その3
カフェテリアで一息入れた後、千奈津が早速証言してくれそうな人間たちを捜し、会う約束を取りつけてくれた。一応妹尾のことも誘ってはみたのだが、譜読みをしたいと言う理由で断られたため、千奈津と二人で聞き込みを開始する。
待ち合わせ場所は小さなサークル室だった。部屋に入った途端、絵の具独特の匂いが鼻をつく。シンナーの匂いより強烈な匂いではないが、慣れていない杏梨は少し怯んだ。
「あ、いたいた! 高間!」
千奈津がスケッチブックを手に必死で手を動かしている青年へ向かい、手をあげる。「え? 呼んでおいた子って元カレ?」
「そうそう」
問いかけると、千奈津が笑顔で頷く。杏梨は目の前の青年をまじまじと見つめる。節だったひょろ長い印象の男性だ。ざんばらな黒い長髪から、少しだけ黒い瞳が見える。シャツは白の八分袖に、黒のゆったりしたパンツを履いていた。
「高間!」
千奈津が一向に顔をあげない高間に業を煮やし叫ぶと、高間が不機嫌に唸った。
「なんだよ、波田。いきなり呼び出しておいて遅刻かよ」
かったるそうに顔をあげた高間が文句を言う。
「あんただって美穂との約束何度もブッチってるんだからいいでしょ。それより高間、このコが仁科杏梨。叔父様が探偵やってんのよ」
千奈津がきっちり言い返しながらこちらを簡単に紹介してくる。もう少し穏便にできないものかな、などと内心で溜め息を吐いていると、高間が頭を下げてきた。
「どうも」
「初めまして」
自分も一礼し顔をあげると、高間が牽制するような瞳で刺々しい口調のまま言葉を紡いできた。
「なんか俺に聞きたいことがあるって言うけど。俺、別に何も知らないから」
けんもほろろな言い方に、千奈津がまともに眉を顰める。
「ないかどうかはこっちで判断するっての! あんた、本当に美穂がどこにいるか知らないの?」
「だから知らないって。部屋出てったのアイツだし、別れるって言ったのもアイツだし」
始終つんけんした答えを返してくる高間に、杏梨は尋ねた。
「本当は別れたくなかったんですか?」
「別に、どっちでもないけど。空気みたいなもんだったから」
視線を窓へ向けて告げる高間を前に、千奈津が鼻を鳴らす。
「浮気されまくっても許す女はそういないっての」
「わかってるよ。俺が半端だからいけないんだろ? はいはい。全部俺のせい俺のせい」
わざとらしく大きく手を振ってくる高間へ、千奈津が心配げな声音で訊いた。
「美穂がいなくなったのも本当にあんたのせいにしちゃっていいの?」
「したけりゃすれば?」
投げやりな口調とともにスケッチブックへ視線を戻そうとする高間の腕を、千奈津が掴む。
「なら、警察へ行きましょうか?」
「な! 俺を犯罪者扱いするつもりかよ!」
高間が慌てて身を捩り、千奈津の手を振り切る。恨みの籠った目で見据えてくる高間に対し、千奈津が堪えた様子もなく肩を竦めた。
「だって、あんたが自分のせいだって言ったんじゃない」
「俺は! 俺は! アイツのことちゃんと大事に思ってた。俺なりにアイツのこと護ってたんだよ!」
腕を組む千奈津を前に、高間がいきり立つ。だが、千奈津の舌攻がやむことはなかった。
「護るとか言って浮気しまくりだったじゃん!」
「あれは本気じゃない! ただ辛いっていう子を放っておけなくて……」
言い淀む高間の言葉に、杏梨は一人肩を落とす。ダメンズって本当にいるんだな、などと思いながら、高間へ一歩近づいた。
「美穂さんが、あなたの他に頼りにしてた人とか、仲の良かった人とか、ご存知ありませんか?」
「そんなこと、俺が知るわけないだろ?」
高間がツンツンした答えを返してくると、千奈津がここぞとばかりに口を挟んできた。
「付き合ってたのに交友関係も知らないなんて。あんたたち本当に付き合ってたの?」
「うるさいうるさいうるさい! とにかく俺は知らないんだ! これ以上俺をかき乱さないでくれよ!」
千奈津の的確な指摘に対し、高間が顔を真っ赤にして足を踏み鳴らし、立ちあがった。




