イチのこと 3
葉山は突然画面からイチへと目を向けた。
「これが答えになりますか?」
「死んで楽になりたがっているように聞こえました」
葉山は長く細くため息を吐いた。それは落胆のため息。
「私は下手したらもっとも教師に向いていないのかもしれませんね」
自嘲気味に笑う。
「人が生きる理由なんて、目の前の課題をこなしている間にうやむやになるんですよ。そういうもんなんです。それで気づけば死ぬ。理由なんて、問うだけ無駄だ」
葉山は力弱くそう言った。それが人生の答えであるかのように。
イチは白けていた。実に白けていた。
イチの夢は、殺し屋が夢を持つというのはなんとも違和感があるけれど、とにかく夢は、依頼人を殺すことだった。その夢はイチの偏見に基づいている。
依頼人は自分の手を汚さずに安穏と自分の望みである殺人を代行してもらっている。のんびりお茶をしている間に、紅茶のカップをかたむけて、手作り無添加クッキーなんかを食べながら、友人たちと談笑している。そんな間に自分の暗い願いが叶う。人が殺される。
イチの思う依頼人の背景はこんな風に偏見にまみれていた。だからこそイチはそれを打破したいのだ。狙い人に逆指名される。狙い人が依頼人の情報を知って、自分はその倍の報酬で依頼人の殺しを依頼する。そして自分はそれを受ける。そんなものを夢見ていた。
それなのに。
それなのに目の前のエロリコン教師は、生きる希望をもはや持っていなかった。いや、生きる希望なんてものをそもそも持ち続けられる時代でないことは分かり切っているけれど、それでもなんとか持ちこたえているような人間を、イチは好んでいる。
それなのに。それなのにそれなのにそれなのに。
「あなたは依頼人をぎゃふんと言わせたいとは思わないの?」
イチはダメ元で聞いてみた。
「生きたくはない? 誰かを殺して。殺人を私に代行させて、この先も心臓を動かし続けたいとは思わない? きっとね、それって。とっても楽しくはないとしても心が晴れなかったとしてもすがすがしい思いになれなかったとしても、ね」
イチは思う。私は私に本気になっているだろうか。
「とりあえず眠ることが出来る。何もしなくても、未来を紡ぐことができる」
イチは思う。私はそんなに生きたいのだろうか。未来を紡ぐことについて私はそれを容認することが出来るのか。
「それって、よくわからないけれど死ぬのよりはマシだと思えない?」
葉山は何も答えなかった。代わりに毒水を手に持った。
「生きるってのは。そうですね。ただ心臓が動いているだけなんですよ」
葉山は一息で毒水を呷った。
「それ以上もそれ以下もない。ただ動いてるだけ。それが人間である証で――」
毒水の毒は即効性の毒。葉山は自分の思いを最後の最期で綺麗に言葉にすることが出来なかった。そのことをあの世で後悔するのだろうか。それとも死ねたことを喜ぶのだろうか。
いや、そうじゃないのか。そもそも何かを思う感情すらも、目の前の男は持っていなかったのだ。
感情が死ぬほどに働いている人が本当に死んだとして。
「彼はいつから死人だったのかしら」
イチが言う。葉山は背もたれに身体を預けて、まるで眠っているように見える。そこまで苦しくはないはずだ。試したことないから分からないけれど。
「あーあ死んじゃった」
せめてドリンクバーくらいは頼みたかったな。葉山のお金で。
イチは立ち上がった。周囲を見舞わず。そして思った。
「レスなのはファミリーだけじゃないんだわ。きっとね」
イチのこと 了