弱者の仮面
常夜の制止を無視した勇士は巨大な魔物と遭遇した場所に向かっていた。
『勝算はあるのじゃな?』
「あるぞ、5割ぐらいだけどな」
『………主殿、顔が笑っておるぞ。戦闘狂になってしまったのかの……?』
勇士を止められないと悟った常夜は勝算の有無について尋ねたのだが、返ってきたのはまさかの五分五分という予想と、笑みを浮かべた勇士の顔だった。
自身が笑みを浮かべていたことに勇士は少しを驚いた表情し、右手で口を覆い笑みを深めつつ、常夜の言葉を否定する。
「………そんなことはない。ただ、俺は力を隠さないといけないからストレスが溜まっててな、ここら辺で発散しときたいんだ。それに俺は一応武人の端くれだ。久しぶりの強敵に血が騒がないわけがないだろ?」
『それは戦闘狂とあまり変わらんと思うのじゃが……』
客観的に見ると、常夜のほうが正しいことを言っているようではあるが、勇士としては戦闘狂のつもりはないらしい。
「違いはあるぞ。あいつらはとにかく戦い第一で、自分の命すら惜しまない。たとえ勝てなくても、その先に死があろうとも喜び勇んで戦う。……さながら死兵のみたいな奴らだ」
『死兵のう………』
勇士にとって戦闘狂というと、ある一人の巨漢の姿を思い描く。その在り方を死兵だと断じる勇士の顔からは笑みが消え、眉間に皺が現れる。常夜も死兵という言葉に苦々しい声音に変わる。
そこからは会話がなく、重々しい雰囲気のまま目的地を目指す。
「そろそろか」
『………もし、儂から見て負けそうであれば、周囲がどうなろうと無理矢理封印を破るからの』
「……わかった。命あっての物種だしな」
勇士は強者が放つ独特な圧迫感を感じ取り、走る速度を緩めて相手からの先制攻撃を警戒する。常夜は万が一の時の自分の行動をあらかじめ勇士に伝える。
『……気を付けよ、主殿よ。この近辺に奴がいることは確かじゃが、あれほどの巨体であったにもかかわず姿が見えん』
(気配がぼんやりとしてどこにいるかがわからないな……どこにいるんだ?)
圧迫感が徐々に増しているに魔物の姿が見えないことに常夜が警告を発する。勇士は常夜の警告に頷いて警戒を強めるが、どれだけ気配を探っても漠然と周囲一帯から気配を感じられるだけで、どこにいるのか特定出来なかった。
(待てよ……周囲一帯から気配を感じる?)
「まさかっ………!」
勇士が飛び上がるのと同時に周辺から黒い棘が生える。何とか回避に成功した勇士だったが、背後から黒い塊が襲いかかる。
「ぐあっ!!」
『主殿!?』
腕で防御することに成功するも吹き飛ばされ、後ろの木の幹に叩きつけられる。強制的に肺から空気が押し出され、息が詰まる。
「くそっ!」
『主殿を見失っているようじゃの………しかし、これでは埒が明かんぞ』
「わかってる、だけど手がない訳でもない」
枝に掴まってぶら下がる。次の攻撃がないということは、魔物は勇士を見失っているようだ。状況は膠着しているといってもいいが、未だに勇士が不利なことは変わりなかった。相手が地面から好き勝手に攻撃出来るというのは勇士にとってかなり厳しかった。そんな状況で彼はいたずらを思い付いた子供のように笑うと呪文を詠唱し始める。
「日は沈み天を闇が覆う、星々が天を登り、その輝きをもって闇を穿ち、地を照らさん、“闇穿つ輝き”」
夜空に光が瞬くとそれらが全て光の筋となって降り注いだ。木々を貫通して光は次々と地面に突き刺さり、地面をズタズタに引き裂いていく。魔物のものと思われる悲痛な雄叫びすらも引き裂いてかき消してしまうほどの量の光の雨が止むと、光が降り注いだ場所に生えていた木々は粉々に砕け、破片と葉を周囲にばら撒き、地面は穴だらけとなった光景が月明りに照らされて現れた。
その中で唯一無事な木の枝から勇士は手を離して地面に降り立つ。刀を構えて油断なく周囲を見渡す。魔法で魔物には少なくないダメージを与えられたとは予想しているが、あの程度で倒せたとは微塵も思っていなかった。ましてや気配がまだ残っているにも拘わらず警戒を解くことは出来ない。
勇士が睨み付けていた地面から染み出すように黒い靄が立ち昇る。始めは少しずつだったが、あっという間に地面から噴き出すような勢いに変わり、黒い靄は一か所に集まり、形をグニャグニャと変えながらその体積を大きくしていく。
「グオオオオオオオォォォォォォッ!!」
「――――爆ぜろ、“紅き爆炎”」
