こんな話、聞いてないんだけど!
「――というわけでございます。あと三十日ほどでこちらの金額をお支払いいただけない場合、大変心苦しいのですが、このお屋敷を明け渡して頂くことになります」
「マジか……」
オレの目の前に座るスーツ姿のブタ顔オークは、まったく心苦しくない顔でそう言い放った。
テーブルの上に突き出された書類には、一瞬ではわからない桁の金額が記されている。
それが宝くじ当選金額だとかならば狂喜乱舞だが、残念ながら一番上にデカデカと借用書、と書いてあった。
借入人の欄には親父の名前が、見覚えのある達筆でしっかりと記入されている。
今、応接室には五人。
まず多額の借用書をつきつけられている、かわいそうなイケメンがオレ。
オレが座る椅子の後ろに控えるのが、メイドのリーデル。
対面の長椅子に借金取りのブタの小男。
ブタの後ろには天井まで頭が届きそうなミノタウロスの護衛が二人。
「私どもも、貴方の御父上であるご当主様の行方を手を尽くしてお探ししております。ですが常に戦場を駆け巡られる英雄様ゆえ、足取りも掴めずじまい。本日は不本意ながらもご子息の貴方に、こうしてお時間を割いていただいた次第」
なんとなく丁寧な言葉を使われているというのはわかるが、言ってる事はともかく金返せ、屋敷をよこせ、だ。
一瞬、親父の留守を狙った詐欺じゃねーの? と、借用書をしっかりと読んだのだが。
借用書にはこの屋敷が抵当に入っている事も明記されているし、返済期限が過ぎれば即日明け渡すと親父の直筆で記されている。
「私どもと致しましても、期限までに返済されることと信用しております。ですが、万が一何かの手違いで期限をすぎてしまいますと、契約通りの手順を踏まざるをえません。こうして三十日も前に催促をするような事、失礼極まりないかと思いましたが、ご子息しかいらっしゃらないと知り老婆心ながらもお伝えに参った次第です」
あ、なるほど。
確かにこのまま放っておかれていたら、オレは三十日後に何も知らされずに放り出されていたわけか。
……なんだこのオーク、実はいいヤツなのか?
なら、多少は返済を待ってくれるかもしれんね?
オレはとびっきりの愛想笑いを浮かべつつ、オークへ軽い話題のように振ってみる。
だがいきなり返済延長の話はしない。
引きこもりのオレでも、本題の前には違う話題を挟むと良いと知っている。
そう、例えば天気の話とか。
オレはコホンと一つ咳払いをして自然に切り出す。
「ところで今日は天気もいいし、親父が戻るまで返済を待ってくれたりしない?」
自然に、かつフレンドリーな感じで頼んでみた。イケそうじゃない?
だがオークは一切表情を変える事なく即答した。
「誠に申し訳ありませんが、それは出来かねます。お見苦しいかと存じますが、こちらをご覧いただけますか?」
ええー、とオレが不満の声をあげる前にオークは自分のスーツのジャケットを脱ぎ、ネクタイをゆるめシャツをはだけさせる。
え、ちょっとなに? そういう趣味の方? 強面にそういうのが多いってマジな話なの?
むきだしになったオークの胸部、スーツを着ていてもわかるほどだった凹凸、つまりムキムキの筋肉があらわになる。
その筋肉を飾り立てるような、矢傷、刀傷、魔法傷がいくつも刻まれていた。
あ、これ、絶対に逆らっちゃいかんヤツだわ。
しかしそれらで脅しているわけではないようで、オークはその筋肉と傷のさらに上に描かれた蒼い絵を指さした。
「我が心の臓、その上に刻まれた蒼き鎌の刻印が見えますでしょうか? こちら、ご当主様と交わした契約紋でございまして、私とご当主様、ともに同じものを刻印されてございます」
「……なにそれ」
聞きたくないが、聞かざるをえない空気だ。ホントに聞きたくない。
「ご当主様との契約の際。私どもは金銭の貸付を、ご当主様からは返済の期限を必ず守り元金と利息を頂戴するというお約束、互いの命をかけて履行する証でございます」
「は?」
「もし交わした契約を反故とすれば、この刻まれた鎌が魔力を持って具現し、その者の命を狩り取ります」
つまり。
借金の約束に命をかけていると。
……親父もこのブタもアホじゃなかろうか。
いや、それっくらいの金額って事か。けれど、そんな大金を親父は何に使ったんだ?
