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第一幕1『ひとつの昔話』


「あれは十年くらい前のことだった、と思う。

「そう考えるとすごく昔のことのように思えるけれど、まあそういう感傷は今は関係ないわよね。

「とにかく、あれはだいたい十年前──アタシが十歳になっているかなっていないか、って頃のことさ。


「ありていな言い方をすると……って言いたいところだけれど、こういうことにそういう言い方をしてもいいのか、と思わなくもないね。

「それでも、こうやって言うことしかできないけれど、ありていに言えば。

「アタシはあのとき、虐められていたんだ。


「虐められていた──っていうのは、まあそのままの意味だよ。

「といっても別に、虐待されていたとかそういうことじゃない。

「親にやられていた、っていうわけでもない。……というか、親なんて存在はいなかった。

「けれど、それはいい。いや、そのことも原因のひとつではあったかもしれないけれど、今は置いておこう。

「本来の原因、根本的な理由ってやつはつまり──


「アタシが加護を持っていた、ってことさ。


「……加護とは何か、って?

「おいおい、そんなことを知らなくて大丈夫なのか? 探偵さんは。

「確認のため、って本当か? さっきの反応からはとてもそうは思えなかったけれど……まあいいや。

「加護ってのはつまり、……生まれたときから授けられている力のことさ。

「世界から与えられる祝福──あるいは世界からもたらされる福音。

「それを、アタシも持っていた、ってわけだ。


「といったって、そんなすごい加護じゃない。

「探偵さんはどんな能力かを知りたがっているみたいだけれど、正直なところ。

「言うのもはばかられるような、しょうもないっていうか、たいしたことのない力なのさ。

「だから、それを言うつもりはない。

「ただ、ちょっとした実力のある風の魔術師なら、簡単に再現できる程度の──その程度の力だよ。

「十や二十をゆうに越える──しかも有用な加護を山のように持っているっていう、噂の『剣聖』とやらなんかとは全然違うさ。


「閑話休題というか、話を戻そう。


「とにかくアタシは、そのときから自分にある加護のことを知っていた。

「加護ってのはそういうものだから。自分が持っているか否かを知らないやつなんてまずいないだろう。

「そしてそれは、再三ってほどではないにしても繰り返し言っているように、たいしたことのない力だ。

「そう、本当に──今でも役立つ使い方ができないってくらい、微妙な加護なんだよ。


「けれど。

「それでも、あいつらにとってそれは魅力的な力だった。

「アタシを、つまり虐めていた、あいつらにとっては。


「普通の人は、別に他人が何かこ加護を持っているからといって嫉妬したりはしないらしい。

「アタシは持っている側だから、それがどういう気持ちなのかはわからないけれど。

「いや、全く嫉妬しないっていうわけじゃないんだろう。

「でも、たとえば料理が上手な人に、極端に──殺したいくらいとはいわなくても、虐めようと思うくらいに──嫉妬したりはしない、ということだそうだ。


「それに、かなり昔のことでもある。

「だから、正確にはどういう理由なのかはわからない。

「しかし、事実として、あいつらはアタシの加護に──あるいはアタシが加護を持つということに、嫉妬のような感情を抱いていた。


「話は逸れるけれど、いや、逸れるといっても根幹は変わらないけれど。

「どうしてアタシが、あいつらのことを『あいつら』としか呼ばないのか、って話だ。

「まあ、答えは簡単なことなんだけれどさ。

「つまり、覚えていない。

「名前を忘れたっていうだけのことさ。


「もちろん、どういう輩だったのか、っていう、ひとつひとつの要素は覚えている。

「たとえば、アタシの故郷と同じ、ルグニカの××村に住んでいたってこと。

「あるいは、だいたい五人から十人とか、そのくらいの人数だったってこと。

「それと、アタシと年齢が同じくらいで、当時は子供だったってこと。

「そのくらいかな。


「前置きが長くなってしまったけれど、とにかく、あれはそんなある日のことだったよ。


