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苔の海に溺れた人へ  作者: 朝川 椛
第三章 苔のフィールドワーク
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その17

「お待たせ、お茶よ。飲んで温まって」

『ありがとうございます』


 杏梨は二人とともに礼を言う。ティーカップとパウンドケーキが目前のテーブルに置かれると、他の二人も小さく歓声をあげた。


「で、何が訊きたいのかしら?」


 お盆を脇に置いて向かいに座った山我が、早速本題に入ってきた。杏梨はすぐに山我の問いへ答えることはせず、用意された紅茶を一くち口に含む。単純に喉が乾いていたからなのだが、その行為が千奈津を苛つかせてしまったようだった。


「このところ森宮先生とこの山に来た人たちが、みんな突然連絡が取れなくなっちゃってるのを知っていますか?」


 千奈津がお茶もそこそこに口火を切る。問い詰められた山我が、そうねぇ、と手を頬にあてる。


「その話はさっきも聞いたけど。あなた講義で一体何を教えているのよ」


 山我が森宮を半眼で見遣った。


「面目ないです。でも僕自身は極めて普通に講義を進めてるつもりなんですが……」


 困ったように頭を掻く森宮へ対し、妹尾がさらに追い打ちをかけた。


「それって先生たちが何かしたんじゃないんですか?」

「え……」


 困惑したように森宮と山我が顔を見合わせる。


「彼らはどこにいるんですか!」


 千奈津が吼えた。


「ちょっと落ちついて……」


 山我が宥めにかかるが千奈津は頑ななままだ。結局それからしばらく、山我と千奈津との間で、美穂を返せ、落ちついて、の押し問答が続いた。

 杏梨は二人のやり取りを見守っていたが事態を収めるため、慎重に口を開く。


「家族も元カレも心配しているんです」


 昨日廊下で会った時の高間は、強がってはいたが相当辛そうな顔をしていた。きっと彼も美穂のことを捜している。そんな確信が、杏梨にはあった。

 だが、森宮の方も珍しく引かない。だからですよ、と事の他真剣な目で見つめてきた。


「いくら好きだからって、していいことと悪いことがある。それはわかりますか?」

「はい」


 杏梨は首肯する。


「けれど森宮先生、今の状況ではあなたが犯人、または共犯者であること以外考えられないんです。それでも私は先生を信じています。先生は犯人ではなく、何か大きな渦に巻き込まれているだけだって。先生が真実を話さないのには、何か理由があるんだって。でも、千奈津たちの気持ちもわかるんです。だから、できれば今この場で、真実を話して欲しいんです」


 真剣に告げると、しばし間があった後森宮が問いかけてきた。


「その元彼、何君って言うんですっけ?」


 少し掠れたその声に、杏梨は答える。


「高間です。高間俊樹」

「その高間君っていう子は、本当に丸田さんのことが今でも大切なんですか?」

「え?」


 森宮の質問に、杏梨は虚をつかれた。返答に困り口を閉ざすと、森宮が頭を掻く。


「いや、仮に元は彼氏だったのだとしても、彼女のことをちゃんと見てあげていたのかなあ、と。まあ、研究と苔のこと以外に興味のない僕が言うのもなんなんですけどね」


 感情の読み取れない顔をして、森宮が沈黙する。


「森宮先生?」


 突然黙り込まれて不安になった杏梨は問いかける。すると、森宮が深く吐息した。


「人にはね、自分の力だけで立ちあがらなくてはならない時もあるんですよ。そんな時、パートナーならちゃんと見守ってあげなくては。それができなければただ傷を舐めあっているだけで意味がないんです。丸田さんも、その高間君って子もね」


 森宮の発言でその場にいた全員が黙り込んだ。


(それってどういう意味?)


 杏梨は重い空気が漂う中、ひたすら紅茶を飲み続けた。

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