その3
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講義室から出て廊下を走っていると、意外な人物とすれ違った。
「え? あなた……」
驚いて足をとめると、その人物が振り返る。
「え?」
「高間君、だよね?」
杏梨はぎざぎざした黒い長髪の青年に近づく。振り向いた青年はこちらの姿を認めると、明らかに肩の力を抜いた。
「ああ、波田の友達の……」
「仁科です」
もう一度簡単に名乗ると、ふいと視線を逸らされる。
「知ってる。昨日聞いたし」
視線の先を追うと、窓の外に山我が暮らしているという裏山が見えた。
「ここで何してるの?」
「別に何も……」
スケッチでもするつもりだったのだろうか。さりげなく手元を確認するが、今日はスケッチブックを持ってはいなかった。ふと気がついて、慎重に言葉を紡いでみる。
「美穂ちゃんなら、まだ見つかってないわよ」
前髪で隠れがちな面に向かい報告すると、高間が拳を握った。
「……別に……どうでもいいし……」
千奈津の情報によると、高間は経済学部である。学ぶ棟も違うのに、何故こんなところにいるのか。美穂のことがどうでもよかったのだとしたら、こんなところにいないのではないだろうか。杏梨は少しの間黙考する。
(指輪のことを訊いてみる?)
これは案外いい機会かもしれない。杏梨は内心で首肯し、高間へ問いかけた。
「あの、ちょっと訊きたいことがあるんだけど。いいかな?」
「何を?」
視線を山へ向けたまま、高間が尋ね返してくる。やっぱり難しいかな、と少し怯みながらも勇気を出しポケットから指輪を取り出す。
「これ、見て欲しいの」
面倒臭げに視線を向けてきた高間が、指輪を見た途端固まった。
「……どこで見つけたんだ?」
睨み据えてくる高間を前に、杏梨は微笑する。
「やっぱり美穂ちゃんのなんだ。あなたがあげた物なの?」
尋ねると、高間が拳を壁へ打ちつけた。
「どこで見つけたんだよ。言えよ!」
苛烈な目で見据えられ、杏梨は息を呑む。怖さに足が震えそうになるが、負けず睨み返した。
「森宮先生が借りてる温室だけど」
「……先生の……」
森宮の名を出すと、高間が悔しげに唇を噛み締める。
「畜生!」
吼えるなり、踵を返す。
「え? ちょっと、高間君!」
まだ訊きたいことがあるというのに。
「高間君ってば!」
杏梨は叫ぶも、走り去ってしまうまで高間が振り返ることは一度もなかった。




