閑話休題
港町アザレから戻って来た蒼達は束の間の休息として青龍の城で休んでいた。
この世界とは異なる場所とは言え、元々人間社会で生きていた恵美にとってはかなり休んでいる気がしなくはなかったが、それでも蒼達の様な悠久の時を生きる者達にとっては、束の間なのだろう。
この辺りの感覚の違いはすぐにはどうにもならないようだ。
恵美は隣で眠る蒼に微笑む。
今まで目覚めると大抵蒼の方が先に目覚めている事が多かったが、ここ最近恵美の方が先に目覚める事が増えて来た。
蒼の寝顔を余り見る機会が無かった恵美だが、最近その機会に恵まれ喜んでいた。
しばらく蒼の寝顔を静かに見つめていると銀色の長い睫毛が小さく揺れた。
アザレの街で翠羅が蒼の部屋の入り口と宿屋の入り口を繋ぎ、襲われそうになってから恵美が寝ている間蒼が寝室から出る事がなくなった。
恵美は蒼を起こさない様にゆっくり蒼の腕から抜け出そうとするが、条件反射の様に眠っている蒼は恵美に回す腕に力が篭る。
チラリと蒼を振り返るが、やはり目は閉ざされている。
くるりと反転し、回された腕にすりすりと頬擦りして蒼の頭を撫でると蒼の固く結ばれていた口元が優しく綻ぶ。
しばらくそのまま腕の中で目を閉じ、こういう時に転移は便利だなぁと思い、はたと思い至る。
いつも人頼りな自分に気付く。
だから必要な時に上手く力が使えないのではないか…と。
何かあった時、上手く攻撃出来なくても転移などで逃げる事が出来ればどうだろう?
ここまで蒼達が心配する事もないのではないか。恵美はそう思いついた。
なんせ、強いのか弱いのかよくわからない自分が悪い…と。
そもそも転移はどの様なイメージなのかもわからないが、海悠と愛結の時に聞いた事を思い出す。
夫婦や隷属関係にあれば互いに行き来出来る…と。
海悠達の事も気になったが、どこに居るかもわからない、しかも近いのか遠いのかもわからない場所に転移するのはさすがに躊躇われ、恵美は煌の場所を目指してみる事にした。
目を閉ざし、意識を集中させる。
煌の側に行きたい。
煌はどこだろう…。
瞼の裏に煌の身に纏う気配にも近い魔素を思い浮かべる。
そう言えば…。
精霊も四神も、髪の色が魔素の色になっている事に恵美は気付いた。
目の前で穏やかな顔で眠る蒼は青味が強い銀色。
聖は金に近い琥珀。
煌は朱色が混じった艶やかな金色。
朱金の気配を手繰り寄せる。
恵美はシーツをぎゅっと握ると自然と額に力が入るのを感じた。
✳︎✳︎✳︎✳︎
煌と聖は今日も今日とて厨房でお菓子作りに励んでいた。
二人の目下の趣味は料理で、特にお菓子作りに嵌っていた。
聖は最初は恵美の為だったが、紫苑が生まれたら美味しいお菓子を食べさせる為に。
煌は恵美が好きなお菓子を作る為に。
今、二人はこの間知り得た焼き餅を再現しようとしていた。
もち米を臼の中に放り込み、杵でつく。
水で湿らせた手で餅をこね、杵でつく。
二人はひたすらそれを繰り返していた。
「煌」
最初こそたどたどしい手つき故ゆっくりだったが、途中からはさすが人ならざる者達。
目にも留まらぬ早業で連携をこなしていく。
「はい」
「なんか楽しいね」
「はい」
シパパパパパパパパ…。
餅つきにはおよそ不似合いな風切り音が辺りに響く。
「ところで煌」
「はい」
「どれぐらいつけばいいのかな?」
「俺も知りません」
こねてついて、こねてついて…。
手早くしながら二人は顔を見合わせた。
「結構柔らかいよねー」
そう言いながらも聖はつき続ける。
「かなり!」
答える煌も手を止めない。
「そろそろやめる?」
「は……恵美?」
煌はこねながら呼ばれた気がして振り返る。
「あ」
ガンッ!と激しく杵は煌の手を打つ。
「ぁ!…いっつぅ」
手を引っ込めた煌は半泣きになり手を掲げる。
「ごめん、煌」
杵を握っていた聖は下に置き、煌の手を見た。
「あちゃー。腫れてる」
「回復魔法かける…」
「うん。本当にごめん」
煌の手に淡く光が点り、聖も重ねがけする様に手をかざし、回復魔法をかけたその時。
宙を裂く様な鈍い音がして煌の後ろにハッキリと恵美の気配を感じた。
「恵美?」
煌が再び振り返ると、そこに仄かに光る白髪を宙に舞わせて淡い白色の光りに包まれた恵美が現れ、ドサッ!バサバサバサ…と、派手な音を立てて落下した。
「いったぁーッ」
厨房の床に這いつくばる様な格好でその場に現れた恵美の上にシーツがふわりと舞い落ちた。
「恵美??どう…ッ⁈」