そもそもウチって金に困ってないだろうに。
「よって。もしご当主様が返済期限をお忘れになっている、もしくは何かの事情でお戻りになれない場合でも契約を履行されない場合でも」
そんな思案からオークの言葉がオレを会話に引き戻す。
オークの表情は変わらず、己の胸にある鎌の絵を模した契約紋を指でなぞる。
「ご当主様のお命はございません。一方で私もご当主様が返済に来られない場合、お屋敷を含めた財産により借金を清算させて頂くという契約がある以上、それを遵守しなければこの私の命がございません」
「……マジか」
借金のカタに屋敷はとられるが、それだけでは借金返済とならない上に親父は死んでしまうと。
どっちにしろ親父が死ぬなら屋敷は待ってと言おうものなら、契約違反となってこの借金取りも死んでしまうのでそれはできないわけだ、と。
しかし、そう言われてもオレにどうしろというのか。
全力で引きこもっていたオレだぞ。
浪費する事はあっても稼いだ事なんぞ一回もない、こちとら戦爵貴族様の箱入り御曹司だ。
「さりとてご子息も未だ成人前。いきなりこんな金額を返せ、すぐに屋敷から出ていけ、というのも無理である事は重々承知しております」
「ですよね! やっぱり親父が返ってくるまで待……」
お、やっぱり話のわかるヤツ! と思いきや。
「しかし契約は契約」
「ですよねー」
上げて落とすとか鬼か。
「ただ、どんな物にも抜け道というものもございまして」
オークは神妙な顔で、あるものをテーブルの上に置く。
オレの拳ほどの大きさの黒い球体。
「これは……?」
「実物を見るのは初めてでございますか? ダンジョンコアでございます」
「ああ、これが」
それを設置した場所へ、あらかじめコアに記憶したデザインのダンジョンなり城なり塔なりを構築し、その後は周囲のマナを吸収してコアに貯める装置だ。
マナは魔界で様々なものに使われており、ウチでも高級な家具やら道具やらには使われている。
そこの暖炉だってマナを流し込む事で火がともる。薪とか焚き付けとかいらんし、そもそも何かを燃やしているわけではないので、こんな密室でも使えるって寸法だ。
日常に欠かせないエネルギー、それがマナ。
ただし人工的に作り出せるものではないので、様々な方法や道具でマナは集められ、取引され、消費される。
中でもダンジョンコアでのマナ収集は効率も良く、質も良い為、たくさんマナを貯め込んだダンジョンコアというものはとても高く取引される、となんかで聞いた覚えはある。
所で。
なんでこんな話の流れになってるんですかね。
イヤな予感しかしませんわ。
「こちらを貸与いたしますので、ご子息におかれましては利息だけでも返済いただければ、契約期間の延長という事も可能かと」
「つまりオレに稼いでこい、と」
「ありていに申し上げればその通りでございます。そしておそらくこれが両者にとって最も良い方法かと」
「むーん」
まぁね。そうだろうね。
客観的に見ればこのブタさんはとても親切だ。
親父の借金の返済期限を教えに来てくれて、このままじゃヤバいよ? って事でダンジョンコアまで貸してくれるんだから。
しかも利息分だけ払えば期限を延ばしてくれる。完璧なフォローだと思うよ?
でも、問題はもっとシンプルなの。
オレにダンジョンマスターとか無理無理無理。
「いや。いやいやいや。もう少し違う方向で。穏便な解決策を模索する方向でお話ししましょうよ?」
手をブンブンと振る。そしてもっと現実的な問題解決を試みる。
「利息ってどれくらい? 家財道具とか売り払ってなんとかするって事で」
さっきも言ったがウチにはそこそこお高い家具とか道具があるはずだ。
それを見繕ってもらって、利子の返済にあてよう、そうしよう、それがいい、それしかない。
「それも手段ではありますね。さすが聡明でいらっしゃる」
嫌味かよ。皮肉かよ。
腰抜けとか軟弱者とか思われていそうだが、別にどうでもいい。実際その通りだし。
働きたくないとかより以前に、死にたくないし。
「ですが、元金が多額である事からして利息もそれなりです。家財をオークションにかけたとしても、そもそも三十日でさばき切るのは少々厳しいかと。急ぎであるからと値下げすればさらに足元を見られる事もあり、それでは金額が不足するかと思われます」
あー、確かに元金はすごい桁でしたもんねー。子供の落書きかと思いましたもん。
「そーですかー……そーなるとー……」
このままだと親父は契約不履行でどこかでくたばり、屋敷を追われて路頭に迷ったオレは路地裏かどこで野垂れ死ぬ。
もしくはこのダンジョンコアを持って、ダンジョン経営に乗り出すかの二択。
ふふ、どちらにしても積みましたね。
はい、次回の生まれ変わりに期待しまーす。
人生の終わりには今までの過去が脳裏によぎるって聞いたことあるけど、フツーにそんな事ないわ。
眼前にはブタがテーブルに並べたギャグみたいな金額の借用書とダンジョンコア。
はー、もー、どうしようもありませんねぇ。
オレは残された三十日という余生をどう過ごすか考えていたが、横からふわっといい香りがした。
後ろから細く白い手が伸びていた。
「それではこのコアはありがたく使わせていただきます」
メイドのリーデルがコアを両手で持ち上げる。
「……は? オイオイ、なにやってんの?」
オレが慌ててリーデルを問い詰めるが、それより早くオークが長椅子から立ち上がる。
「話は決まりましたな。それでは三十日後にまたお伺い致します」
「いや、ちょっと、オイ、待っ……」
引き留めようとしたオレに、オークの豚鼻がにじり寄ってくる。
「ご子息殿」
「はい!」
急に問いかけられたせいでビビって敬語になった。
だってオークのくせにマジ怖いんですもの。
近くで見ると顔も古傷だらけだわ。それって素敵な特殊メイクとかじゃないですよね?
「ご当主様には昔、本当にお世話になりましてねぇ……」
そんな頬の傷に触れながら、オークが初めて表情を崩した。
多分、これは笑っている……んだと思う。
親父に感謝して笑っている。はずだ。そうに違いない。
決してその頬傷に親父が関与していて、息子のオレに恨みをぶつけにきているわけではない、はずだ。
「あのご当主様のご子息殿であれば、この程度なんの苦も無くなし得る事でしょう。では次にお会いできる日を楽しみにしております。ご武運を」
それだけを言い残して、オークはミノタウロスとともに退室していった。
なかば呆然としていたオレだが、正気に戻ってすぐにリーデルに詰め寄る。
「どういうつもりだよ!?」
「どういうつもりも何も、どう考えても選択肢はありませんでしたよ」
「現実逃避して三十日間の余生を過ごすって選択肢があったじゃん!」
「それは選択肢とは言いません」
くそ、その通りだよ、正論だよ、オレだってそれくらいわかってるよ!