勿論、勇士は戦隊ヒーローの敵のように相手が準備している間何もしないほど優しくはないし、油断もしていない。魔物が月の光を遮るほど大きくなり、形も人型に戻って怒りの咆哮を上げたのと、同時にその間で詠唱した魔法を発動する。魔物の巨体を包むように複数の爆発が連鎖的に起こり、その紅い炎は魔物を構成する黒い靄を確実に燃やしていく。その爆風は木の残骸と落ち葉を吹き飛ばし、その熱は勇士の肌を焼く。
『山の中で火属性の、しかも爆破系統の魔法を使うとは、何を考えておるんじゃ!!』
「落ち着け、しっかり考えてるから大丈夫だ」
木を始めとした燃えるものが多くある山の中で、威力の高い爆破系統の火属性魔法を使うという勇士の暴挙に、常夜が叱咤を飛ばす。山火事になってしまえば騒ぎになり、消防士や報道機関の人間が来てもおかしくない。それまでに戦いが終わっていなければせっかく隠していた実力もばれ、更に戦いに他の人間を巻き込む可能性もある。
憤慨する常夜を宥めてから勇士は親指で後ろを指さした。その先では燃えた木片や落ち葉が見えない壁に行く手を阻まれていた。見れば、その見えない壁は周囲一帯を囲んでおり、火がそれ以上広がることを防いでいた。
『………主殿はいつの間に“大気の牢獄”を発動しておったんじゃ……?』
「なんだお前、気づいてなかったのか?“闇穿つ輝き”の発動中に詠唱したんだよ」
『あんな騒音の中で気づけるわけがないじゃろ………』
一目で見えない壁の正体を看破した常夜の声音は呆れるというより疲れているようだった。とはいえ、常夜にとって朗報といえば朗報であった。これで戦闘音や周囲への被害を心配せずに済む。
「グオオオオオオォォォォォォォォ!!」
「ちぃっ!?」
(回避は間に合わない、なら……!)
常夜との会話でほんの僅かに魔物から意識が逸れた瞬間、未だに紅い炎に体を焼かれているのにも拘らず魔物は全力で勇士に向かって拳を放った。魔物の腕が伸び、炎を突き破って拳が勇士に迫る。
本来なら魔物の腕が届かない距離であるのと勇士の魔法がまだ消えていないことが油断につながり、勇士の初動を遅らせた。放たれた巨大な拳は回避が間に合わないところまで迫ってきていた。
勇士は魔力で刀の強度と身体能力を上昇させた渾身の力で切り上げる。拳と刀がぶつかり合い、せめぎ合う。
「オオオオオォォォォォォ!!」
「はああああああああああ!!」
お互いの雄叫びが空気を揺らし、せめぎ合いは激しさを増していく。ピシッという乾いた音と共に刀に罅が入り、勇士の額に汗が滲みだす。魔物の拳は元が靄とは思えないほどの重量をもって押し込んでくる。骨が軋み、足は徐々に地面を削りながら後ろに下がっていく。
「……っ、これ、なら……どうだ!」
残っている魔力を使って身体をさらに強化し、魔物の拳を上へ弾いて逸らす。勇士は振り上げた腕を肩の横に動かし、眼前の魔物の黒い腕を水平に切り裂き、切断した。腕から切り離された魔物の拳は慣性の法則に従って宙を飛び、風の壁にぶつかって黒い靄に変わり消えた。
「グオオオオオオオオオオオォォォォォォ!?」
『主殿、もう魔力がほとんど残ってないじゃろ!?早く封印を解くのじゃ!!』
「いや、まだ大丈夫だ」
『今の主殿の身体はもう限界じゃ!下らん意地を張ってないで早よ解かんか!』
(魔力は残り1割以下、骨は罅は入っているだろうけど、折れてないみたいだな………)
魔物は痛覚があるようで、腕が切断された痛みに絶叫を上げている。対して勇士は表面上は何ともないように見えるが、内側はボロボロだった。
手や腕や足の骨には罅が入っているようで、勇士は鈍い痛みを感じていた。数回使用した規模の大きい魔法と、魔物との圧倒的な重量と腕力を背景に存在する攻撃の威力の差を埋めるのに使ったため、勇士の魔力の残量は1割を下回っていた。魔力不足による疲労感もあった。
常夜の声を無視して勇士は身体の状態を確認していく。前世と比べて身体が貧弱だということは理解していたが、まさか身体の強度を直接試すわけにもいかず、予想よりも脆い身体に眉を顰める。
「まだ戦えるし、限界なのは向こうも同じだからな」
『じゃからといって………ああ、もう……っ!どうして主殿はこうも頑固者なのか……』
勇士がまだ封印を解く気がないとわかると、常夜は落ち込んだ声音で愚痴を言う。その様子に罪悪感を覚えないことはないのだが、この機会に勇士は今の自分の限界を知っておきたいので心の中で謝罪する。
勇士は右手に刀を持つと姿勢を低くして魔物を目指して走り出す。勇士の動きに気が付いた魔物は背中から複数の触手のようなものを生やし、勇士を向かい打つ。
視界いっぱいに押し寄せる触手を刀を振るって切り飛ばし、空いた隙間に身を滑り込ませる。先を切り飛ばされた程度では触手は止まらないだろうが、一度伸ばしたものを戻すのには時間がかかる。触手を後ろに置き去りにして走り抜ける。