「その前にいったん話を戻して、虐めの話をしようか。

「当然だけれど、同年代の間柄で虐待なんてことが起こりうるはずがない。

「じゃあ何をされていたかっていうと、それこそありていな話だけれど。

「無視とか、その程度だった。少なくとも、陰口の類だとかはなかったね。

「あの年齢の子供としては、普通かもしれない。

「嫉妬からの陰口っていうのも、あまりないだろうしさ。


「とにかく、ともかく、そんなある日のことだった。

「虐めという現象が、一気に激化したんだ。

「悪化か、良化か──なんて、けっきょくのところは結果論でしかないんだろうけれど。

「アタシに──当時のアタシに限っていうのなら、それは問答無用で事態の悪化だった。


「なにをされたか、っていうのはひとまず置いておくとして。

「なにを言われたか、っていうことは、何度も繰り返しているように、正確には覚えていない。

「酷いことを言われたかもしれないし、言われていないかもしれない。

「記憶が曖昧になっているのには、あれ以来アタシが××村を訪れたことがない、ってことも関わっているのかもしれないけれど。


「そして、なにをされたか。

「以前から、暴力とまではいかないにしても、軽く石を投げられるくらいのことはあったんだよ。

「だからそれこそ、事態の悪化というにふさわしいことだったかもしれない。

「つまり、


「あいつらが、魔術を使い始めたってことは。


「これは推測だけれど、あいつらの親またはその親類あるいは知り合いは、それなりに優秀な魔術師だったんだろう。

「当人の実力はさておき、指導という面においては。

「そして、どんな経緯があってそうなったのかはわからないけれど……。

「あいつらは、魔術を習得するに至ったってわけだ。

「さらにそれをアタシに向けてくるようになったのがなぜか、っていうことは、もちろん覚えていないよ。


「あー、……また同じ言葉を言うっていうのも、どうなんだか。

「話が脱線しすぎているから、こういうのも今回を最後にしたいところだね。

「要するに、そんなある日のことだった、ってわけだ。



「アタシが、あの人──グリフィスさんと、出会ったのは。



「あの日。

「嫉妬による虐めのような何かが激化していたある日。

「アタシはそのとき、もはや慣れ親しんだ行動をとっていた。


「逃げること。

「つまりは、隠れること。


「睡眠は全然とれていなかったと思う。

「服だって、ぼろぼろのずたぼろだったはずだ。

「あの頃のあいつらは、本当に容赦がなかったから。

「炎も水も風も土も、混ざりあって織り混ぜられて錯綜してわけがわからなくなっていた。


「だから、逃げようとしていた。

「恐怖とか、暴力とか、魔術とか、憎悪とか、嫉妬とか、……そんななにかから。


「けれど、無理だった。

「無茶で、無謀で。

「無駄だと思えるくらいに、数の差っていうものがあった。


「そうして、追い詰められた。

「……今思えば、それも異常だったかもしれない。

「××は狭い村だ──けれど、だからといって。

「あんな、虐めどころか戦闘と呼ぶのにふさわしいような暴力のさなかで、誰もあいつらを制止しようとしない、なんてことが、ありうるんだろうか?

「過ぎてしまったことだから、今考えてもしかたないだろうけれど。


「ともあれ、アタシは追い詰められていた。

「背後には壁が、どんなものかはわからないけれどあった。

「いや、それは勘違いかもしれないけれど、後方へと移動できないような状態であったということは確かだよ。

「そして前方には、あいつらがいた。

「その表情は記憶にない。


「当然、アタシが追い詰められたと感じていたってことは、あいつらもアタシを追い詰めたと感じていたはずだ。

「よってそれは、自然な流れっていうものだっただろう。

「あいつらはもちろん、アタシに魔術を撃とうとしていた。

「当たり前だけれど、アタシも逃れようとした。

「けれど、不可能だった。

「度重なる疲労、ってやつがアタシに追いうちをかけていたんだ。

「足は動かせない。拳は上がらない。

「立っていることで、顔を上げていることで、精一杯だった。


「したがって、避けられるはずもなかった。

「『もうだめだ』と──思うのも、無理のないことだろう?

