生きた証を遺したい
「生きた証を遺したい」
17歳の青年、味上和樹は蒲団の上でそう呟いた
細身の体に長身の体格の良い男。
枕元には黒いスマートフォンが充電器に繋がれている。
目覚ましがわりだろうか。
まぁ、そんな事はどうでもいい
味上はただ天井を見つめ、ぼうっと考え事をしているようだった。虚ろな目の奥には何も映っていない。
ははん。
死について考えているのだな、
この頃_________思春期の子供は眠れない夜に普段考えもしない死についてをよく考える。
死んだらどうなるのか
何処へ行くのか、どうなってしまうのか。
答えもでないような事を淡々と考えていく内に眠気すら冷めて考える事だけに集中する
何故生まれてきたのだろうか。
天国は、死後の世界はあるのか。
何処かでやっていた番組を思い出すような言葉が、頭を駆け巡る。その内、言い様のない不安感に包まれていく。
この言い様のない不安とは、自分が何故生きてきたのかではなく、親も死んでしまうのだという事でもなく、答えの出ない不安だ。
何処から来て、何処へ向かうのか。
天国地獄、生まれ変わり、死霊、極楽浄土...
様々な考え方があったとしても本質は変わらない
生きている限り、分からないのだ
この諸行無常の世の中で、自分はどのような存在であるべきか。
いつか死んでしまうなら、どうするべきか。
死んだら、どうなるのか。
分からないことを分からないままにしておくのは良くないと言われた。
しかし、この場合は別だ。
分からないことを分からないままにしておかないといけない。
結論は、その時が来ない限り分からない
だからこれからの事を考える。
いつか死んでしまうなら、どうするべきか
家族にお礼を言うべきか、生きた証を残すべきか。
最後に僕の意見が入ったが無視しておこう。
不意に音がし、味上が蒲団から出てきた。
暗かった部屋に光が差し、思わず目を細めた。
小さな暗いブラウンのテーブルに、痩せた大学ノートが一つ
僕が前、使っていたノートだ。
味上は大学ノートを手に取ると、黙々と何かを書き始めた。
黒い年期の入った万年筆で、さらさらと
僕はそれを覗き込む。
白い、所々が縮れた紙に太い字でこう書かれていた。
『日記
死んだらどうなるのかについて考えた
生きている限り、答えは出ない。
言い様のない不安に襲われる。
生きた証を残すには、どうすれば良いんだろう。
とりあえず働いて子孫を残して...
それでも僕が生きた証は残らないかも知れない
いつか死んで、僕が生きた記憶を語る人もなくなり、
皆の記憶から消えていくかもしれない。
それが怖い』
書き終えると味上は乱暴に万年筆を置き、すぐに蒲団に入って泣いた。
なるほど。
僕はそんな事悩んでいたっけな。
味上和樹は涙を流し、それが光に照らされて銀色に光った。
純粋だった僕の記憶。
いつか死んで、僕が生きた記憶を語る人もなくなり、皆の記憶から消えていくかもしれない。
今の僕はそんなことも考えずに、毎日サラリーマンとして働いて家族に煙たがれながらも暮らしている。
僕が生きた記憶を語る奴なんて何処にもない
皆の記憶から消えた所でどうてことない。
しかし、それが無意味なのかというとそれも違う。
僕が生きた証は、もうとっくに得ている。
死んだらどうなるかなんて、死んでみないと分からない。
ただ、答えのない問題を楽しんでいるだけなんだ。
死ぬのは不安だ。
僕の思う不安はお金のことなんだけれども。
死んでしまえば僕はこの世からいなくなる。
この世からいなくなるまでは平等だが、
その先が分からないので宗教や思想、考えに取りつかれる。
宗教なんてもっての他だ。
生きる理由も死ぬ理由も、個別に持つべきだと僕は思う。
別に強制はしない。
考えるのは自由だから。
天国、地獄がある。それもない。
だって何処にあるか分からないから。
ガガーリンが地球は青かったって言ってただろう。
初めて月に下り立った男だ。
実際には地球は青みががっていたと言ったそうだが。
だが、アメリカでは、ガガーリンの言った言葉でもう一つ有名な言葉がある。
「神はいなかった」だ。
人は未知にいつも憧れと期待を抱いている。
探索前まで宇宙はその宝庫だった。
しかし実際に行ってみれば愕然。
天国もなく地獄もなければ、神もいない。
真っ暗な闇が広がっているだけだったのだ
生まれ変わり、これもない。
非常にプラス思考な考え方だが、そのようなものは妄想だ。
数々の証拠を捉えたドキュメンタリーもあったがネットの記事は揃って嘘だっただの、捏造や脚色した話が多かった。
しかも支持している者の大概が霊能者。
幽霊は信じない。
結局やがて訪れる死に、身を任せておけばいいという結論に辿り着く。
僕のやりたいことをとりあえず、とりあえずやればいい。
純粋だった頃の僕に教えてあげたかったが、こんな純粋な頃にはもう戻れない。
いや、戻れなくて良いのだ。
あの頃の僕は青年でまだ何もかも知らなかったから。
そして、沢山過ちを繰り返して迷って、壁にぶち当たってきたから。困難に直面して、もう十分大人になったから。
純粋な頃にはもう戻れない。
だけど、何故か昔の頃をこうして思い出してしまうのだ。
これを見ているのは僕なのだろうか。
僕の目の前には今、点滴と、今の家族がいた。
長年こんな僕に付いてきてくれた妻、我が儘な娘、反抗期の息子が嗚咽を交えて何か話している。
良かった、ちゃんと来てくれたのか
父さん、幸せだな...。
息子が僕と目を合わせないので、どうしたのかと思うと目を人一倍腫らして泣いていた。
妻が僕の手を握り、何か言って笑った。
口元の動きで分かった、“ありがとう”
満天の星空の中、病院の光に照らされて
味上和樹の頬には、涙が銀色に光っている。