めっちゃ疲れた……
朝食のサンドイッチを三度おかわりした後、オレはシャーリーンを湖の浅い所に移動させた。
雨が降っているという話だったのに晴天だった。あのメイドさん、しれっと嘘つくから嫌い。
「さて、と」
汚れてしまったシャーリーンであるが、背丈はオーガ種の中でも高身長なオレと同等、横幅もそれなりにあるので改め見ると迫力がある。
昨夜の盗賊達がビビるのも当然だ。
そんな迫力をマシマシにしているのが、左肩の鹿の血の跡である。
森の闇夜からヌラっと出てきたゴーレムが血まみれとか、生きて帰れても一生夢に見るだろうよ。
オレはブラシを持って、ガッシガシと洗い始める。
着てきた黒いスーツは脱ぎ、今はジャージという作業着に着替えている。
革靴もしまって、素足にサンダルへとチェンジ済みだ。
人間界に来るってんで意気込んでおめかししてみたものの、普段から着るようなものではないからね。動きにくいし、肩もこる。
そのように何も考えてなかったオレよりも、はるかに色々とものを考えてるリーデルが、この黒いジャージを用意してくれていた。
腕と足の側面に、白い二本線が入っているのがオシャレだ。
ちなみにこのジャージというもの、最近魔界で少量ながらも出回り始めた高級品。
大魔王様が考案されたとかで、製法も材料も機密だそうだ。確かに布や皮とはまったく違う触感が不思議な服ではある。
ジャージは大魔王様直轄のお針子隊が生産しており、フル稼働にもかかわらず予約殺到。
今や、抽選の権利から順番待ち、もしくは高額な転売屋から買うくらいのレベルであるはずなのだが……。
ウチの有能メイドさんが、借金取りが現れてからの短い時間で、いつの間にか手に入れていたのだから大したものだ。
このジャージというのは軽く、風通しもよく、汚れてもすぐに洗い流せるため、高級品ながらまさしく屋外向けの作業着なのである。
実際、肌で理解した。この言葉通り、ダンジョン経営にもってこいの逸品だ。
そんなジャージの袖と裾をまくり、サンダルも脱いで湖に入る。
「おっ、ひゃっこい」
ほどほどに心地よい冷たさを感じつつシャーリーンの肩に水をかけながら洗い落としていく。
「落ちないな……」
さすがに時間が経ちすぎていたためか、こびりついている。
肩だけではなく、ゴブリンの死骸を森に運んだ為に両手も真っ赤だ。
なんか固形物がこびりついているのは……ゴブリンの肉片ですねぇ、いやだなぁ。
「坊ちゃん、洗剤使いますか? 食器用で良ければですが」
「おー、ありがとさーん」
洞窟から出てきたリーデルが、洗剤を持ってきたくれたようだ。
オレが礼を言って振り返ると。
「ピッ……!?」
ピンクのジャージを着たリーデルがいた。
やべぇ、ちょっと出た。
「ぴ?」
「……ぴっ、ピッタリサイズだな。スタイルいいと何でも似合うなぁって」
「なんですか急に。そんなにお世辞を言っても、お昼ごはんのおかわりは三度までですからね」
いつもは二度までなんだが。朝食といい、昼飯といい、熱でもあるんか?
しかしマフラーに続いてまたピンクか。
屋敷で働いていた時に、そんな色のもの身に着けていた事あったっけ?