「そういう状況の中でも、それでも足掻ける人だっているかもしれない。

「けれど、少なくともアタシはそんなふうに強い人間じゃなかった。

「だから思った。

「『もう終わりかな』って。


「でも、終わらなかった。

「そのときだったよ。

「横合いから飛来した数多の氷の礫が、あいつらの足元に打ちつけられたのは。


「信じられない、という気持ちが強かった。

「そのために、というわけではなく、むしろ自然な成り行きとして、アタシはその方向へと目を向けた。


「まず目に入ったのは、その人影の周囲を浮遊していた、数多くの氷塊だった。

「鋭く尖ったもの、太く丈夫なもの、大きく無骨なもの、細かいもの──。

「そんな、種類が豊富な、氷塊の数々だよ。

「そして、その中心に。

「足を肩幅に、視線は険しく、マナを立ち昇らせ、腕は組むようにして、疲れた顔をしていながらも、背筋を伸ばしてまっすぐに、立っていた男。


「ここまで言えば、もうわかるだろう?


「──その男がグリフィスさんだった、ってわけさ」



   ◆◆◆



 ときには饒舌に、ときには淡然と、ハーシーは昔語りをしていた。

 その様子は、商い通りでのそれとは全く異なっているように見える。エミリアたちが彼女の顔を初めて見たときでも、相当に顔色が悪かったのだ。おそらく、最初は──グリフィスの屍体を目にしたときは、もっと酷かっただろう。

 それを鑑みると、大切な人の死というものを多少は乗り越えられたと考えられるかもしれない。けれど実際には、ハーシーは何も乗り越えられていないのだろう。

 たぶん虚勢なのだ。悲しみを憎しみで塗り潰して、そのうえ過去を楽しげな表情で振り返る。その行動に、芯はあるようでいて、酷く脆い。彼女の芯であったグリフィスという存在は、とうに一度折れているのだから。死という不可逆なものによって。

 それは悪いことなのかもしれない。しかし虚勢を張っているとはいえ、本当に精神的負担が酷くなってくれば、エミリアやスバルにも気づけるだろう。


「その後のことは、あまり覚えていない。彼の登場はとても鮮烈で、今でもたやすく思い出せるけれど、そのぶん前後の記憶がおぼろげなんだ」


 締めくくるようにハーシーは言う。


 そもそも、事情聴取を彼女に先に行わせるというのはエイブリーとチェイスに共通の見解らしい。彼女の心労を慮ったうえで、早く休ませようということだろう。

 とはいえ、彼女がこうも長々と思い出話をするのは予想外だっただろうけれど。会話が淡白であったり冗長となったりするあたりが、彼女が負った心的外傷、あるいは精神的衝撃の大きさを感じさせる。


「何はともあれ、こうしてアタシとグリフィスさんは出会った、ってわけで」

「そして惚れた、ってわけか」

「…………」


 意地悪げにスバルが尋ねたために、ハーシーはわずかに言葉を詰まらせたけれど、


「──、ああ、そういう、ことだよ」


 つかの間の沈黙を挟んで、彼女はそれを肯定した。頬は紅潮し、顔は背けられており、照れという感情を存分に伝えてくる。

 ──同時に、その事実の残酷さも。

 親愛や友愛と、恋愛あるいは情愛。

 たった一字だけの違い。しかしながら本人が感じるものは、感じているものは、──感じていたものは、大きく違うのだろう。想像を絶するほどには。


「さて、そろそろ事件当時の話をさせてもらうぜ」


 スバルは自らの先刻の発言を忘れ去ったかのようだ。いまだに顔を赤らめたままのハーシーを全く顧みないかのような言い草は、しかしある種の思いやりでもあるのだろう。腫れものに触れるような扱いに嫌悪感を抱く向きもあるかもしれないけれど。


「まずは状況の確認からだ。あんたたちは──もちろん、そのときはグリフィスも一緒だったんだろう──そのとき、どうしてあの通りにいたんだ?」


 話題は遠い過去から近くの過去へと移される。もっとも、故人のことを訊いているという点は変わらない。


「どうして、って決まっているだろう? 昼食を食べに出かけていたんだよ」

「その時間帯は?」

「ここを出発したのがちょうど、火の刻が水の刻に切り替わって、冥日に入ったぐらいだったかな? 昼ご飯を食べた食堂に着くまでの時間は、探偵さんたちとここに戻ってきたときと同程度。食べるのにかかった時間が、あー、探偵さんの言う『一時間』ってくらいか」

