聖戦学院 38話 序曲より、楽章は移りゆく
戦いは終わり、しかしそれは序曲に過ぎない。
同じ頃、ある一人の少女もまた、己が使命を果たすべく剣を振っていた。
「・・・終わったぁ・・・」
ぺたり、と思わずその場に座り込んでしまう。
疲れた。
本当に・・・疲れた。
疲労と倦怠が襲う中、ぼんやりと自分の手を眺める。
戦いの時に起こったあの衝動は、もう無い。
あの時。
まるで、そう感じるのが自然なことだったかのような。
いつも通りの感情として、僕はあの殺意を捉えていた。
「何だったんだ・・・」
掠れた声が口から溢れる。
そこへ、美月が足音を鳴らして現れた。
「本当に何だったのかしらねえ?」
顔を上げるとーーーーー物凄く、怒っていた。
「み、美月・・・さん・・・?」
「女の子の胸を鷲掴みにした感想、聞かせてもらおうじゃない?」
やばい。
背筋がゾクリと危機感を告げ、思わず身を翻し。
というかそれすら既に遅く。
「せいっ!」
身体を思い切り倒されて、そのまま両手を顔の両側につけられて。
・・・僕は美月に捕らわれた。
「・・・えっと、壁ドン、というよりは床ドン?ってやつ・・・なのかなこれは」
「さっき言ったよね?ゆっくりと、お話しようって」
ニコニコという笑みの裏の、黒い怒り。
よくある表現しか出来ないほど、僕の心は荒ぶりパニクっていた。
「いや、あの、その、あれは向こうからやってきたことであって僕が望んだわけじゃなくて!ていうか変な、そう!変な何かが見えたんだよ天野さん!?」
「美月って、呼べって、言ったよね?」
「ハイ美月サン!!」
むーっ、と顔を膨らませ、音を立てて息を吐く美月。
まだ何か怒られるのかとビクビクしていたが、幸い興味は他に向いたようで、一先ずはその怒りを抑えてくれたらしい。
ゆっくりと身体を起こし、僕の手もついでに引っ張ってくれた。
「・・・で、さっきのアレ、何だったの?」
「クレアのむ・・・じゃあ、ないよね」
ぴくり、と彼女の血管が動いた気がしたが、あえて意識の外に置くことにする。
彼女が問うているのは、つまりはこうだ。
あの人が変わったような態度は、何なのだ、ということ。
「・・・正直分からない。怒って、怒って・・・クレアにも、鯨井さんにも怒って、そしたら頭の中が真っ白になって」
自分でもうまく説明できない。
僕自身、あれをどう形容していいのか分からない。
まるで、僕という人格から、別の誰かに切り替わったような。
「引き出しを無理に開ける」からそうなるんじゃ。
ツクヨミの言葉だ。
引き出しを開けるとはどういうことだろう。
本人に説明を求めようとしたが、見当たらない。
「・・・美月、ツクヨミは?」
ツクヨミのことは、学院に戻る際に美月から聞いていたので、今更驚きはしない。
ポニーテールの相棒は、制服を僅かにはらりと揺らしてかぶりを振る。
「艦に戻ったみたい。随分と急いでたみたいだけど」
どうやらあのことを聞けるのは後日、ということになりそうだ。
クレアは退いてくれたが、もしもアビスや謎の咆哮が無ければ、どうなっていたか。
そこから先は、想像するのも頭が痛い。
「あの光景は」
ふと、思い出す。
彼女との戦いの時に起きた、二つの出来事。
ノイズ混じりの映像のような、謎の光景。
そして、「とある精霊」の干渉。
「ルクス君?」
話すべきだろうか。
目の前の、キョトンとしながら僕の顔を覗き込む、この栗毛の少女に。
「美月、実は」
「天道寺いいいいいっ!!無事かああああああっ!!」
ビクンッ!と身体が跳ねた。
あまりに突然に大声が聞こえてきたので、思わず仰天してしまったのだ。
それは美月も同じだったらしく、何事かと声のする方を見ると。
「く、鯨井さん!?」
なんと、艦長、バタフライ。
老体に鞭打ってか、それともやはり牙鮫戦で見せたように元から体力は有り余っているのか。
僕達が目を丸くしている間にも、老人は腕を必死に回して水面を貫き進み、僕達の船団へと向かってきていた。
「今行くぞおおおおおおおっ!!!」
というか来てる。もう来てる。
みるみるとその身体を大きくして、僕達の視界に徐々にその存在を誇張する。