いや、別にいいんですけどね。あまりに普段のイメージからかけ離れているから、不意打ちくらうと今みたいに出そうになる。
リーデルパパが言ってたからな、女の服は褒めろって。
似合う似合わないは男の決める事じゃないとも言ってた。
イケメンが言うと説得力がある。
オレは都度、リーデルパパから恋人ができた時にはこのように、などと色々と教えを頂いていた。
だが、ひきこもりのゴーレムメイカーに恋人ができるはずもなく、実践で披露する相手はリーデルしかいない。
おかげで、無駄にリーデルを怒らせる事なく、大変助かっている。
ともかく、ピンクジャージをまとったリーデルから洗剤をうけとり、ガッシガッシと洗い続ける。
「申し訳ありません。もう少し考えるべきでした」
鼻歌交じりでシャーリーンを洗っているオレに、リーデルがいまだ赤く染まっているシャーリーンの左肩を見ながら謝る。
「あー、いいよいいよ。まさか引きずってくるわけにもいかんだろうし、荷物を肩に乗せて運ぶのはフツーだから。ただ荷物がちょいと血なまぐさいものだっただけだ」
大食漢で肉が好物のオレが大半を食べるだろう肉を捕ってきてくれたのだ。リーデルはあんまり肉食べないからね。
コイツの好みは果物全般と赤ワイン。食い物までオシャレとか無敵かよって感じだ。
「ま、どのみち洗うハメになってたし、気にするほどでもないぞ」
結果的にはゴブリンの血と肉で汚れている現状、どのみちシャーリーンは洗わなきゃいかんし。
だがリーデルは立ち去らず、そのままシャーリーンを洗うオレを見つめている。
「どしたの?」
「いえ、少し休憩を頂こうかと」
「ふうん?」
別にそれはいいんだけどさ。ずっと見られても落ち着かないんですが。
結局、昼食の準備にかかるまで、リーデルは近くの石に座ってオレを見ていた。
***
がんばって洗ったわりに、さほど綺麗にはならなかったシャーリーンは、昨夜のように湖近辺から洞窟の入り口付近を徘徊警備させている。
昼食を食べ終わり(おかわりはもろちん三回した)オレも時間があるので、近くの木々などを見ながら果物でも集める事にする。
昨日、リーデルはちょろちょろっと森に入って、結構な量を採取していたからね。
オレだってその半分くらいならイケるんじゃないだろうか。
色々と忙しそうにしているリーデルの背中に、なんか食べられそうなモノ取ってくると伝える。
「あまり遠くに行かないでくださいね」
と言われ、さらに「夕食までには帰ってきてください」とか「野草は毒を持つものもあるので、むやみに触れないでください」とか言われた。おかんか。
いや、本当の母親とかオレもリーデルも知らないからイメージなんだが。
そんなわけで、あまり離れない程度に森を散策してみる。
上を見上げながら歩けば、果物というほどでもないものの、木の実ならそこそこ生っている。
だが、小ぶりなものが多くて食いでがなさそうだ。
「パっとしないな」
では肉はどうか。耳をすまし周囲を注意深く見ながら歩く。
鹿がいるくらいだから、他にもなんかいるだろう。
だがオレのような巨体がノシノシ歩いていたら、野生の獣なんてすぐ逃げていくわけで。
「そもそも野生動物をオレが捕まえられるわけがない。リーデルはどうやって捕まえたんだ?」
果物は見つからないし、肉もダメ。
ならばと地面を見て歩けば、キノコがそこかしこに見つけられる。
だが菌類はダメだ。
玄人でも見分けが難しいというのに、素人が手を出すべきものではない。
リーデルも言っていたように、毒持ちさん筆頭候補だろう。
なのだが。
「マジですかよ」
見つけてしまったのだ、キングオブキノコを。
実物を見るのはオレも初めてだが……おそらく間違いない。
「マンドラゴラじゃん」
頭の半分ほどが露出しており、まんまるの黒い眼窩がぽっかりと二つ空いている。
ジッと見つめていると吸い込まれそうな虚ろさがある。
頭には頭髪のように、四つ葉のクローバーが一本だけ生えている。
時価で取引されるマンドラゴラは、魔術の媒介にも使用される貴重品だ。
だが喜び勇んで、やったぜ、これでコガネモチじゃん! と、引っこ抜こうものなら、あら大惨事。
引き抜いた際にマンドラゴラが上げる絶叫は、それを耳にした者の精神を破壊する、らしい。
らしい、というのは、いまいちよくわかっていないからだ。
呪いだという術者もいれば、高音によるショック症状をもたらすという学者もいる。
なんにせよロクな事にはならないので、特別で特殊な訓練を受けた者以外は触るなという事だ。
しかし、せっかく見つけたマンドラゴラ。このままにしておくにはあまりにもったいない。
位置はシッカリと覚えておいて、帰ったらリーデルに教えよう。なんか手があるかもしれない。
……まぁ、予想はつく。
シャーリーンに引っこ抜かせろって言うと思うね。
もう少し見回ってみたが、あとは成果というべきもなく。
「腹も減ってきたな」
そろそろ良い時間かな、と腹具合を確かめながらオレは湖へと戻ってきた。
帰る頃にはすでに夕暮れ。
赤い夕陽に照らされた湖は、美しく輝いている。
滝から流れ落ちている水しぶきが、いい感じに辺りを白く霧っぽくしていて風情がある。
たまたま近くを徘徊していたシャーリーンがいたので「お疲れさん、今晩も頼むなー」と労いながら洞窟へ入ると、リーデルが机について何やら書き物をしていた。
「戻ったぞー」
「おかえりなさいませ。何か良いものはありましたか?」
リーデルが手元を片付けながら、立ち上がりオレを迎えてくれた。
「すまん、手ぶらだ」
「いいえ。何事もなかったというだけで充分です」
なんか普通にフォローされました、優しい。
「あ、けど、マンドラゴラ見つけたぞ」
こういうのはサラっというのがカッコイイのだ。
「……えぇ?」
リーデルさんの貴重な驚き顔シーン、いただきましたー。
――返済期限まであと二十五日