序幕4『その名は、』
これといった特徴のない少年だった。
短い黒髪に、高くも低くもない至って平均的な身長。体格は、鍛えられているのかやや筋肉質であるとはいえ、それもまた一般の域を脱してはいない。
顔のつくりの幼さと、その目つきの悪さが多少つりあわないように感じられるが、それだけだった。
しかしながら、そんな彼を見つめる周りの人々の視線には珍奇なものでも見るかのような色が濃い。
当然といえば当然の話だろうか。ルグニカには、彼のような黒髪を持つ人物はほとんどいない。それは横たわる屍体も同様なのだけれど、そのうえで少年はよくわからない材質の袋を提げている。
そしてその少年の服装もまた奇妙と呼べるものだった。服飾の分野に精通しているわけではないエミリアには正確なところはわからないが、どことなく一般の衣服とは異なっているように思える。
たいていの人が着ているのは鎧であったり、踊り子らしい服であったり、あるいはエミリアの着ているようなローブであったりといったものだ。それらのように目立つところのない格好をした人もいるけれど、どれも彼が身につけているものとは違っていた。
また、これはエミリアの感覚でしかないけれど。彼の服装は、どこかが決定的に、ルグニカのものとは違う。それは、その衣服の滑らかな質感から生じた感覚なのかもしれなかったけれど、正確なところは彼女自身にも定かではない。
ともあれ。
そのような不思議な風体をした少年は、シャルガフに強い視線を送り、かといって悪意や敵意を介在させずに正対していた。
彼が語ったことをまとめると次のようになる。
曰く、シャルガフの衛兵としての立場からすると、さきほどの対応は適切ではなかった。衛兵というのは一般より高い立場であり、その行動は庶民に大きな影響を与える。そのシャルガフがああいった行動をとるのはよくなかったのだ、と。
シャルガフはその意見に概ね同意し、エミリアに謝罪。事態は無事に収束したのだけれど、そのうえで少年は言った。
「ところで、ひとつ訊きたいことがあるんだけど」
「ええ、どうぞ」
「どうしてその子──確か、エミリアっていったっけ──は、フードを外した途端にそんな眼を向けられているんだ?」
「……どうして、とはどういうことでしょう」
端的な問いに、衛兵は言葉を詰まらせる。
「確かに推理自体は正しかったよ。その論理に矛盾はなかったし、前提条件もおかしくない。着眼点から考えても、良いところに眼をつけたと思う。けどそれだけで、どうしてその子が、まるで犯人だと思われているみたいな眼を受けているんだ?」
「……、それは──」
「というか、その子が仮に犯人だとしても、だからといってその子が親の仇でも見るかのような眼を向けられるものなのか?」
「…………」
シャルガフには言葉を返すことができていなかった。痛いところを突かれた、といったところだろうか。とはいえそれは、別に彼だけに限ったことではない。もしあの問いを投げかけられたのが別の人間であっても、それが王都の人間であれば、似たような反応になっているだろう。
そんなシャルガフの態度に業を煮やしたのか、あるいは別の理由からか、少年は言う。
「まあ、そもそも──」
全くさまになっていない、肩を竦めるような動作をしながら、
「──その子が犯人だってこと自体、ほとんどありえないだろうけどさ」
なんでもないことのように、簡単に。
「……どうしてそんなことが言えるのですか? 少なくともさきほどのエミリアさんの話に基づけば、もっとも怪しいのが彼女自身だということは明白でしょう」
「いや、むしろその仮説からすると、エミリアって子が犯人じゃないってことはそれこそ明白じゃないか」
淡々としたふうを装っているシャルガフの問いかけに、少年もまた淡々と答えた。
「その子の推理の骨格は、凶器と考えられている氷柱の長さでは、この人混みの中において射出して被害者の背中を射止めること、つまり発射した氷柱を被害者以外には当てないことは難しいうえに、氷柱は屍体の背中を貫通していないから、犯人は相当な技量の魔術師だ、ってことだろう?」
「ええ、私の認識も概ねその通りです。そして、それほどの魔術師はそう簡単にはいないでしょうから、この場にいる人の中で最も犯人である可能性が高いのは、本人の意見通りエミリアさんだと判断して──」
