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第一幕4『老人と女将』




 短いとも長いともいえる、それなりの距離を歩いてきたエミリアたちの前に、その建物はあった。

 グリフィス宅から出て、貧民街の奥へと入り込んでいくように進んできた先でのことである。建物の背後には王都の外壁がそびえ立っており、周囲にはこれまで並んでいた二階建ての民家もない。まさに貧民街の最深部、と呼ぶに相応しい土地を立地としていた。

 盗品蔵という言葉が持つ、あまり良くない印象にはそぐわない見た目のその建物。そこが、スバルすなわち探偵の第一の目的地であると同時に、被害者が働いていたという職場であった。


「ここまでくるのに小一時間、ってところか……? 一度しか説明を聞いていないうえに初めて訪れる街だったけど、なんとかこられてよかったぜ」


 一時間、という単語が相も変わらず意味不明であるという点を除いては同感であった。道が多少複雑だったということもあるけれど、周辺住民の対応が芳しくなかったことが理由を大きく占めていただろう。

 エミリアたちの服装が彼らのものと比べて格段に良く、到底貧乏人には見えなかったことが原因だと推察されるが、そればかりはどうにもならなかった。


「えーっと、確か扉の叩き方にも符丁があるって言ってたよな」


 尋ねるようにスバルが顔を振り向けたので、エミリアは頷く。エイブリーが話していたのはそれだけでなく、合言葉もあるらしいけれど、そのことももちろん覚えているはずだ。


「じゃあ、だいぶ時間もかけていられないし、……と」


 手前へと近づいて、スバルが戸を叩く。独特の律動は教わったとおりのものだ。エイブリーがそれを話されていたのはいざというときのためだったそうだけれど、見事にそれを活かせていることになる。

 しばらくの沈黙を経て、向こう側から短い問いが投げかけられた。


「──大ネズミに」

「えー、毒」

「スケルトンに」

「落とし穴」

「我らが貴きドラゴン様に」

「クソったれ」


 答え終えると、なにかを予期してかスバルは後ずさる。それと同時に、彼がいたところを掠めるように木造の扉が開かれ、禿頭が突き出された。

 ただ、その位置は並の人間よりも高く、取っ手にかけられた手も筋骨隆々。顔つき自体はかなり老けて見えるものの気力は衰えていない、そんな老人は、エミリアたちを視認してわずかに目を見開く。


「声に聞き覚えはなかったが、……やはり見覚えのない面じゃの。誰の紹介じゃ?」


 その問いには答えず、スバルは単刀直入に話を切り出した。


「──なあ爺さん、グリフィスが殺されたって話は聞いてるか?」




 ロムと名乗ったその老人──ロム爺と呼んでくれ、とも言っていた──に促されて、エミリアたちは盗品蔵へと入る。この建物がかなり辺鄙な土地にあることから推測されるとおり、グリフィスの訃報はまだ伝えられていないらしかった。


「まあ、儂とグリフィスはそれほど親しかったわけではないからの」

「そもそも屍体の身元を探ることにすら難儀していたんだし、よく考えたら当然だったな」


 そう言葉を交わすロム爺とスバルたちは、カウンター席を間に挟んで座っている。カウンターの上には小物──おそらくは盗品だろう──と札が並び、その周囲にも統一感のない品々が並べられていて、煩雑な雰囲気があった。

 その様子からは、グリフィスがどんな仕事をしていたのかは判断できない。流石にカウンター内や外側にある席の周辺は空いているけれど、奥のほうは足の踏み場があるかないか、といった有様である。盗品と思しき品々が奥へ進むにつれて大きくなっていく、ということもあるのだろう。


