その9
「あーいや、別に。ただ風の噂で大学辞めて引っ越した、とかなんとか」
「勝手に家を出て、ですか?」
音喜多の言葉に、杏梨は眉根を寄せる。納得がいかない、と目で訴えると、音喜多がお茶のおかわりを貰いながら、言葉を紡いだ。
「それぞれ事情ってものがあるんじゃないかなってね」
「そうね。もう二十歳過ぎてるわけだしねえ」
音喜多の発言に山我が控えめに賛同する。
「それでもご両親にとってみれば大切な子供でしょう?」
杏梨は美穂の両親の表情を思い起こしながら反論する。だが、山我が頬へ手をあてた。
「確かに一緒にいることも大事よ? でも、それだけじゃあどうにもならないこともあるんじゃないかしら」
「うん。家族の在り方も自分の生き方も、人それぞれだからね。血が繋がってるからってすべてわかり合えるわけじゃないしね」
音喜多が口に含んだ紅茶を飲み干してから、山我の言葉を継いだ。杏梨はしばし考えた後、首肯する。
「確かに。私もそうは思いますけど。……って、もしかして、じゃなくて、やっぱり音喜多先生、何かご存知なんですか?」
音喜多の言葉尻から推察するに、彼は何かを知っている。そんな気がして尋ねると、音喜多がゆっくりと視線を向けてきた。
「何故だい?」
「だって、なんだか美穂ちゃんたちの行方を知ってらっしゃるような口振りだから」
正直に思ったことを口にすると、音喜多の笑みが深くなった。
「うーん。C評価ってところかな」
くすりとして評価を下してくる音喜多に、山我も乗ってくる。
「私はBマイナくらいはあげたいわ」
「森宮君だったら、どれくらいあげますかね?」
「同じくらいじゃないかしら? 評価に私情を挟む子じゃないから」
愉快げに笑い合う山我と音喜多を前に、杏梨は困惑した。
「先生?」
それはつまり、正解ではない、ということか。それでも真実に近づいてきているとは思っていいのだろうか。考えあぐねていると、音喜多が空になったティーカップを置いた。
「さて、お茶も飲んだことだし、帰ろうか。山我先生も何かとお忙しいそうだから」
「え? でも、私……」
まだ肝心なことを訊けていない。杏梨は残る意志を示そうとするが、その言葉は音喜多によって制された。
「いいから。今は引きなさい」
「音喜多先生?」
「帰るよ」
問答無用で宣言され、杏梨は慌てて立ちあがる。
「は、はい……。あの、また来ます」
山我へ一礼すると、山我がふわりと微笑んだ。
「待ってるわ」
「山我先生、森宮先生は……」
あなたのことが好きなんです。そう言いそうになるが、先に音喜多の言葉が降ってきた。
「仁科君」
音喜多の言葉で我に返り、杏梨は口を噤む。
「敦弘がどうかした?」
瞬きして尋ねてくる山我を前に、杏梨は言葉を詰まらせる。
「い、いえ……」
慌てて俯くと、拳をぐっと握り込む。
(私、今何を言おうとしてたんだろう)
少しどうかしている。自分らしくない、と杏梨は内心で自分を窘めた。
(犯人かどうか問い詰めに来たのに。森宮先生がもしかしたら山我先生のこと好きかもしれないなんて……)
そんなことを言ってどうするつもりだったのだろう。音喜多がとめてくれていなかったらとんでもない醜態を晒すところだった。杏梨は音喜多の制止に感謝する。
(けど……)
山我同様、音喜多も何かを隠している。それだけは確かなことだった。