「そこが間違ってるんだよ」
「……どういう、ことでしょう?」
戸惑ったような、怪訝な声音でシャルガフが問い返す。それを受ける少年は頬を掻きながら、
「犯人が氷柱を射出したんだとしたら、エミリアって子がそれを行ったっていうことはありえない。不可能だ。他の方法をとった、っていうなら話は別だけどな。なぜなら──」
言いつつも、顔を掻いていた手で前方を、
「──氷柱が射出されたのは、その子の反対側からだからだ」
──そちらにある、エミリアに顔を向けた屍体を指し示して、
「屍体はうつ伏せになっている。それでも顔が上げられてるのは、苦痛とかから逃れるためなんだろうけど、まあ今はそれは無関係だ。そして、その背中に凶器が突き立てられている」
「…………」
「これだけ言えば、わかるだろう?」
「……つまり、凶器となった氷柱はこちらの方の背中に突き刺さり、そのために彼は胸のほうから前方に倒れ込んでこの状態になった……ということですか」
「そういうことだ」
ついでに言えば、と少年は人差し指を立て、
「屍体を挟んだ反対側に氷柱を作り出して──この言い方で理解することができるのかはわからないけど──、それを自分のほうへと引き寄せるように射出。そして背中に突き立てる、っていう方法も考えられなくはないけど」
「おそらくは、可能でしょう。エミリアさんの話では、氷柱を通すところを見られないような状態で、貫通させずに、その氷柱で背中を貫くという芸当は、到底できるようには思えません」
「だろうな」
群衆は驚嘆しているようだった。
説明には冗長といえる部分もあったが、彼が伝えたかっただろうことはきちんと通じている。
そしてその説明が、エミリアの推理に──それも、ほとんど思いつきの域を脱していないようなものに基づいていること。それを発展させたようなものだということも、驚くべきことだった。
彼女自身の、魔術師しての一応は専門的な知識によって考え出された仮説を、些細な事実に目をつけることで論理的に裏づけ、さらに正確に組みあげていく。少年のその行動こそ、推理と呼ぶに相応しいものだろう。
故に、その考えに至るのは自然ともいえる。
すなわち、『では、そんなことをいともたやすく行ったこの少年は、いったい何者なのだろう?』という考えに。
しかしながら、そのことが口にされるという事象は、
「それで──」
少年が話し始めたことで阻害される。
「──結局、どうしてその子は、そんな目を向けられているんだ?」
「…………」
繰り返された問いにより、再度シャルガフは言葉を詰まらせた。
それはしかたがないことなのだろう。彼とエミリアが知り合ってから、まだたいして時間は経っていないのだから。彼がエミリアの事情を詳細まで知っているはずはない。
彼にわかるのは、結局のところはその外縁にすぎない。したがって、もちろん、彼には少年の質問に答えることができないだろう。
「一応俺は、さっきからずっと周りの人にも聞こえる声で話しているつもりなんだけど。それでも対応を変えない人がいるってことは──その子が犯人ではないと知ってなおその子を憎悪する人がいるってことは、それだけ深刻な事情がある、ってことだろ?」
「……それは、ですね。つまりは──」
だから、
「──直接的な理由はないわ」
エミリア自身が、語る必要がある。
当事者である、彼女自身が。
唐突に話に割り込んできたエミリアに男性ふたりは不思議そうな顔をするが、気にする素振りを見せずエミリアは話を続ける。
「少なくとも私は、それと私の親類も、なにも悪いことはしてない。あるいは私の先祖が、何か悪いことをしたってことも伝わっていないし……」
「……」
「そして、私がこういう目を……つまり迫害を受けるのは、私が銀髪のハーフエルフだから。──嫉妬の魔女と、同じ見た目だから。それ以外の理由はなくて、それ以上の理由もないのよ」
嫉妬の魔女の伝承について彼女が知っていることは、そう多くない。ただ、それが与えた恐怖を又聞きしているだけだった。
「『銀髪のハーフエルフ』という符丁に意味があるとはいっても、それだけなのに……それなのに私は、こんな目を向けられている。直接的な理由がない、っていうのは、そういう意味よ」
「……それは、酷いな。全く、納得がいかない理由だ」