「じゃが、本当にグリフィスのやつは殺されたのかの? そう簡単に殺されるようなやつだったとは思えんが」

「少なくとも事故じゃない、ってのは確かだよ。現場は人混みのど真ん中だったから、なにか異常があったら周りの人にすぐ気づかれるだろうし」

「それでも納得できんことは変わらんが……儂に正確な観察眼があるかはわからんものの、やつはかなりの武芸者だったろう」

「まあ、確かにな」


 屍体を見た限りでは、故人の身体はだいぶ鍛えられているようだった。もっとも、スバルやエミリアたちが目にしているのはそれだけなので、実際のところはわからない。


「それで──けっきょく、儂になんの用なんじゃ?」


 話がひと段落したのを見計らってか、改めてロム爺は尋ねてきた。一応スバルが探偵だとは話しているけれど、詳しいことはなんら言っていないのだから、当然の疑問だ。


「別にたいした用事じゃないけど、確認はしておくべきだと思ってさ。グリフィスが生前どんな仕事をしていたのか訊きにきたんだ」

「やつの知り合いは知らなかったのかの?」

「知り合いっていうか、実際のところは家族みたいなものだったんだろうけど。少なくとも故人の同居人は、なにも訊いていないそうだ」

「ふむ、それで儂にお鉢が回ってきたわけか」


 ならしかたないの、とロム爺は頷く。


「とはいえ、どこから話せばいいものかのう……」

「そもそも、グリフィスは普段なにをしていたんだ?」

「それを話すとなると、ここ──つまり盗品蔵がやっていることについても説明する必要があるんじゃよ。迂闊には話せん」

「別に、衛兵にそのことを伝えるつもりはないから問題ねぇよ。そのためにシャルガフ──っていうのは衛兵のひとりだけど──を釘づけにしてきたわけだしな」


 もっとも、屍体の監視も重要な役目ではあるのだろう。だからこそ彼もそれを受けいれたのだ。


「なら大丈夫じゃろう。さて、どこから話したものか。そう、あれは数年前──」

「いや、そういうのはいらないよ」


 語り始めたロム爺をあっさりとスバルは遮って、


「昔の話が興味深いっていうのは事実だけど、だいぶ日も落ちてきたからな。巻きでお願いする」

「注文の多いやつじゃのう……」


 手をぐるぐると回すスバルに、ロム爺は呆れ顔を浮かべていた。


「それならば端的に話そう。グリフィスのやつはここで、簡単にいえば、荷物を運搬する役目を担っていた」

「ほう」


 茶々を入れていたスバルも、流石に話が始まると興味津々の様子である。


「聞いてのとおり、といえるほどに知識があるのかは知らんが、ここでは盗品を扱っておる。大抵の品はこの辺り──おおよそは貧民街じゃな──の連中が盗ってきたものなんじゃが」

「へえ」

「当然、これは商売じゃからの。客にそれを売ることがあれば──中には、盗みを依頼してくる客もいる。そういう輩は大概遠方に住んでいて、おまけに金持ちとくるんじゃよ。面倒だからといって断るわけにもいかないような、そういう連中にご希望の商品を届けること──それが、やつの仕事じゃった」

「そうか……あれ、でも」


 頷きかけたスバルが首を捻った。


「それだと、ちょっと不自然じゃないか?」

「儂は嘘はついておらんぞ」

「いや、流石にそれくらいはわかるさ。だけど辻褄が合わないような気がする」


 だって、とスバルは、なにかを思い出そうとしてかわずかに上を見つめながら、


「話を聞いた限りでは──グリフィスが何日も帰ってこないような仕事をしていた、なんて話はなかったぞ? 仕事内容を訊いていなくても、もしそうだったらそのくらいはわかるだろうに」

「そりゃあ、やつが何日も帰ってこないなんてことはなかったからの」


 きっぱりとスバルの問いを否定したロム爺は、そのまま続ける。


「そもそもの話、ただ品を運ぶってだけのことなら、金を稼ぐために請け負おうってやつはいっぱいいるんじゃよ。それでも起用されているんじゃから、相応の理由があるに決まっておる」

「相応の、理由?」

「グリフィスは、どれほど遠くの依頼主にもわずか一日足らずで品物を届けることができた。信頼できる筋からの紹介とはいえ、いくらなんでもそれはないじゃろう、と思っていた儂も、実際に依頼主から礼の手紙を受け取ってしまえば信じるしかなかったのう」

「…………」

「それ以来、頼まれた品の運搬はやつに任せておったわけじゃが──本当に、よくやってくれたと儂は思う。友好的な北方のグステコや西方のカララギだけでなく、依頼自体の少ない南方にしても、きちんと届けてくれたからの」

「……だけど、どうやって?」

「それは訊いとらん」


 返答は明瞭だった。


「それを知ったところでどうにもならないじゃろう。訊かないことを含めての契約でもあったしな」

「だけど、その方法が誰にでも使えるものだったって可能性もあるだろう?」

「そんなわけがないじゃろう」

「…………」


 わずかに言葉を詰まらせたスバルだったけれど、恐る恐る訊いてくる。


「その反応からすると──新魔法の開発、とかは全然行われていないのか?」

「なにを当たり前のことを……」

「新しい魔法を開発することのなんて、よっぽどすごい魔術師くらいじゃないとできないのよ」


 うんざりとした表情のロム爺に、エミリアも言い足した。

 たとえば、ロズワールのような実力者なら可能なのだろうけれど、彼の興味は全くそこにないのだ。関係者の話からの推測としては、グリフィスにそんなことができたとは考えにくい。


「なるほどな。ならその線は薄いだろうから……無理に深入りする必要はない、か。となると、グリフィスが亡くなったのはかなりの痛手じゃないか?」

「確かに痛手ではあるが、そこまで気にしてもしかたないじゃろう。不幸中の幸い、と言っていいのかはわからんが、遠方からの依頼はだいたい片づいておったし、あとは客にどうやってこのことを伝えるかってことじゃな」

