その2
「彼氏じゃないよ、元カレ。別れたからさ。だから美穂実家通いだったの。けど、もちろんまず先に元カレの高間へ連絡したわよ? けど、自分も連絡取れてないって言うし」
「そう……」
だとすると、単なる家出ではない可能性もなくはない。……気もする。
「どう? 引き受けてもらえそう?」
千奈津に迫られ、杏梨は一瞬下を向く。安易に返答していいものか。考えた後、慎重に口を開いた。
「人捜しなら受けてくれるとは思うけど、抱えてる案件の量によるかな。事務もいないし完全に叔父さん一人でやってる事務所だから」
叔父の浅間隆行は、昨年の九月頃から新宿にある自宅の一角を事務所にリフォームして探偵業を始めた。亡き生母である仁科友恵の弟なのだが、父が再婚してからも何かと面倒を見てくれている。前職は元刑事で準キャリアだったらしく、激務ながら安定した生活を送っていると思っていた。だが、家族に危険が及んだ時、詳しく言えば、娘の由季が休日友人と出かけた先の電車内で痴漢に遭った時のことだ。加害者の男性は由季の方がきわどい格好をしていたのだ、と主張し反省の色を見せなかったのだそうだ。確かに由季はスカートを履いていたが、膝よりも下だったと聞く。だが、警察もどちらかと言えば青年の方に肩入れした。さらには聞き取りの際、何度も「どのように触られたのか」、「それはお尻の上からなのか下からなのか」など、警官自身が再現してきたそうなのだ。当時中学一年になったばかりだった由季は酷く傷ついてしまった。しかし、その時父親である隆行は仕事で傍にいてやれず、母親の冴香が対応するも、警官は職務の一環であるとして抗議を受け入れてはくれなかった。その結果、由季は警察や男性そのものを信用できなくなってしまった。そのため外へ出ることを恐れるようになり、また警察に勤めている隆行とそれを支える冴香にも心を閉ざしてしまった。まったく部屋の外へ出ず学校へも行かず引きこもる毎日が続き、杏梨は叔父に決意を告げられた。刑事を辞める、と。昨年の三月、叔父、隆行は職を辞した。その後、間を置かず入学したのがカトラとかいう探偵学校である。探偵になる、と宣言された時、杏梨は驚いたが叔父の家族はそれを歓迎した。叔父家族が幸せならば杏梨にはなんの文句もない。近頃は暇を見つけては遊びに行き、従妹の由季と話した後、冴香の夕飯をご馳走になるというお気軽な日々を送っているほど、良好な関係である。
「お願いします。美穂は連絡も入れずにいなくなる子じゃないんです。同棲してた時だってきちんと近況を報告してくれてた子なんです」
目前の女性は、身なりはしっかりしているもののやつれ切っていて、目の下のクマが隠せていない。男性の方も禄に眠っていないのだろう。何度も瞬きを繰り返す様が、必死で眠気と闘っているかのように思われた。
「わかりました。とにかく、叔父の職場に行きましょう」
承諾すると、千奈津ががしっと腕を掴んでくる。
「ありがとう、杏梨! あんたならやってくれるって信じてた」
「だから、探偵なのは叔父さんで私じゃないってば」
杏梨は眉を顰めるが、千奈津が気にした様子もなく胸を張る。
「大丈夫。あたし、容疑者ならもうわかっちゃってるんだ」
「はい?」
聞き捨てならない言葉に杏梨は千奈津の顔をマジマジと見遣る。すると、自信たっぷりな表情で千奈津が胸を叩いた。
「犯人は『星浄大学の水虎』なのよ!」
「水虎?」
あの人間の生き血を吸うという、妖怪水虎のことだろうか。やっぱり面倒なことになりそうだ。杏梨はこっそり溜め息を吐いた。