開いた口が塞がらないといった様子の美月と目が合い、思わず笑ってしまった。
ともあれ、終わったのだ。
吸血鬼は去り、食人鬼は死に絶えた。
ーーー此度の戦いは、これにて終幕。
なんて、少し気取った言い回しを、僕は心の中で呟き、微笑んだ。
「なんじゃ・・・おらぬではないか」
息急いていち早く船艦へと戻ったツクヨミは、自らを助けてくれた精霊に恩を返すべく、当の本人を探していたのだが。
「船から出るなと言うたのに・・・」
「まったクだ。礼を求メぬとは、騎士ノ性格に引っ張られタか?」
所々歪んだエフェクトをかけたような声は、同じ目的で船内を探し回っていたバルトアンデルスだ。
人型を保てなくなったらしく、今は黒い狼のような姿でツクヨミの側に現れた。
「・・・お主、あやつの呪縛が強くなっておるようじゃな」
「そノようダ。すまヌ、ロクに会話も出来そうニない」
バルトアンデルスは、安村久遠の命令でしか、基本その身を動かせない。
ある程度自由が許されれば、船室に閉じ込められた時のように言葉を交わすことも可能だが、命令の強制力が強まれば強まるほど、彼の自由は削がれて行く。
その分かりやすい例として、この会話障害がある。
「忌々しい枷をつけられたものよ。妾が断ち切ってくれようぞ」
義憤に身を震わせるツクヨミを、影の精霊は静止する。
「やめてクれ。今奴の呪縛ガ断たレルと、お前たチにも被害が及ブカモしレなイ」
ノイズは徐々に増していき、バルトアンデルスもまた話すのが苦痛のようで、声を出す度に苦悶の表情を浮かべていた。
「バルトアンデルス・・・」
いたたまれないとばかりにツクヨミが身体を撫でる。
漆黒の毛並みは細かく震え、猛々しい印象をもたらすはずの牙も、傷つき、弱々しいものとなっていた。
・・・命令違反の反動がここまでとは。
胸中で精霊の主人への憎悪を膨らませ、同時に目の前の精霊に憐憫を抱く。
本来、ツクヨミは他の生命に対して、特別な感情を抱くことはあまりない。
清らかな心、意思を貫く強さ、善き者、尊き者と認めたもの以外、彼女はほぼ無関心だ。
その上ツクヨミは、瞳に審判者でも住み着いているかのように疑り深い性格だ。
一言二言話す間に、その者の本質や本心を見極め、見定め、相容れぬと感じればすぐに会話を止めるほど、警戒心の高い精霊である。
そんな彼女だからこそ、信頼できる者を見抜くのにもまた、時間はかからない。
「何故じゃ」
その信頼に値する目の前の精霊の惨事に、ツクヨミは声を震わせる。
「何故そなたは、そこまで・・・」
「・・・当ゼン、面白ソウナンテものでハナイ」
「守るタメ」
辛うじてその言葉を言い終えると、限界とばかりに影の獣は形を崩す。
まるで、砂の城が風に吹かれてかき消えるように。
バルトアンデルスは、その身を暗き世界へと投げた。
「バルト・・・アンデルス・・・」
死んだわけではない。
ただ彼の肉体や器官を構成する、影を好んで住み着く、「影」の魔粒子を蓄えに行ったのだ。
だが、ツクヨミはそれをこう捉えた。
・・・影の獣の、痛みに耐えかねた心の叫び、と。
遠く、遠く。
誰の目にも、意識にも届かない、とある場所。
「おい、お嬢ちゃんよ。そろそろ一休みしなねえか?俺ァ流石に疲れたぜ」
カタカタと音を立てて、いかにも若者といった声が響く。
「うるせえなあ。まだ十時間しか起きてねえだろうが。働け働け」
声を返したのは、お嬢ちゃんと呼ばれた少女。
漆黒を思わせる黒の長髪に、アウトローな雰囲気を醸し出す、これまた黒い極道服。
しかし下は藍色のロングスカートを履き、清楚な感じを漂わせる。
ミスマッチここに極まれりといった風貌の少女に、男の声が荒々しく不満を述べた。
「そんなのもう社畜だろうが!なんだよなんだよ、前に流行ってた怠惰だなんだってやつに、お前もハマっちまったのか?」
冗談めかして言うが、その声には確かに疲れが表れていた。
「いーや?まあそこまで言うなら仕方ねえ・・・休むか」
ふう、とため息をついて、少女は左手を伸ばす。
・・・しかし、何も起きなかった。
「・・・だから、休むっての」
「なんだよ!?歩けってのか!?マジかよ!」
