その1
「どうかよろしくお願いいたします」
「娘を、娘のことを捜し出してください」
「ええっと……?」
五月の爽やかな風が駆けていく。風は仁科杏梨の栗色をしたお団子頭の後れ毛を揺らし、青葉へと吹き抜けた。そんな私立星浄大学のキャンパス内。噴水広場の銀杏の街路樹脇にあるベンチへ座り、遅いお昼を食べているところだった杏梨は、眼前の状況に酷く困惑した。
視線の先に立っているのは人が良さそうな顔をした二人の初老の男女である。着ている服も男性は紺のシャツと黒のカーディガンに黒のスラックス、女性はクリーム色の上品なワンピースを着ている。おそらくかなり裕福な家柄なのだろう。娘、と言ったところからして夫婦なのだろうと思われた。わからないのはそこだ。そんな人たちが何故自分に。杏梨は気を落ちつかせようと、青い弁当箱を見る。だが、何度考えてもどうにも答えが見つからず。杏梨は自ら茹でたブロッコリーを箸で摘みながら、どういうことなの、と右隣を肘でつついた。横目で見遣ると隣にいた親友、波田千奈津の困った笑みが杏梨の黒い瞳の端に映る。
「だってさ、ほら、あんたの叔父さんって探偵なんでしょ?」
千奈津に問いかけられ、杏梨は眉間の皺を深くした。
そういえばそうだった。杏梨は内心で臍を噛む。刑事だったはずの叔父が探偵業に就いたのは今から約九ヶ月前のこと。他人からすればどうだか知らないが、叔父は決して軽くはない家庭の事情で前職を辞した。だからこそ仕事を選んでいられない時期でもあるのかもしれないが。杏梨としては極力軽い扱いで依頼してくるのはやめて欲しかった。
(何でも屋みたいに思われたらたまったもんじゃないかもしれないし……)
小さく吐息し、そうだけど、と千奈津へ視線を移す。
「順序だてて話してくれないと意味わかんないって」
厄介なことや冷やかしなどでなければいいが。そんなことを思うが口にはせず、千奈津の答えを待った。千奈津はふわふわの黒い髪を揺らしながら手を打つ。丸い顔に零れそうなほど大きな茶色い垂れ目は、可愛いと言われるために生まれてきたような顔立ちである。面長で濃いベージュの肌をした自分とは大違いだ。
「ああ、そっか。ごめん。あのさ、この半月で五人くらいうちの学生がいなくなってるの知ってる?」
見た目とはギャップのあるさっぱりとした物言いに、杏梨は言葉の意味を理解するのに数秒かかった。悟られぬよう慌てて頷いてみせる。
「ああ、うん。少しなら。あれでしょ? 前期科目履修届提出後、立て続けに忽然といなくなったとかなんとか」
これは思ったよりも真面目な話らしい。杏梨は箸を置き、白のブラウスの上に着たモスグリーンの薄いニットのズレを直した。ベージュのスプリングコートを引き寄せ、いつでも動ける準備をする。
ここ星浄大学は、東京都の星浄にある。八万五千平方メートルといった幕張メッセより少し大きいくらいの土地と、隣に標高一二八メートルほどの裏山を持つ、創立八十六年を迎えた大学だ。創始者の篠山総二郎が、創立当初『小さくともダイヤモンドのように輝く学び舎なれ』と、『自主、自立、自律』を理想に掲げた自由な校風である。そのため近年まで校歌すら存在しなかった。専攻は大きくは経済、法学、文芸学、歴史学、心理学に分かれており、どちらかと言えば文系の気質が高い。また「小さな実験大学」をモットーとしているため長い間大学のみで運営されていたが、およそ三十年ほど前から学生やその父母たちの要望で、幼等部、初等部、中等部、高等部から大学院まで設置されている。
現在の理事長は篠山優吾という人物で、杏梨は入学式で見た以来ではあるが、四角い顔をした優しげなおじさんといった風情だった。ちなみに、杏梨は現在、文芸学部文化史学科で民俗学を学んでいる。サークルも文芸サークルなのだが、文芸とは名ばかりで作品を形にすることはほとんどなく、フィールドワークと称した旅行にばかり力を入れていた。まあ、だがそのおかげで千奈津とも仲良くなれたわけなのだが。そういえば、千奈津は何故文芸サークルに入ったのだろう。どちらかと言うとファッションやコスメに興味があるようで、あまり民俗学に力を入れている様子はない。
(文章書いたり本読んだりすることもほとんどないしなあ)
それなのに、今期から入ったゼミナールも同じ竜宮伝説を研究している音喜多教授のところなのだ。
(なんでなんだろう?)
疑問に思いつつも聞いたことはまだない。それとも、自分のような人間の方が少数なのだろうか。
ともあれ、新学期が始まり、ゴールデンウィークを挟んで学科がしっかり定められた今日この頃。本格的に講義が始まり、講義へ参加する人数が減ってきているのは毎度の光景である。
だが、クラスで受ける教養科目で、パラパラと断続的に音信不通になる学生が出てくるのは珍しい。というのも、普通真面目に講義へ出席していなくとも、サークルやら他の講義、ゼミ室には出没していることが多いものであるからだ。それが、完全に大学から消えてしまっているのである。三人目の頃にはなんとなく偶然連鎖しているだけだと思われたが、五人ともなると周囲は俄に騒ぎ始めていた。たが、自分の知り合いには、そんな子はいなかったように思うのだが。考えを巡らせるうちにも千奈津の話は続く。
「それそれ。でね、あたしの友達に丸田美穂って子がいてさ。その子が先週から突然いなくなっちゃったのよ。何度もSNSで連絡してるのに捕まらなくてさ。それで家に電話してみたら帰ってないって言われて。他にも心当たりを当たってみたんだけど、まったく空振りでさ。ご両親も何かあったんじゃないかって。で、警察に捜索願いは出したんだけど、事件性はないって言われてあんまり取り合ってくれないからさ。プロに捜して貰おうってことになったわけ。そんなわけで、このお二方が美穂のご両親」
改めて紹介されたため、起立してどうも、とお辞儀をする。丸田美穂と言えば、ロングストレートの見事な黒髪に、すっと切れ長の瞳をした綺麗な人という印象の人物だ。いつも窓際に位置する席で海外小説のペーパーバックを読みふけっていた気がする。だが、別におとなしいわけでもなく。杏梨は別段話したことはなかったが、千奈津や他の数人と気さくに話している姿もよく見かけることがあった。しかし同時に、どこかミステリアスな雰囲気を持っていたことも確かだ。その娘がいきなり音信不通とは。杏梨は思いつく限りの情報を頭の中からかき集める。確か、あの娘って……。
「その美穂って子、確か同棲してたんじゃなかったっけ?」
思い出したことを基に尋ねると、千奈津が手を横に振った。