないって。その……」
警戒を解くと新たな疑問が浮かんでくる。蓑亀に付着しているのが苔でなかったらなんなのだろうか。問いかけると、森宮の笑みが若干深くなった。
「この子についてるのは苔じゃなくて藻です。文学作品ではしばしば苔と表現されてはいますがね」
「へー! そうだったんですね」
まったく知らなかった。よく考えたら水中の生物なのだから、苔より藻が生えている方がずっと自然である。マジマジと亀を見つめていると、問いかけられた。
「亀に興味がおありですか?」
「あ、いいえ。どちらかと言うと竜宮伝説の方に興味があるんですが……」
手を横に振りながら正直なところを答えると、森宮の表情が一段と柔らかくなった。
「それはそれは。こんなところで後輩に出会うとは。奇遇ですね」
「そう、ですね」
まさか様子を探るためにわざと会話を引き延ばしたとは言えない。内心で亀吉と森宮へ謝罪していると、森宮がずいっと身体を寄せてきた。
「亀吉さんを引き留めてくれていてありがとうございました。竜宮伝説について興味がおありだそうですが、苔に興味はございませんか? いや、亀吉さんのは藻ですけどね。蓑亀って言われる亀は普通淡水に生息することが多いんです。いや、もちろん海水にもいることはいるんですが。たなびいたりはしないんですよ。この亀吉さんはミシシッピーアカミミガメなんですが、こんなふうに付着する藻というのはアオノリとかヒトエグサとかの仲間なんです。しかも糸のようになっていてほとんど枝分かれしないんですよね。枝分かれしないのに一つの細胞に核がたくさんあることからジュズモと言われているんです。緑藻ジュズモ属の一種、正確に分類されてからはバシクラデア属と称されてるんですが。亀に着く藻は四種類ほどあるんです。けれど、まだしっかりとは研究がなされていませんが、亀に着く苔というのもあることにはあるんだそうです。つまり、『浦島太郎』に出てくる蓑亀の元になった存在なのかもしれないと僕は思うわけです。しかも、しかもですよ? その苔は海でも生息できるわけです。いや、もちろん水中でも生きられる苔はいます。いますけれども、僕が探しているのは淡水ではなく海水で生息でき、さらには水陸両用とも言うべき苔なんですよ! どうです? 興奮してきませんか!」
鼻息荒く同意を求められ、杏梨は曖昧に頷く。
「は、はあ。ま、まあ、確かに。興味はありますけど……」
「本当ですか! それは嬉しいな! そうだ! もしよろしければ温室にいらっしゃいませんか? お茶くらいしか出せませんが」
強引な展開に杏梨は面食らった。
「え? は、はあ……。ええと。……じゃあ、遠慮なく」
これは所謂、棚からぼた餅的展開なのではないだろうか。
(思わぬところで直接話すチャンスが。もしかして、何かの罠とか?)
都合が良すぎると言えば良すぎる気もする。杏梨はしばらく考えた後、肩を竦めた。
「まさかね」
「何がですか?」
聞き返してくる森宮に、杏梨は首を横に振る。
「え? いいえ。なんでもないです。お邪魔させていただきます」
笑顔で誘いに応じると、森宮の口元が緩んだ。
「そうですか。それじゃあ、温室まで行きましょう。僕についてきてください」
「はい」
首肯しながら、杏梨はどうやって話を聞き出すか、必死に頭を巡らせていた。