時計台の螺旋階段
ふわふわの生き物の星は地球からはるか彼方の遠い星です。それなのにふわふわの生き物たちは気球を運び、あっという間に地球に到着しました。ふわふわの生き物オッティたちはすごい力がありますね。それでも中天を飛ぶ天使に比べれば蟻のような存在だなんて驚きです。
地球はふわふわの星の時間の何倍もの速さで過ぎていきます。のんびりしている時間はなさそうです。
キツネの王子は時計台に着いているのでしょうか。
気球から最初に降りた時計台の番人のネズミは、玄関に迎えに出てきたネズミに「留守中時間の調整ご苦労だったね、キツネの王子は着いているかね?」と尋ねました。「お帰りなさい。キツネの王子はまだ到着されていません」と時計台の番人の長であるネズミが帰ってきて緊張がほぐれたのと、任務を無事に果たすことが出来たという安心した表情で言いました。
「とりあえず時計台の中で待つことにしましょう、どうぞ中へお入り下さい」と時計台の番人のネズミが言いました。時計台の中へ入った七海は上へ続く螺旋階段を見上げて「この階段を誰かに抱かれながら上ったわ」と呟きました。
七海が小さな声でそう言うのを聞いたネズミは、まさかこの七海さんがあの日の赤ん坊なのかと、何年も前の雨がたたきつけるように降っていた日のことを思い出していました。
何者かに追われているように時計台に入ってきた女性がいました。雨に打たれてずぶ濡れで小さな赤ん坊を抱いた女性がひどくおびえた様子で、螺旋階段を必死に上ってきました。ネズミは驚いて「どうされましたか?」とその女性に言うと「どこかに隠れる場所を探しています。どうぞ助けて下さい」とネズミに懇願するように答えました。大概の人間はネズミが人間の言葉で話していることを不思議に思うはずですが女性は違っていました。ネズミは他のネズミ達に扉という扉をすべての閉じてかんぬきをかけるように命じました。ネズミ達は大騒ぎで時計台のあらゆる扉という扉にかんぬきをかけました。
「これで大丈夫ですよ。扉はすべて閉めました。何があったのか教えていただけませんか?」そしてネズミ達に「すまんが暖炉に薪をもっとくべてくれ。そして布という布をすべて持ってくるんだ。このままでは赤ん坊が死んでしまうぞ」と叫びました。ネズミたちは飛び上がり大騒ぎで暖炉に薪をくべると、様々な布を持ってきて軟らかなベッドを作りました。
ネズミ達が作ってくれたベッドに赤ん坊を寝かせると女性はここへ来たわけを話し出しました。それはこのようなものでした。
いつものように家事をしたり赤ん坊の世話をしたりしていた時のことです。「赤ん坊を連れてここを出て行け。さもないと赤ん坊の命はない。ショージ博士には絶対に言ってはならない。黙って出て行くのだ」と言う恐ろしい声が聞こえました。その声はその翌日も同じことを言いました。ショージ博士は研究の論文を仕上げるためここ数日は大学の研究室に泊まっていて帰りません。恐くなりましたが、自分の空耳かもしれないと思い気にしないでいました。するとその翌日「まだ信じていないようだな。赤ん坊の命がなくなってもいいのか?」という声がした途端、晴れていた空がにわかに暗くなり、スコールのような激しい雨が窓ガラスをうちつけるように降ってきました。雨の音で辺りの音が聞こえないくらいです。すると赤ん坊に黒い影のような手が伸びたかと思うと、赤ん坊の首を絞めようとしているではありませんか。激しく鳴く赤ん坊を抱き上げると女性は外へ飛び出し走りました。その後ろから「このことはショージ博士には絶対に言ってはならない。そして彼の前から永久に姿を消すのだ。さもないと今度こそ赤ん坊の命はないと思うがよい」という声が追いかけて来ます。無我夢中で走っていると時計台の門が見えたので飛び込んだというのです。
そして女性は続けて「私は何も持たずに出てきたので、この先どうしたらよいかわかりません。家に戻り主人に話せばこの子の命がなくなってしまう事でしょう。どうぞ助けて下さい」とネズミに言いました。
それを聞いたネズミは「そんな恐ろしいことが?しばらく時計台で過ごして下さい。何か良い方法がないか考えますので」と答えました。
それから一週間あまり、女性と赤ん坊は安全な時計台で暮らすことになりました。倉庫からネズミ達が運んでくる食材で料理を作ったり掃除をしたりする女性と、ようやく一人でお座りが出来るようになっていた赤ん坊はネズミ達を見てキャキャと笑って大きなネジをおもちゃにして過ごしました。ネズミ達はピンクの頬っぺ、小さなお手てをした赤ん坊をそれはそれは可愛がったのでした。
やがて時計台のネズミが「時計台の地下にこの街から他の街へつながるトンネルがあります。赤ん坊を連れてその道を行くのは大変だろうと考えてみましたが、やはりそちらから逃げるしかなさそうです。途中までは皆が交代でお送りします」と申し訳なさそうに言いました。それを聞いた女性は「何をおっしゃいますか。私達に親切にしていただき安心して過ごすことが出来ました。感謝しています」と頭を深く下げました。ネズミ達は優しい女性と愛らしい赤ん坊との別れが名残惜しくて涙を流していました。
出発の支度をした女性は赤ん坊をしっかりと抱き地下のトンネルの道をネズミ達に伴われながら歩きました。
付き添って歩く最後のネズミが「さあ出口に到着しました。くれぐれもお体を大切に。そしてお嬢さんが健やかに育ちますよう願っています」と目に涙をためて言うと「ありがとうございます。他のネズミさんにもどうぞよろしくお伝え下さいね」という言葉を残して女性はネズミと別れて地上に出ました。
女性と赤ん坊がその先どうなったのかは時計台の番人であるネズミは知る由しもありませんでした。
七海の言葉で過去の出来事を思い出した時計台の番人は「ああ、なぜ私はあの時に女性が言っていたショージ博士という名前に気がつかなかったのだろう」と後ろを歩いているショージ博士を見ました。
その後の女性と赤ん坊については以前に少しお話しましたかしら? 地上に出ると太陽が眩しく輝いています。その街で女性は住み込みで働けるところを見つけて故郷へ帰る旅費を蓄えました。
やがて旅費が貯まると故郷の地へと向かいました。年老いた両親を残して大学に行き結婚した時には両親は亡くなっていました。兄弟もいなくて一人娘だった女性は故郷へ帰ってきても母子寮に入って働きながら赤ん坊を育てなければなりませんでした。
皆が時計台の一番上の部屋に到着した時「キツネの王子が到着したようです」と仲間のネズミが言いました。
ふわさんはぐっと握りこぶしをし、キツネの王さまは泣き出しそうな王妃を見ました。皆がみな緊張しています。何せ地球が白黒の世界になるという問題の鍵を握っているキツネの王子と対面することになるのですから。