「ふむ……、だいぶ長い食事だったんだな。じゃあ、その食堂とやらの名前を教えてくれ」


 訊かれるがままにその名前が告げられた。エミリアの知らない食堂である。


「……まあ、当たり前だけど知らないところだな。シャルガフは知ってるか?」

「ええ、もちろん」


 話題を向けられた彼は当然のように頷くと、その場所を詳らかに説明してくれた。実にわかりやすい説明なのは、流石は衛兵といったところだ。短いとすらいえないような長さの付き合いではあるけれど、彼が真面目な衛兵だということはよくわかるから、毎日の巡回の成果なのかもしれない。

 その彼は、到着からずっと黙してハーシーとスバルの会話を聞き続けている。宣言どおり、捜査の手法を参考にすべく耳を澄ますつもりらしい。もっとも、ついさきほどまではスバルも同様に聞き手に徹していて、ハーシーの一人語りであったのだから、参考にできるのかは不明である。

 黙って話を聞いているだけなのは、エミリアも同じだけれど。


「なるほど……これは裏付けをとらないとな。それで、食堂を出た後はどうしたんだ?」


 ひととおりの講釈を聞き終えると、スバルは話を元の方向へと戻す。続いての話題は、彼らが昼食をとってからどこへと向かったのか、ということだ。


「……? いや、どうしたも何も、そのままここへ帰ってこようとして、それで──」


 困惑を浮かべた彼女は、しかし話し進めるにつれてだんだん顔を曇らせていった。嫌なことを思いださせているのだろうけれど、スバルはためらうことなく、


「そこが肝心だ──そのときのことを聞かせてもらいたいんだよ。辛いかもしれないけど、グリフィスが死んだときのことを」


 遠慮なく核心へと踏み込んでいく。

 傷ついた心を土足で踏み締め、傷口に塩を塗り込んでいくかのような所業。しかしハーシーはそれに耐えるしかない。

 犯人を捕まえたい、と──そう願う限

りは。


 本人もそれはわかっているのだろう、覚悟を決めたように頷く。


「たいしたことはなかったけどさ」

「それでも、だよ。どんなにそれが些細なことでも、なにもないよりはましだからな──大抵の場合は」

「不安を煽るような一言をつけ足すのはやめてくれないか?」


 どこか悲しげな微笑を浮かべて文句を言う彼女の姿は、先刻よりも明らかに、虚勢であると称することのできるものであったけれど。


「言ったとおり、アタシたちはこの家に帰るために商い通りを歩いていた。アタシはグリフィスさんの背中を追っていて、隣にはチェイスがいたはずだ。エイブリーはグリフィスさんの隣にいた。あの二人は幼馴染らしいから、な……」


 羨ましげに呟くと、本題へと立ち返る。


「そして、しばらく人混みの中で歩を進めていた。通りの傍が少し騒がしいように感じて、なんとなくそちらを見たことを覚えてる。もっとも、たいしたことが行われていたわけじゃあないけれどさ。気のせいだったんだろう。それで、少しがっかりしながら視線を前方に戻して、そして」


 息を止めて、吸って、そのまま吐きだすようにハーシーは言った。


「唐突にグリフィスさんが死んでいた」


 晴天の霹靂っていうのはああいうことをいうんだろう、とひとりごちて。


「背中には、当然探偵さんも見ているだろうあの氷柱が突き立てられていた」


 理解が及ばなかった、という。


「さっきまで元気に話していたのに」


 顔色からは生気が失われていて。


「苦痛に目が歪んでいて」


 氷柱はまっすぐ突き立てられていた。

 背中の中心に。


「なにもわからなかった」


 大切な人の、愛している人の、その死がどれほどの影響を与えるのかは、わからない。


「それで、知らないうちに後ろへと下がっていたんだと思う。気がつくとアタシは、屍体を遠巻きにする群衆の真ん中あたりで茫然としていた。幸いというべきか、エイブリーたちが付き添っていてくれたから変なことはしていなかったらしいけれどさ」

「……じゃあ、シャルガフの呼びかけにすぐに答えなかったのはなんでなんだ?」

「それは単純なことだよ」


 真剣な面持ちで尋ねたスバルに対して、ハーシーはどことなく誇らしげだった。自慢げ、ともいえるかもしれない。

 しかし同時に、それらの感情は哀しみをも孕んでいた。


「アタシたち三人にとっては、グリフィスさんは誰よりも大切な存在だ──と、そうアタシは確信している。もちろん、エイブリーやチェイスも同じだろう。そんな存在が亡くなったんだ。これからのことを考えていたに決まっているじゃないか」