「グオオオオオオ!」
「ここで全方位から面での攻撃か。俺以外の奴が相手だったらそこそこいい選択だったな」
魔物の身体と触手から無数の円錐状の突起が生え、順調に魔物へと迫る勇士に向けて発射された。それを見た勇士は獰猛に笑うとさらに加速し、自ら弾丸の群れに突っ込んだ。当たりそうな弾丸だけ刀で防ぐ、刀で間に合わないものはジャージの表面を滑らせて流す。
「グ、グオオオオオオオオオオオォォォォォォ!!」
「悲しき怒りは世界の理を覆し、強者の傲慢に異を唱える、神などおらず、弱者よ、血塗られた神秘をもって不条理を正せ、“禁断の理”」
ほぼ無傷で弾幕を突破した勇士を近づけまいと左腕を振り下ろしたが、その左腕は無造作に振るわれた刀によって肩から先が消え失せた。振り抜かれた刀は禍々しくもどこか神聖さを感じられる赤黒いオーラを纏っていた。
赤黒いオーラから発せられる威圧感は凄まじく、魔物は左腕を消し飛ばされた痛みを忘れ、知らず知らずのうちに後ずさる。
「………これで終わりだ」
「グオオオオォォォォォォォォ………!」
勇士が一歩踏み出し刀を振るう。魔物にはその動作が酷くゆっくり見えていた。――――あれは不味い、そう判断してからの行動は早かった。触れれば自らの存在を否定し、この世界から消し去ってしまうだろう力から逃れるために魔物はその身体を自ら黒い靄へと変える。
魔物が黒い靄になってから一拍遅れて刃が魔物へと到達し、黒い靄を散らして地面にすり鉢状のクレーターを造り出す。
「なっ……!?」
『主殿!不味いぞ!』
周囲へ散った黒い靄は勇士を囲むようにドーム状になると、予想外の事態に驚愕する勇士に向けて大量の黒い棘を放つ。常夜の警告に勇士は痛む体に鞭を打ち、赤黒いオーラが消えた刀で応戦する。
「………我、弱者の仮面を――――――――っ」
『主殿ぉぉぉぉっ!』
刀で棘を打ち落としつつ封印の一部を解くための呪文を唱えている途中で、これまでの戦闘で傷ついた刀がついに限界を迎え、根元から砕け散った。遮るものがなくなり、大量の黒い棘が勇士の身体に襲いかかる。なけなしの魔力と両腕を使って急所だけを守り、黒い棘の嵐に耐える。
「カハッ……」
『主殿、答えよ!主殿!くっ、かくなる上は封印を儂が無理矢理破るしかあるまい!』
(……いや、自分で解く。ここまで追いつめられるなんてな………。どれだけぬるま湯に浸かっていたのかわかる………)
『……主殿、ことは一刻を争う。すまぬが従えぬ』
(あと一語言うだけだ。お前が無理矢理破るよりも早い)
『……そういうことならば信じるぞ、主殿』
黒い棘の嵐が止む頃には魔力で守られていた頭部を始めとする急所を除く全身に棘が刺さっており、勇士は吐血して膝をついた。痛みのおかげで意識が遠退くことがなく、痛みでまとまらない考えを無理矢理まとめる。無理矢理封印を解こうとしている説得して止めた。
勇士にとってここまで追いつめられたことは予想外なことではあったが、一方でもっと致命的な場面で自分の腕が錆びついていることにならなくて良かったと安堵した。そして、胸の内で自分をここまで追いつめた敵に心からの称賛を送り、最後の呪文を紡いだ。
「――――――脱ぎ捨てる……!」
勇士の内側から膨大な量の魔力が沸き上がり身体の外に噴き出すと、身体に刺さっていた黒い棘が消え去り、急激に傷が塞がっていく。傷が塞がるのと同時に全身の力が漲り、脱力して開ていた手を握りしめ、立ち上がる。込み上げる万能感に勇士は苦笑し、再び飛んできた黒い棘を見据え、目を細める。
「ハァッ!」
『……主殿よ、始めから封印を解かなかったのは正解かもしれんの』
気迫だけで黒い棘は疎か靄になって勇士を囲んでいた魔物を吹き飛ばした光景を見て、常夜はため息交じりにそう言った。今の状態の勇士が今回の戦闘で使用した魔法を使えば、魔力の調整に失敗して山一つぐらい消し飛ばしてもおかしくない。
「……逃げたみたいだな」
『………まあ、同じ状況なら儂でも逃げるしの』
魔物の気配が完全に消えていることに気付いた勇士は少し納得してなさそうな顔をする。だが、常夜にはあの魔物の気持ちが理解できた。おそらく、必死に追いつめた魔王が第二形態になったときの勇者パーティーのような絶望を味わったのではないだろうか。そう考えれば、敵ではあるが魔物には同情してしまう。勿論、そんなことは口が裂けても言わないだろうが。
「夜明けが近いな、さっさとあいつを回収して帰るか……」
『そうじゃな』
視界の端にうっすらと明るんできた空を見て、勇士は少女を置いてきた場所へと足を向けた。