「ああ、それで今日はグリフィスにとって休日だったのか」


 スバルは曖昧に頷いて、エミリアに水を向けてくる。


「エミリアはなにか訊きたいこととかないか?」

「えっと、特にないわ」

「そっか、ならそろそろお暇させてもらうよ」


 後半はロム爺に向けて放たれた言葉だった。訊く必要のあることはすべて訊いているだろうから、問題はないだろう。


「次にくるときは客としてきてほしいものじゃの……」


 愚痴を吐きながらも、窮屈なカウンターの中でぞんざいにロム爺は手を振っていた。



   ◆◆◆



 第二の目的地であるその食堂に辿り着いたのは、太陽が夕陽へと変貌を遂げた頃のことだった。商い通りの街並みは橙色に染められている。

 一度通った道だからか、盗品蔵からグリフィス宅を経由して商い通りまでは迷わずにこられたものの、その距離は変わらないままだ。

 最初は事情聴取で得た情報を再確認するために会話していたエミリアとスバルは、日が沈み始めたのを目にしてグリフィス宅に寄り道。シャルガフにもうここには戻らないと告げて、ついでにエミリアは宿の名前を教えておいてから目的地へ向かった。寄り道の後は若干早足になっていたけれど、それなりに時間がかかってしまっている。


 回想はさておき、食堂である。

 日暮れが近づいても人通りは変わらない商い通りの、一角に店を構えていた。様式や品揃えには大きな特徴のない、一般的な食堂だといえる。もっとも、スバルたちが一般常識に精通しているとは言いづらいけれど。


「黒髪に紅い眼、っていうと……。ああ、あの人たちかい?」


 おそらく、名前を知ってはいないだろうな──という予想に基づいて、グリフィスについてスバルは問うていた。返答したのは、決して若いとはいえないながらも食堂を切り盛りしている、いわゆる女将と呼ばれる類のおば、……女性である。


「確かに目立つ容姿だったけど、同時になかなかの美男子でもあったからねぇ。好みの顔立ちだったからよく覚えているよ」


 旦那さんがかわいそうになるような台詞だったけれど、スバルは触れずに質問を続けた。


「ああ……名前は知らないけど、あの四人組がいたってことは確信をもって言えるよ。そりゃあ昼頃で混んではいたけど──」


 女将さんは笑みを浮かべて、


「──あたしは好みの男のことは忘れないのさ」


 頼もしいと同時に、ますます旦那さんが哀れになってくる言葉だった。


「あの人たちが頼んだ料理もはっきり覚えているよ」


 と、女将さんは種々の料理名をまくし立てる。実際がどうだったのかはわからないけれど、細部までしっかり話していることを鑑みるとおそらく正しいのだろう。


「あとは……そうねえ、あの色男はちょっと足を引きずっていたわね」


 色男という言葉から本格的に旦那さんの立場が危うくなってきたと感じてか、早々にスバルは話を切り上げた。


「ああそうそう、よかったら夜ご飯でも食べていかないかい?」

「あー、実は俺、不倶戴天の一文無し」


 ならしかたないねぇ、と女将さんはにこやかな笑みを浮かべる。

 そのやりとりを最後に、スバルたちはその食堂を後にした。




「時間も時間だし、シャルガフにもああ言ったことだから今日の捜査はここまでにしておくか……なにかあったら宿に連絡がいくだろうし」


 夕焼けに目を細めながら、スバルは呟いた。どうやら、これ以降の捜査は明日に行われるらしい。今のところはどうしてエミリアが同行しているのかよくわからないのだけれど、魔術師としての意見を訊かれることもあるのだろうか。


「ところで、スバルってどこに宿をとっているの?」

「……あ」

「えっ?」


 不意に疑問をエミリアが口にしたところ、スバルの動きが停止した。


「え、でも確か、王都のことを『初めて訪れる街』って言っていたわよね?」

「……あー」


 押し黙ってしばらくしてから、ばつの悪そうな顔でスバルは口を開いて、


「実は俺、今日この王都を訪れたばかりで宿をとっていないうえに、徹頭徹尾の一文無し!」


 開き直るかのように、言った。



   ◆◆◆



 けっきょくのところ──


 紆余曲折の末に、すったもんだとなんやかんやを経て、スバルはエミリアと同じ宿に部屋をとることになる。

 その際にスバルが「これじゃ完璧にヒモだよな……」と愚痴をこぼしたり、宿でエミリアたちを待ち構えていたラムと口論になったりもしたのだけれど。

 さらに、エミリアが迷子になったことについて小言を言われたり、そのうえ殺人なんてものに関わってしまったことで説教を受けたりもしたのだけれど。

 それはまた、別の物語である。




 そしてその夜、またひとりが殺害された。


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