少年は、その声から憤りを滲ませていた。それが私憤であり義憤なのか、あるいは公憤なのかはわからないけれど、彼が怒りを抱いているということは確かなようだ。
「それで、さ」
しかし深入りはしようとせずに少年は話題を転換して、シャルガフのほうを向いた。
さきほどの、本人曰く周囲の人々に聞かせるための声よりは、幾分か抑えられた声だ。
「結局、あんたはこれからどうするつもりなんだ?」
「……なんのことでしょう?」
「そりゃあ、もちろんこの屍体のことだよ」
言いながら少年は、エミリアの傍を通り抜けてシャルガフに近づいていく。
「さっき言った通り、この子は犯人じゃない。そして、犯人になりうるのは強力な魔術師で、そんな人物はそう簡単にはいない。要するに、だいぶ手詰まりって言える状態なんだよな。だから、これからあんたは──衛兵は、どうするのかって思ってさ」
「…………」
何回目か、シャルガフは再び口ごもった。
口ごもって、絞り出すように、口を開く。
「……そう、ですね。加害者から考えると手詰まりならば、被害者の側から考えるしかないでしょう」
「まあ、それはそうだろう。けど、どうやって? この屍体の身元は分かってるのか?」
「……それは、分かりませんが──」
「だろうな。だったら、訊いてみるしかねえよ」
聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥って言うだろ? と少年は笑って、そのままシャルガフの傍をも通り抜けて、向き合う。
群衆に。
──さきほど、彼自身が『犯行はこの方向から行われた』と指摘したあたりの、群衆に。
「この中に、この屍体の身元がわかる人はいないか?」
そして彼は、訊く。
その問い自体は、先刻のシャルガフの問いとは変わらない。
違うのは、質問者の立場だけだった。
答える者がいないという点でも、それは変わらない。
「……いないのか」
わずかに落胆を含んで呟くと、少年は、笑う。
そう──彼は、シャルガフとは違う立場にいるのだから。
「なら、あんたたちは何を聞いていたんだ? 否、もしかしたらあんた──つまりは単数形で呼ぶべきかもしれないけどさ。有力な容疑者がいたさっきまでとは違って、今は候補すらも浮かんでいない状態なんだぜ? それなのに、故人についての情報を提供して事件を進展させようって人はいないのか? もし、いないっていうのなら──」
衛兵であるシャルガフとは違って、半笑いのような、薄笑いのような、そんな表情を浮かべながら、少年は、
「──この人は、よほど酷い奴だったんだろうな」
──少年は、挑発する。
それは、衛兵という公的立場にない、彼だからこそできること。
「死んでも無念に思われないくらいには酷かったんだろう。おそらく嫌われてもいたんじゃないか? 殺害されているっていうのに誰も名乗り出てこないってことは、つまりはこの人の身分を伝えようとは思わないってこと、すなわち彼を供養するつもりがない、ってことだろう? この人の知り合いである誰かは、さ」
故人を敢えて冒瀆し、そのうえで故人の知人の自尊心に傷をつけることで、被害者の身分や関係者をあぶり出す。それは、衛兵という立場の人間には──更には、シャルガフの性格から考えるとなおさら、できない。
否、そもそもそんな方法を考え、そして実行するなどということは、そう簡単にできることではないだろう。
「いや、でもまあ、そのことだけが、この人が疎まれていたってことの証拠にはならないけど。しかし実際、この期に及んでもいまだに誰も名乗り出てこないってことは、そういうふうにとられてもしかたがないんだよな……その沈黙がどんな理由に基づく行動なのかとは別に、さ。だから、この人がよほどの外道だって可能性も十分に考えられる」
だとすると、と一拍置いて。
「いったいこの人は、今までにどんなことをしてきたんだろうな? オーソドックス──じゃなくて、一般的っていうか王道的に考えると殺人、人殺しってところか。あるいは誘拐とか、婦女暴行とか、考えていけばきりがないけどさ。とはいえ、この思考過程は、はっきりいえば妄想に近い。その前提に立って、違う視点から考えるなら、たとえば差別やら虐待やら──」
「……てめぇ、いい加減にしてもらおうか」
少年の独壇場を鋭く遮った声は、彼の前方の人混みの中から発せられた。