「恵美、なんで…」
二人は恵美の姿に絶句し、聖はその手で煌の目を覆った。
「あぃたたた…」
恵美は腰をさすりながらゆっくりと顔を持ち上げる。
仄かに淡く光る白髪がサラリと肩から滑り落ち、何とも艶めかしい姿を晒すが、本人はまだ気付いてない様で、煌を認めると花が咲く様に微笑んだ。
「わぁー。煌だ。初めての転移、成功だね」
無邪気に小さく首を傾げて微笑む恵美は可愛らしく、思わず聖も息を呑み頬に朱が刺すのを感じた。
「恵美…。服…」
目のやり場に困った聖は目を伏せた。
「恵美、なんで裸?どうしたの?なんかあった?蒼司様は⁈」
ベリッと聖の手を剥がし、煌は恵美に駆け出した。
煌に言われ、恵美は自分の胸元に目をやり…。
「ぎ。ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあッ」
見た目とは裏腹に、色気もへったくれもない悲鳴と共に顔を真っ赤に染め上げて一緒に転移した握っていたシーツをたくし上げ胸元を隠し、小さくうずくまった。
✳︎✳︎✳︎✳︎
「恵美ッ!」
悲鳴と同時に顔色を真っ青にした蒼が現れた。
菫色の瞳を潤ませ、目尻に薄っすらと涙を溜めた恵美は顔を茹でたタコのように赤くし、シーツに包まり蒼を見上げた。
「ゔッ」
小さく呻いた蒼は僅かに頬を上気させ、恵美に服を着せるとシーツごと抱き上げた。
「服…ありがとうございます……」
ぎゅっと蒼の首に腕を回した恵美は恥ずかしさの余りそのまま首元に顔を埋め、ボショボショと話し始める。腕の中の温もりに、やっと安堵した蒼は顔色を取り戻し、けれどまだ少し険しさの残る表情で恵美を見つめた。
「なぜ急に居なくなった?しかも服も着ずに」
蒼の問いに益々赤くなった恵美は首まで朱を広げ、更に深く顔を埋めた。
今の恵美は、まさに穴があれば入りたい状態だった。
「服をね」
「うん」
「取ろうとしたんだけど、蒼が離さないし、起こすのも悪いでしょ」
ごにょごにょと恵美は声を絞り出す。
「それに、いつも教えて貰ってばかりだから自分でやってみたの。私が何にも知らないし、何にも出来ないからみんなに心配かけるんだよね…」
茹でタコの如く赤かった顔はゆっくり熱が引いていく。
自分の不甲斐なさに恵美はしょぼんとなり、違う意味で顔を埋めた。
「転移が出来れば、例え上手く力が使えなくても逃げる事は出来るでしょう?だから、煌や愛結達の所なら転移出来るから、煌なら近いと思ってやってみたの」
聖と蒼はなるほど…と、納得したが一人だけ腑に落ちない煌は毅然とした顔で蒼を真っ直ぐに見つめ口を開いた。
「恵美の言い分はわかっただけど、なんで裸⁈蒼様はいつも恵美に服を着せてあげないのですか?確かに裸で寝るのは良くあるかもしれないけど、でも恵美が風邪を引いたらどうするんですか!」
まさに、純真。
生まれて間無しの聖霊は小さな子供と同じで大人の情事なんて言葉さえ知らなかった。
純粋に恵美を心配する煌の真摯な瞳に、蒼はたじろぐ。
煌の真っ直ぐな言葉に恵美は再び頭に熱がこもり始め、上がりかけた頭は再び蒼の肩に顎を乗せ、背中の方へと埋没した。
「ごめんなさい。まさか、まさかこんなに直ぐに成功するなんて想いもしなかったから…」
思い付きでやってごめんなさい…。
恵美は深く、深く反省した。
それでも煌の追随は容赦無かった。
「蒼様は恵美に服だけでなく物の取り方を教えてないのですか?」
「服はいつも枕元に…」
蒼ではなく恵美が答えると、煌はガウっと噛み付かんばかりの勢いで否定した。
「違う。他にも沢山方法はある」
煌の言葉に恵美は蒼の首から顔を覗かせる。
「恵美が自分で選んだら服が偏るだろう。女官達の努力の意味が無くなる」
「確かに!絶対恵美は地味なの選びそう!」
キッパリと断言する蒼に、煌はそこは同調する。
「だろう?だから私が渡さねば…」
「それは激しく同意します!」
純粋な煌はまんまと蒼に丸め込まれた。
「まぁ…。転移と同じ要領だよ。恵美にも衣装部屋があるから…」
「聖、おまえ…」
「裏切り者!」
サクサクと教えようとする聖を蒼と煌が避難する。
冷めた目で見ている恵美の視線に気付き、蒼は小さく咳払いをした。
「まぁ。なんだ。転移が出来る様になったみたいで良かったな」
「……」
白々しく言う蒼を恵美はジトリとした目で見つめ、笑い上戸の聖は肩を震わせて笑いを堪えるのに苦労した。
ギルド編の後の短編を後一つぐらい書く予定。