男扱いされたい訳じゃない。
新学期翌日の話。
新学期、衝撃の出会いをした翌日。オレはせっかくの休日を潰さなくてはならなくなった。
「だ……だるい。」
……と、言うのは、オレの家は、マンションの大家をしているからだ。そのためオレは今日マンションに越してくると言う住人のため引越しの手伝いをしなければならなくなった。
いくら忙しいからと言ってオレだけが出向くって、どうよ。意味わかんね。まあ、昔からオレの両親なんてそんなもんだから、なれた。
そんなことを考えているうちに、どうやら例の住人が越してくる部屋の前に着いたようだ。奥さんらしき人に声をかける。
「ちわ。手伝い着ました。大家の槙です。」
愛想のいい奥さんは、飛び切りの笑顔だ。
「あぁーら。可愛い子ねえ! 私、村瀬です。」
村瀬か。不意に同じ名前のアイツの顔が浮かんだ。村瀬さんの後ろには、娘さんが二人。と、その一人が前に出た。
「槙?!」
「む、村瀬ぇぇぇえ?!」
なんと、ご本人、村瀬――ここに村瀬さんは三人居るが――村瀬 浩〔むらせひろ〕。
「何お前、ここに越してきたわけ?」
「ここって、槙が大家してんの?」
「つうか、お母さん、オレ、同じクラスの槙 慎一郎〔まきしんいちろう〕です!」
「どうしようどうすれば。」
ああああああ! 何で村瀬が?! まあいいけど! むしろ大賛成だけどお! あまりに噛み合わないオレ達の会話に嫌気が差したか、奥さんのとめが入る。
「あんた達、会話が噛み合ってないわ。」
「どうかよろしく……あ、すんません。」
「どうしたらベストを尽くせ……あ、はい。」
あまりに急な展開に、オレも村瀬も頭真っ白だ、と。
「くすくすくす」
……何だこの、鈴を転がしたような声は。
「くすくす、ふふっ。」
奥さんの後ろから聞こえる、少女のような声。すると村瀬があからさまに嫌そうな顔をする。
「姉ちゃん。そのくらいにしろよ。」
姉ちゃん……とな。
「だって、浩ちゃん、面白いんだもん。どうしたらどうすれば、しか言ってないし。」
背の高いその姿がオレの目の前にあらわれた。
「モデルの、村瀬 涼〔むらせりょう〕……?」
村瀬 涼は、現役T大生で、かつ大人気のモデルだ。
「その通り。」
その通りって。もう突っ込むと言うより、
「さささ、サインくださああああい!」
そのときオレって馬鹿だから、気付いてやれなかった。村瀬はオレに、助けを求めてたのに。
「あら、槙君。浩が居るのにいいのお?」
と言うのは奥さんだ。いや、良くないけど、良くないって……? ん? それってオレ、いやちょっと待て、でもその会話って村瀬、嫌なんじゃねえの?
そうなのか。それって軽く何か、傷付くっうか。と言うかその前にオレ達カレカノと勘違いされてないか? それってオレがどうとか言うより、村瀬のためにも否定しないと。
「や、オレ達男同士のダチみたいなもんっすから!」
焦ってるとかっこ悪いから、精一杯落ち着いてみる。自分で言ってちょっと嫌な気分になった。
と、後ろで聞こえる声。村瀬のものだけど、それは小さくて、何て言っているか分からない。
「え、何、村瀬。」
「……に、」
「え?」
オレに一瞬だけ見えたのは、その大きな瞳に溜まった涙。
「別に、男扱いされたい訳じゃない。」
そう聞こえて村瀬が走り出すまで、オレにはスローモーションに見えた。何だよ今の。オレなんか間違ってた? でも今はそれどこじゃないよな。
オレは後ろに居る奥さんを見据えた。
「すんません、オレ、追いかけます。絶対仲直りしてきます!」
気が付くと俺は、必死で村瀬を追っていた。
奥さんには必死で浩追っていく少年は、それはそれは浩にふさわしく思えた。
「ねえ、涼もあんな子、早く見つけなさいね。」
「待てよ!」
「ついてくるな!」
意外とすばしっこいそれは、オレの手をいとも簡単にすり抜けていく。もう、何回同じ事を繰り返しただろう。
何でだよ。どうしてお前はそうなんだ。そもそもどうして泣いていたのか、俺には予想も付かない。
もっと気にかけていれば。こうなる前に……そういや、アイツがこうなったのって確か、オレが涼さんにサイン求めた……後?
その後は簡単だった。オレは素直に思ったことを口に出していた。
「何で……どうして涼さんと自分を比べてんだよ!」
村瀬の足が止まる。
「ちが……う」
その隙にオレは村瀬の腕を掴んだ。
「ちがくないだろ!」
掴んだ腕が、強く振り払われたが、めげずに反対の手を優しく、強く握った。
「ちがうって!」
「ちがくないんだよ! お前は村瀬 浩だろ?! 昨日オレと話してくれた奴だろ。……オレの、友達になる奴だろ!」
「――!」
村瀬の目が見開かれた。
「今日知り合った有名人じゃねえだろ。」
「……うん」
一方的に掴まれた手が、握り返される。
「帰ろう。」
「うん。」
村瀬を追いかけて川辺まで来てしまったオレ達はオレンジの光に包まれながら帰った。奥さんが繋がれたままの手に妄想を膨らませたのは後日談として語られることとなる。