信じられないとばかりに叫んで、それから一度舌打ちをし、少女は仕方なくその足で休憩場所を見繕うべく歩き出した。
怪物の、真っ赤な血で彩られたレッドカーペットの上を、まるでハリウッド女優のように。
「あらかた狩り尽くしただろ、まだこれでも足りねえのか?」
尋ねる声に、少女は小さく手を振って答える。
「この程度だと数日で元通りだよ。分かってるだろ?もう時間がねえんだよ」
言葉の上に焦りはないが、苛立ちはあった。
「まあ、あの馬鹿でかい叫び声を聞いちゃ、黙ってはいられねえよなあ?最愛のルクス君が、心配で心配でたまらねえんだろう?」
「おっ、おまっ、ぶっ殺すぞ!?」
取り乱し、腕を虚空へと何度もばたつかせる様を見て、ケラケラと男が笑う。
「なんだよ、もう完全に恋する乙女じゃねえか!いやーいいねぇ、青春だねぇ!」
「んなっ!?そっ、そんなんじゃねえったら!」
ただ、と少女は置いて、悩ましげな視線を彼方へ向けて呟く。
「あたしがいない間、他の女に取られてないか心配なだけだ」
ぶっ!と男が噴き出した。
「おっ・・・!おまっ!それっ、それ!カッ!カッハハハハハハッ!!決まりだ!決まりだぜこりゃあ!アッハハハハハハ!!」
「うるせえええええええ!!?笑うな!笑うなあ!!」
ぎゃあぎゃあと、先ほどまで休みたいのなんだの言っていたとは思えない喧騒が、二人の間でしばらく続いた。
しかしそれは、男の一言で不意に終わりを告げる。
「お前はどう思う?こいつの恋路をよ?」
かさり、と草をかき分けて、人影が姿を現した。
見かけの歳は十代前半といった所だろうか。
銀色の髪を尖らせて、白色のシャツと水色のジーンズを着たその少年は、どこか狼のような雰囲気を感じさせる。
「なっ!?お、お前・・・生きていたのか?」
あからさまに動揺を見せる少女に、少年はにこやかに口を開いた。
「久しぶりだね、姉様」
「リヒト・・・」
幽霊でも見るかのように、リヒトと呼んだ少年へと顔を向ける少女。
口は半開きになって、何を、何から伝えれば良いのか、それすらも定まらないと唇を震わせる。
「姉様、好きな人ができたんだって?良かったね」
パチパチ、と。
純粋無垢な言葉を述べて、拍手をするリヒト少年を、少女は怯えるように見つめる。
「なんだ・・・よ。あたしに復讐でもしに来たのか?」
「復讐?あはははっ!そんなまさか!とんでもない」
くるくると踊るように回って、回って、回って。
ぴたりと身体を止め、リヒトは告げた。
「姉様が大好きなのに、そんなことするはずないでしょう?ねえ、姉様」
「なんだコイツは、シスコンか?」
少女にそう尋ねた男もまた、少年の「存在」を探っていた。
異質で、歪で、それでいて純粋な少年は、何故ここに現れたのかを。
「あと姉様?僕はもうただの、リヒテルス・シュヴァルツヴァルト・レーゲンスブルグじゃ無いんですよ?」
長々とした少年のフルネームを、少女は目を見開いて、一字一句逃さず聞き取った。
その次に発された、現在の少年を構成するある名前を、全く予測できずに。
「僕は、「グレイプニール・ブラッドレイン」。あは、姉様とお揃いだね」
「ふざけるな!!」
奇しくも自らが想う少年と同じ反応を返し、少女は激昂に身を委ねる。
「その名は!その名前は!お前に与えられたものじゃ無かったはずだ!あの野郎はもう死んだはずだ!なんでお前がその名を名乗ってる!?」
「死んだ?やだなあ姉様、世間知らずもほどほどにしなよ?」
「お父様は死んでいない。生きてるよ?」
「嘘・・・だろ・・・」
口を開け、手を下げ、全身に平等に与えられていた力が、一気に抜けていく。
「お前も、あの野郎も生きているのなら・・・クレアも・・・」
少女の反応を全く意に介さず、ニッコリと頷いてリヒトは言う。
「クレアお姉ちゃんはずっと生きてたじゃない!何言ってるの姉様?」
「生きていた・・・?ずっと・・・?」
ーーーおかしいと思っていた。
「政府」の対応が早すぎると。
監察官の派遣、衛星の動かし方、あたしに対する監視の網、何もかも。
・・・そういうことだったのか。
「死神」は、死んでなどいなかった!
