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苔の海に溺れた人へ  作者: 朝川 椛
第五章 事件の終わり
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その6

「大学側とは話が通っているから問題はないの。むしろ何故こんな無責任な噂が広がったのか、の方が問題よね。他人の口に戸は立てられない、とは言うけど、これほど実感したことはなかったわね」


 山我の視線を受けて頷いた森宮が、さらに言葉を紡ぎ出す。


「日番谷優奈さんは母親の束縛が酷いのに、その割に素直な愛情は妹の方へいっていることが辛かったのだそうです。それがきっかけかはわかりませんが、大学の劇団サークル『夜桜』に誘われたそうで。そんな時、友達に誘われて行った演劇『ゴドーを待ちながら』を鑑賞されたんだそうです。その役者さんが声優であることを知り、アニメーションにハマっていったそうで。そのことがきっかけで声優になりたいと思うようになったんだそうです。けれど、アルバイトと劇団に勤しみ講義は出ず、こっそりと声優養成所を受けたことがご両親にバレてしまいましてね。劇団も養成所も辞めてこいと言われたと悩んでいらしたんですよ。とても思い詰めた顔をされていたので声をかけてみたのですが。温室をお手伝いしてくれまして、彼女の場合も達子さんを紹介しました。日番谷さんは家を出る決心を固めましたが、まだ大学をやめてはいません。僕らは休学届を出し、心の準備ができたらきちんとお母様と向き合う方がいいと言っているところですが。どうなるかはまだ未知数ですね」

「やめてない子もいたんですね。お母さんときちんとお話できるといいですね」

「本当にそうですね」


 杏梨は自分の意見に同意してくれる森宮へ頷き返しながら、我が身を省みる。


(私も、ちゃんと向き合わないと)


 膝の上で拳を握り締めると、ふいに森宮の表情が若干苦いものへと変化した。


「最後に藤箕乙音さんのことなのですが。彼女の場合はとりわけ複雑でしてね。藤箕さんは実のお父様を心筋梗塞で亡くし、お母様がその後に出会った男性と再婚されたのですが。その男性は藤箕さんが成長するにつれ、彼女のことをいやらしい目で見るようになり、お母様に隠れてイタズラされるようになってしまったんです。けれど、藤箕さんは闘いました。そのことをお母様に話されたのです。しかしそれが原因で義父とお母様が口論になり、義父がお母様に暴力を振るったんだそうです。藤箕さんは咄嗟にお母様を庇ったため、今度は自分が暴力を振るわれるようになってしまったんです。藤箕さんには腹違いの妹さんが居られるのですが、その子が泣き出し、義父はそんな妹さんにまで手をあげたため、妹さんを連れて家を飛びだしたんだそうです。でも、それはお母様によって連れ戻されてしまいました。藤箕さんは自分を庇ってくれないお母様にショックを受けましたが、それでも嫌いになれず。一緒に家を出ようと訴えました。けれどもお母様は怖かったのでしょう。なかなか首を縦に振ってくれなかったのだそうです。それで、我慢できず自分だけで家を出たのですが、すぐに警官によって補導され、迎えに来た両親の元へ連れ戻されてしまいました。その日からです。義父の暴力がさらに酷くなってしまいました。また義父は勉強にも厳しかったのだそうです。無理やりうちの付属高校に入れられ、そのまま大学までエスカレーターで進学することになってしまいました。しかしながらそんなある日、昔自分のことを補導した警察官と再会したのです。藤箕さんが事情を説明すると、お母様とともにシェルターへの避難を勧められたのです。でも、どうにも決心がつかず、大学と家とを往復する日々が続きました。が、そんな時、またしても義父に強姦されそうになったんだそうです。藤箕さんは、咄嗟に蹴り倒して逃げだしました。けれども彼女には行く宛がなく。しかたなく大学へやって来た時、僕とばったり出くわしたというわけなんですよ。まあ、正確には、例によって逃げ出した亀吉さんと出遭ったわけなんですが。事情を簡単にお聞きしただけでも話は相当深刻なものでしたから、しばらく達子さんのログハウスで暮らすことになったんです。それから、僕と達子さんと一緒にシェルターを勧めてくれた警察官のところに行きましてね。四人で話し合った結果、藤箕さんにSNSでお母様を呼び出して貰いまして。四人でお母様を説得したわけなんですよ。時間はかかりましたがお母様は納得してくださいましてね。僕がお母様と妹さんを車で連れ出し、シェルターへ向かいました。藤箕さんも即刻大学を退学して大阪へ。今は大阪のシェルターでお母様と妹さんと避難しながら、居酒屋でアルバイトをしています。お母様も貯金を切り崩しながら、達子さんの旦那様の紹介で知り合った弁護士とともに、義父との離婚に向けての準備を進めているとのことでした」

「そこまで大変な思いをしてたんですね。藤箕さんって……」


 片親が義理だということで、勝手にシンパシーを感じてしまっていたが、彼女にとっては良い迷惑だろう。杏梨は吐息する。


(美知子ママみたいな人だっているのに)


 世の中本当の子供だと考え育ててくれる大人もいる。だが、同時に虐待を受けてしまう子供も確実に存在するのだ。杏梨は自分のことを本気で心配してくれる義母の優しい笑みを思い出し、吐息する。本当の意味で彼女の思いの強さに応えるにはどうしたらいいのだろう。好きに生きて欲しいと言う美知子の願いが本当ならば、やるべきことは――。


(決めなくちゃ。やけになるんでも、思いつきでもなくて。きちんと、自分の頭で考えるんだ)


 杏梨は膝に置いた手でスカートをぎゅっと握り締める。それから、今一人の人物を思い起こした。


「高間君はこれからどうするんだろう?」


 疑問を投げかけると、千奈津が首を傾げてくる。


「さあ。あそこまで完全に振られたら、少しは真面目に生きる道を探すんじゃないかなあ、って。これはあたしの希望だけどね」


 ほうじ茶の入ったカップを手に千奈津が答える。杏梨は千奈津へ、そもそも、と重ねて問いかけた。

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