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苔の海に溺れた人へ  作者: 朝川 椛
第三章 苔のフィールドワーク
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その11

「杏梨ちゃん。あんな奴のこと信じちゃダメだよ。絶対に何か隠してるって」


 訴えかけてくる妹尾を前に、杏梨は反論する。


「そうかもしれないけど。でも悪い人じゃないと思うわ」


 はっきり宣言すると、妹尾が視線を外し千奈津を見た。


「波田はどう思うんだよ」


 脅すように尋ねる妹尾へ、千奈津が肩を竦ませる。


「怪しい、かな」

「千奈津」


 千奈津の言葉に杏梨は非難の声をあげる。だが、千奈津も引いてはくれなかった。


「だっていきなり私たちを放ってどっか行っちゃうし。雷鳴るし」

「雷は先生と関係ないじゃない」


 それは濡れ衣もいいところだ、と言い咎めると、妹尾が名を呼んできた。


「杏梨ちゃん。やっぱり杏梨ちゃん、あいつのこと」

「え?」


 妹尾が紡ぐ言葉の意味を計りかね首を傾げると、妹尾がそっと右手を握ってきた。


「杏梨ちゃん、前にも言ったけど。俺は杏梨ちゃんが好きだよ。あんな奴よりずっと前から杏梨ちゃんだけを見てきたんだ。自分の好きなことに一直線で、一生懸命なとこ、ずっといいな、って思ってた」

「妹尾君」


 本気で言ってくれているのはわかる。だが、自分が妹尾を選べないこともよくわかっていた。この人ではない、と、頭のどこかで信号が点滅するのである。


「俺にしておきなよ。絶対に後悔はさせないから」


 自信満々な様子で自らを親指で指さす妹尾を前に、だが心は少しも動かない。どう断ったものか、と思っていると、横合いで盛大な溜め息が聞こえた。


「あんたってデリカシーないわねー。あたしがいる前で二回も告白するなんて」


 呆れきった声で発された言葉に、妹尾が肩を竦ませる。


「証人になって欲しくてさ」

「何それ。意味わかんない」


 千奈津が眉根を寄せるが、妹尾が邪険に千奈津を遮った。


「どうでもいいよ。それより、杏梨ちゃん。俺じゃダメかな? 全然望みない?」


 顔を覗き込まれ、杏梨は深々と頭を下げる。


「……ごめんなさい」

「なんで? あいつの方が危険だよ。やめた方がいいのに」

「そんなんじゃ」

「杏梨ちゃん……」


 妹尾が右手を握り込んでくる。杏梨は妹尾の手から逃れようともがくが、びくともしない。立ちあがって後ろへ下がるが、妹尾もついてくる。すぐ壁際に追い詰められてしまった。

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