その根源──燃え盛る炎のような赤髪の男は、顔を髪と同様に怒りによって赤く染め、冷静さの削がれた表情で少年を睨みつけている。
少年の、思惑通りに。
「俺や、俺たちのことを馬鹿にするってのならまだ許せる……だが、グリフィスのことを馬鹿にするのは、許すわけにはいかねぇ──」
「まあまあ、落ち着きなよエイブリー。確かに馬鹿にされてはいるけれど、彼の言うことももっともだよ──すぐに名乗り出なかった僕らにも、原因はある。ハーシーも、そう思うだろう?」
「アタシは別に……」
そんな男性──エイブリーを宥めるのは、青髪の青年。涼しげに細められた目が印象深い。
そして青年に話題を振られた女性──ハーシーは、鮮やかな黄色の髪とは対照的に暗い顔色をしている。本来は明るい性格なのかもしれないが、それだけこの屍体──グリフィス、と呼ばれていた──を目にしたことの衝撃が大きいのだろう。
おそらくは屍体の生前の知り合いだろうその三人は、目が痛くなるような鮮やかな色彩をしていた。さきほどまで挑発をしていた少年の、「まるで信号機みたいだな」という呟きが心に残される。
信号機とはなんのことだろうか、とエミリアが問う間もなく、
「すまなかった」
少年が頭を下げ、謝罪を口にする。
「事件が膠着状態に陥っていたとはいえ、無理やり事態を動かすために故人を嘲笑ったことは申し訳なく思ってる」
「……」
「その様子だと、この人──グリフィスさんは、よほど敬愛されていた人なんだろう。その可能性を考慮に入れたうえであんなことを言ったんだから、到底許されるようなことではないんだろうけど。でも、すまなかった」
「……」
「そして──」
真剣な面持ちで、少年は顔を上げた。そこには先刻までのふざけたような薄笑いは、跡形すらかけらもない。
「──そして、それでも、そのうえで、事件解決に、協力してほしい」
「……」
「この屍体を作り上げた犯人を、探し出すために」
再度少年は、頭を下げる。
対してエイブリーたち三人は、困惑したように顔を見合わせていた。少年のさきほどの挑発を原因として名乗り出てきた彼ら──特にエイブリーは、当然憤怒を抱いていたはずだ。けれどその怒りの矛先は、真っ向から少年自身の謝罪と請願によって挫かれた形になる。
そう考えると、そんな彼らの反応にも無理はないと思われる、けれど。
どうしてか。
そこになにか、別の感情が込められているように思えて──
「……まあ、構わねぇよ」
しかしその疑問は、エイブリーの返答により霧散してしまい、跡にはなにも残らず。
「もともと俺にも、それとハーシーやチェイスにも、グリフィスさんの死を弔おうっていう気はあったんだ」
ちょっとした事情で今まで名乗り出られなかったけどな、と頭を掻いて、
「だから、この事件に関する情報を提供するってことに異存はねぇ」
「そう、か。そりゃあよかった──」
「ただし、だ」
安堵を浮かべた少年に、エイブリーは突きつけるように言葉をぶつける。
「その前にひとつ、聞いときたいことがあるんだよ──あのさ、てめぇ」
伸ばした右腕、そしてその指先をまっすぐに少年に向けて、
「お前、何者だ?」
「────」
「さっきから聞いてりゃあ、てめぇの推理は明らか──ってほどではないかもしれねぇが、少なくとも俺らには、十分異常だったよ。常人に思いつけることじゃねぇ」
「それは、私も訊いておきたいですね」
黙って様子を見守っていたシャルガフも、口を挟んだ。
「捜査に協力してくださるというのはありがたいことです。上層部がどう思うかはともかく、私自身としては反対するつもりはありません。ただ、ひとつ懸念があるのです。つまり──」
言葉を切ると、シャルガフはエイブリーに倣うように指先を少年に向けて、
「──あなたは何者なのですか、ということが」
「……俺が何者なのか、か」
静かにその言葉を反芻して、周囲を見回すと、少年は後ろに下がった。
そしてシャルガフ、エミリア、エイブリーにハーシーに青髪の青年──チェイスを見渡して、
「まあ、隠すつもりはねぇよ」
言うと、こほんと軽く咳払いをして、その場で一回転。そして指を天へと突き出して姿勢を整え、
「俺の名前はナツキ・スバル! 右も左もわからないうえに天衣無縫の無一文! そして──」
少年は──スバルは、にやりと笑みを浮かべ、高らかに言い放った。
「──探偵さ」