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苔の海に溺れた人へ  作者: 朝川 椛
第三章 苔のフィールドワーク
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その7

 山に入り、無数の様々な形をした小石と木の根で自然に作られた階段を、一つずつ登っていく。慣れていない靴のためか足が上がりにくいが、登り難いということはない。どこからか山百合の甘くて強い香りがして辺りを見回すと、木々の間隔が綺麗に等分化されていることに気がついた。枝も高いところまできちんと切られている。陽の光が木漏れ日となって降り注ぎ、澄んだ空気をさらに透明なものに変えていた。


「あ、あれを見てください!」


 登り始めて数分経った時だ。森宮が低い上り坂を指し示した。


「え? もう目当ての苔が見つかったんですか?」


 杏梨は尋ねる。だが、首を左右に振った森宮が、突然駆け出した。


「違います。でもいい苔ですよ、早速観察してみましょう。ルーペを用意してください」


 命じながら石と緑色の植物が見える坂に這いつくばる森宮に、杏梨は目を剥く。


「早く見てみてください」


 興奮気味に激しく手招きする森宮へ従い近づくと、森宮が黄緑色をした植物を人差し指で力強く示した。


「いいですか? これがタチゴケという苔です。ここは日陰になっているでしょう? 林の近くや低地によく生えている苔なんです。苔は世界で一八、〇〇〇種類あるんですが、主に三つほどに分類することができます。セン類とタイ類とツノゴケ類。このタチゴケはセン類にあたります。まずはこの三つを意識して見てみるといいですね」


 説明しながら這いつくばり続ける森宮に倣い、杏梨は彼と同じ格好をしてみる。


「綺麗ですね」


 ルーペでタチゴケを観察すると、茎が立ちあがり楕円形の葉がまばらについていた。なんだか星のようだと思ってしまう。そう呟くと、森宮が幸せそうな笑みを浮かべた。


「そうなんです。時間を忘れてしまうでしょう?」

「確かに。でも、先生が仰っていた苔を早く見つけたいです」


 杏梨はまだ見ぬ水陸両用の苔に思いを馳せる。


「そうですねぇ。見つかってくれると本当に嬉しいんですが」


 何故か気のないその言い様に、杏梨は不思議に思って森宮を見る。すると、いつの間にか森宮がタチゴケの観察に戻ってしまっていた。とにかく一心に苔を見つめていて、こちらの話などうわの空であるらしい。


(せっかく先生の夢の話をしてるのに)


 別に見つからなくても構わない、ということなのだろうか。森宮の考えが見えず困惑していると、ふいに森宮が苔を見つめたまま尋ねてきた。


「『遠野物語』はもう一度読まれましたか?」


 森宮の問いに杏梨は慌てて頷く。


「あ、はい。先生のご先祖様って、五十五話目の話に出てくる人たちのことですか?」


 質問を投げかけると、森宮が首肯する。


「そうです。二代続けて川童を産んだ一族、それが僕のご先祖、というわけです」

「バラバラにして埋めて殺した、って書いてありましたけど。あの、その場合って……」


 先を続けがたくて言葉を濁すと、事もなげな口調で森宮が話を継ぐ。


「僕らが生まれているわけがありませんね」

「ですよね?」

「しかし、確かにその昔、僕のご先祖は川端に住んでいたという記録があるんです。そして、そこの娘が川童を生み、殺して埋めた。『生れし子は斬り刻みて一升樽に入れ、土中に埋めたり。其形極めて醜怪しゅうかいなるものなりき。』という話も伝承としてきちんと残っている。けれど実際はどうであったか」


 苔を眺めながら森宮が言葉を切る。杏梨は森宮が言わんとすることを推察した。


「つまり、殺してはいなかった、ということなのでしょうか?」


 すると、森宮が振り向き口元を綻ばせた。


「はい。そういうことですね。僕のご先祖は丹後国、今の京都府宮津市に落ち延び、そこで財を為すことができました。けれどその一方、移り住んだその土地でも醜怪と言われた子は……。仁科さん、この前もお話したと思いますが、座敷牢、というのはご存知ですか?」

「はい。あの、ということは先生のご先祖様は」


 閉じ込められた、ということなのだろうか。杏梨は口を閉ざす。今ならば考えられないほどの風習が本当にあったのだということを、森宮の淡々とした口調から痛いほど実感していた。

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