「なるほど、確かにな」


 グリフィスのことを誇らしく思い、

 グリフィスのことが自慢であって、

 グリフィスの死んだことが哀しい。

 まさに言葉どおりのことが彼女の、あるいは彼女たちの根底にあるのだろう。


「それでもって、そこからはあんたたちの知るとおりだよ。衛兵さんがきたことに気づかないくらいに話しあっていて、気づいたときには今更名乗り出る勇気なんてなかったけれど、探偵さんの挑発におびき出された。それだけだ」

「ふむ……」


 スバルは考えこみ始めたかのように腕組みをする。その様子から察するに、訊くべきことは訊いたと判断しても構わないだろうか。

 とはいえ、この事情聴取で役立つ情報を手に入れられたのだろうか。何もわからなかったというわけではないけれど、はっきり何かがわかったということでもない。

 しかしながらスバルは、


「……まあいいや」


 と思考を切り上げてしまった。


「今考えたってどうしようもない──材料がない推理はあてずっぽうと似たようなものだ、って先人たちもいっているしな。俺には天啓を授かる能力はないし」


 言って、伸びをするように立ち上がると、そのまま周りを見回す。周囲を──ハーシーの部屋の中を、見回す。

 建物自体の外観とは異なり、かなり清潔な印象の部屋だ。同時に女性らしさも感じられる。奥に寄せられた寝台とその布団や、棚などの家具は淡い色合いで揃えられていて、なかなか良い色彩感覚を感じさせた。

 寝台の傍にある机の上にはぬいぐるみが置かれている。それがなにを模したものかということは、……ハーシーの名誉にも関わることなので割愛しよう。見るからに醜悪だとかそういうことではなく、少女時代の残滓を恥ずかしく思う人もいるだろうから。

 部屋の最奥に見える窓は塞がれていた。もしかしたら、路地裏で暮らすことによる困難がそこに収束しているのかもしれない。


「まあそういうわけで、そろそろお暇させていただくよ。今訊きたいことはだいたい訊いたしな」


 エミリアとシャルガフも立ち上がった。スバルは自分の座っていた椅子と、エミリアのそれを持つと、ハーシーに笑いかける。


「たぶん、今日はもうなにか話させることはないだろうから、ゆっくり休むといいよ──なんて探偵の俺が言っても、説得力はないだろうけど。大切な人を失うことの哀しみは、わかるとはいえなくとも想像くらいはできるつもりだから」

「ああ、そうさせてもらうよ」


 応えて、いまだ悪いままの顔色でハーシーが微笑むのを見て、スバルは振り向いた。

「椅子は私が持ちます」と持ちかけるシャルガフに椅子を手渡すと、そのままなにも言わずに歩いて、扉に手をかけ、

 ふと思い立ったように振り返ると、スバルは尋ねる。


「そういえば今日、グリフィスの様子におかしいところはなかったか?」

「…………」

「おかしいところというか、普段とは違うところは」

「……言われてみれば」


 思い当たることがあるのか、ハーシーの表情が驚きに覆われた。


「確かに、今朝のグリフィスさんの様子は少し違った……どこが、っていうと、つまり、ええと、そう──足」


 とはいえそうたやすくは思い出せないのか、頭を捻り、首を傾げ、考えた末に、彼女はそれを口にする。


「あのときグリフィスさんは、足を引きずっていた。と、思う。どうしてかは聞いていないからわからないけれど。たぶん挫いたんじゃないか? でも、こんなことが役に立つのかな」

「当たり前だろう? 普段と違う行動が、殺人という非常事態になんらかの点で関わっていたっておかしくない。それが犯人の特定に繋がるかどうかは別として、だけど」


 まあともかく、とスバルは会話に区切りを入れた。


「そういうわけで、今度こそ事情聴取はここまでだ。なにも起こらないとは思うけど、もしもう休むっていうのなら、一応は戸締まりをしっかりと、な。良い夢を」

 

 言い残して、再び彼は扉に向き直って取っ手に手をかける。

 それを引いて開くと、


「──ちょうど、終わったところのようですね」


 そこにはチェイスが立っていて。


 どうやら、事情聴取の二人目は彼になるらしかった。


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