「・・・失せろ」
もう関わりたくないと、少女は低く、低く声を出す。
「えーっ?やだよ姉様ぁ。やっと会えたのに」
「失せろって言ってんだよ!!!」
ギィンッ!!と、空気を震わせ、彼女の手にしっかりと握られていたそれは、一本の大剣。
名を、擬似精霊:ダインスレイヴ。
少女の血を喰らい、対価として力を与える、歪なる精霊。
今は眠るその魔剣を、少女はリヒトの首元へと突きつける。
それでも少年は、道化のような笑みを崩さない。
「いーや。僕は姉様に会いにきたんだよ?あ、そうそう。会うといえば。クレアお姉ちゃんが姉様の恋人に会いに行ったよ?」
「何だと!?」
少女の大剣を握る力が強くなる。
「けど関係ないよね?今は僕とお話ししてるんだから!ね!姉様!!」
「邪魔だ。そこを退け、リヒト」
一瞬見せた動揺が、嘘のように収まる。
代わりに現れたのは、恐ろしいまでの、殺気。
「退かねえなら、力ずくでも退かせる」
「いいねいいね!久しぶりの姉弟喧嘩だね!「戦闘狂」の腕が鈍ってないか、確かめてあげるよ!姉様」
互いに飛び退いて、少女は大剣を、少年は爪を構える。
ただの爪ではない。鉄か、合金か、おそらくは精霊のそれか。
少女には判断こそできなかったが、月光に反射して七色に光るそれが、ただのこけおどしではないということは、すぐに理解できた。
「あとな」
大剣を構えたままの少女が、リヒトに向かって叫ぶ。
「お前の本名は、斎藤・リヒテルス・アーレだ。もう二度と間違えるんじゃねえぞ」
「悲しいなあ姉様、僕の名前を忘れちゃうなんて」
もう、言葉は不要。
少年は少女のために。
少女は少年のために。
互いの刃を向け、激突する。
「ブラッドレインはこのあたしだ。その名前を騙るのなら、まずはあたしを殺してからにしてもらう!!ヨルムンガンド!この馬鹿にお灸を据えてやるぞ!」
「さあ、殺し合おう姉様、愛し合おう姉様!飽きるほどに!朽ちるほどに!僕の愛を受け止めてよ!!さあ『フェンリル』!僕の愛を身体に宿せ!『グレイプニール』!僕の愛を糧として力となせ!!」
この戦いを形容するなら、ただこうとしか言えないだろう。
「死神」の戦い、と。
「そうか、ご苦労」
他の船との無線通信を終えて、インカムを置いた鯨井さんが僕達の方に向き直る。
「それで、話を聞く限りだと」
「天道寺君と死神クレアの交戦中に、天野さんの精霊が介入、そしてアビス、さらには謎の咆哮によって、彼女は戦意を喪失。そのまま撤退・・・ということですか」
話を切り出そうとした鯨井さんの言を、秘書の紫月さんが手早くまとめ上げ、素知らぬ顔で席に着いた。
ここは、もはや見慣れた艦長室。
今は円状のテーブルを引っ張り出して、それを囲むように座っている。
「一々纏めるのが早いなあ、君は・・・」
呆れ混じりに呟いて、一度咳払いをしてから、改めて僕等に向き直る。
「まあそういうことで、間違いはないかね」
「はい、ただ・・・」
あの咆哮が何なのか、その正体を聞こうと思っていたのだが、紫月さんや美月も知らないと言っていたそれを、鯨井さんが知っているのだろうか。
船上での僕の無礼は、「気にするな!無事で済んだのだから何よりだ」と、笑って水に流してくれた。
だからこそ、余計な心配をかけたくはないのだが。
「鯨井さん、聞こえましたか?あの途轍もない咆哮を」
美月が、切り出した。
「ああ、聞こえたとも・・・忌々しい、やつの咆哮だ」
訳知り顔の老人に、美月が正体を聞こうと口を開きかけたその時。
「「暁」よ」
鈴のような声色が、僕達の耳を撫でた。
白銀の髪に、紅の瞳。アルビノと呼ばれる類の、色白紅眼の少女。
自称、ホワイトレディが、一切の淀みなく告げた。
「あたし達の敵であり、彼女達の敵であり、そしてあたしの大事な人の敵であり」
「人類を滅ぼす、地獄の太陽よ」
あとがきとなります。オルタです。
これで三人目のブラッドレインです。
元々ブラッドレインはレインだけでないというのは決めてたのですが、ここまで早く出るとは…
作者が何言ってんだって言われそうですが、彼らはもう少し後に出る予定だったのです()
さて、今回はこの辺で。
次回は月曜更新の予定です。
それでは、オルタでした。




