ロクのこと 1
ツキツメ世代。
令和の元号が歴史の教科書で扱われるようになった現代。そこまでの昔を思い出すわけではないけれど、時代が傾いたのは確かに令和以降だよな、とロクは思った。
ロクはおもむろにポケットから煙草のパッケージを取り出す。一本抜いて口にくわえる。それからジッポーで火をつける。その一連の動作はカクテルをつくるバーテンダーのように流れるような自然な動作だった。
煙を肺にめいっぱい取り込む。一気に吐き出す。ついで痺れる快感。場合によってはそれは優越感にもなるし虚無感にもなれば充実感にもなる。それらの感情を網羅するために自分は煙草を吸っているのかもしれない。ロクは時々そんな風に考える。
物思う時間の長さよ。ロクは視線を腰を抜かした青年に向けた。
「いつまでそうしているんだよ」
ワンルームの玄関はロクが一人立つだけでいっぱいになる。置いてあるスニーカーはきちんと潰していた。
「いや。だってその。……いきなりだから」
青年が声を震わせながらそう言った。未だに怯えているらしい。まあそれは無理もないと思う。それはロクも承知していた。
「そうだな。こういうのを確か、不法侵入とか言うんだよな」
「……はい。まあそうなりますね」
一番の恐怖は相手が何を考えているか分からないということ。ロクは自分が物言わぬ狂人ではないことを示すために言葉を紡いだ。そうして青年を、今日の狙い人を、きちんと確認する。
「じゃあなんで俺がその不法侵入をしたのか。理由はなんだと思う?」
シンキングタイム。口には出さないがそんな言葉がロクの頭に浮かぶ。せいぜい考えてくれ。何かを考えている間だけ、人はようやく人でいられるのだから。
「ああ。……えーっとなんだろう。何かの勧誘? あっ、宗教とか」
「確かににぎわっているな。昨今の状況じゃぼろ儲けの商売だ。何故なら時代がそれを求めているから」
「どういうことですか」
ロクはため息を吐く代わりに紫煙を吹いた。辺りに靄が舞う。
「神を必要とする時代だってことさ」
「それは……昔からそうなのでは?」
ロクの言葉に疑問を唱える青年。どうやら余裕が生まれたらしい。自分の意図するように狙い人が動いて、ロクは満足する。
「大学生か」
「はい。一応」
「一応でも立派な肩書きだな」
「文学部に所属しています」
青年は聞いてもいないことを言ってきた。ロクはちょっぴり苛立って、それを煙のせいにする。辺りに立ち込めるそれは、眺めているだけなら無害。
「じゃあその立派な頭で考えてくれ」
「大学なんて小中高と変わらないですよ。どんなにバカでも入れる」
一昔前は違ったみたいだけど。いや、ふた昔前かな。そう言って自嘲気味に笑う青年。
「素敵な国になったようだな」
「それ、皮肉以外で聞いたことないです」
青年はようやく通常の情緒に戻ったようだ。警戒はしながらも、ロクをそこまでの危険人物ではないと判断したらしい。そしてその判断は大きくずれている。
青年は立ち上がった。そしてそのまま両手をあげた。降参を示した。
「あなたは僕を殺しにきた。それで合ってる?」
ロクはフィルターぎりぎりまで吸った煙草を足もとに落とす。靴でもみ消す。こんな風に出来たらいいのに。そんなことを思った。
「そうだな。合ってる」
「依頼人はチヒロ?」
「そうだな。相沢千尋のことを言っているのなら」
「いいんだ。依頼人の名前を言っても。守秘義務とかないの」
「どうだろう。忘れたな」
物わかりのいい青年。しかしそれは危険な兆候でもあった。どんな風に危険かと言えば。
「いいよ。殺して。ほら、はやく」
ロクにとって苦手な部類の狙い人であるということ。その事実を確認して、今度こそロクはため息を吐いた。底抜けに深いため息。
「なに? さっさと殺せばいいのに」
「現代っ子現る」
「ツキツメ世代とかいうやつだろ? あほらし。そんな時代を作った大人たちのことをなんているか知ってる?」
「ぜひとも教えてくれ」
「くそったれ」
青年は冷静に笑う。殺し屋に狙われているというのに。これが現代っ子のなせる業か。ロクは驚嘆する。
「もうちょっと粘ってみないか。命乞いとか」
「おいおい。それが殺し屋の言うことかよ」
狙い人である青年の口調が乱暴なものになっていく。
「喚き散らす人間を殺す方が楽しいってか? 随分なご趣味をお持ちなようで」
ロクは考える。このまま殺してしまえばいい。それが依頼だ。依頼は何が何でもこなすこと。ボスからはそう言われている。
「なんというか」
ロクが呟く。自嘲的に。
「殺し屋が繁盛する世の中は、正直生きていてどう思う?」
「くそったれ」
「ご名答」
ロクは懐から拳銃を取り出す。かちゃり、と機械的な音を発するそれを見て、ようやく青年が人間らしい反応を見せる。
「相沢千尋はお前の恋人かなにかか」
「だったらなんだよ」
「いや。痴話げんかの末に殺し屋を頼むというのはなんというか」
ロクは青年に狙いを定める。
「世も末だな」
青年は鼻で笑った。それは心底ロクのことをバカにしているようなあざけっぷりだった。
「それ本気で言ってる?」
「さあ。自分の事は自分が一番分からないから」
「最近の金持ちはどんな遊びをしてると思う?」
ロクは答える代わりに首を傾げて見せた。青年は苦笑を浮かべて言った。
「親の子殺し」