序幕3『ガール・ミーツ・ボーイ』
「もう一度、問いましょう──」
エミリアの眼前にて、その男性は改めて口を開いていた。
王都においては典型的である金髪碧眼と、整った顔立ち。その瞳が真摯な色を宿しているように感じられるのは丁寧な物腰故かもしれない。しかし優美な容姿に反して、その服装は酷く無骨だった。
身体を覆うその鎧。飾り気はなく、着用者の体型を不明瞭にさせている。そして肩には紋章があった。
「──こちらの方の、身元を知っている方はいらっしゃいませんか?」
彼が衛兵であると示す、それは紋章であり。
「身元が完全にはわからなくても構いません。名前、出身地、現在の住所、職業──思い浮かぶことがあるのなら、なんでも結構です」
問いかけ、語りかけながらも彼が指しているのは屍体であった。衛兵の到着以前よりあったそれである。
生前の輝きを失ったと思われる虚ろな色の紅い瞳や、苦悶のためか反らされた背中や、そこに突き立てられた氷柱が特徴的な、エミリアに顔を向けたその屍体の身元を彼は問うていた。
そして、エミリアにはわかってしまっている。
「ふむ……。屍体の身元が判らないとなると、別の線から調べるしかないのでしょうか」
大精霊であるパックと契約したことで精霊術師となっているエミリアには。
一応は魔術師の端くれでもある彼女には。
わかって、しまっているのだ。
屍体に突き立てられた氷柱。
それを射出することは、そう難しくはない。多少の想像力を働かせ、起きる事象を思い描けば、たやすいことだ。
でも、けれど、おかしな点がふたつあった。
ひとつは、この場所。
往来が激しく、騒音が酷い。対象に射出したものを当てる──すなわち、対象以外に撃ち出したものを当てないという面からも、魔術を練るための集中を削がれるという点からも、そう簡単に氷柱を当てられるとは考えられない。
それは薄弱な要素だが、加えてもうひとつ。
屍体に刺さったままの氷柱には、不思議なことがある。
その氷柱は長く、そして深く屍体を貫いているが、貫通はしていない。目測ではエミリアの肘から腕ほどの長さだ。
そして、腕を伸ばすのにも難儀するような人混みで、背中に深く突き刺さるような速さで氷柱を射出し、それが人体を貫通する前に停止させる、という芸当。
そんなことが、生半可な魔術の技量で行えるのか? ということ。
これらの点を訝しく感じて、彼女は思い至る。
「では──」
否──思い至ったのではなく、それに気づいたというだけのこと。
前述の通り、中途半端な技量の魔術師にはこの事件は起こせない。もしそういった人物が犯人ならば、違った様相が呈されているだろう。
それはすなわち、それなりの技術を持つ魔術師が犯人だということを示している。
しかしながら、それほどの技能を持つ魔術師は、そう多くはない。王都の魔術師人口の中でも、条件を満たせる実力があるのは全体のうちのごくわずかだろうか。
たとえば、それは筆頭宮廷魔道士であるロズワール──エミリアの居候先のことだけれど、流石にその域に達している魔術師はほとんどいないといえる。
そこまでの能力がなくても、この事件を起こすことはできる。できるが、しかしそもそもエミリアの知る限りでは、魔術に習熟している一般人の人数自体が少なかったはずだ。普通に暮らしている限りでは魔術を使うような事態はほとんど起こらないだろうから。
また、都市間を移動している商人やその護衛ならあるいは、ということも考えられる。しかしそういう人物は、たとえ相手をどれほど迷惑に、あるいは憎く思っていようと、立場柄このような目立つ方法を選択したりはしないだろう。
つまりは、そういうことなのだった。
論理的に導かれる単純な事実。
「──この中に、火属性の魔術師の方はいらっしゃいますか?」
この事件を起こせる程度の技量を持つ魔術師がめったにいない以上、
さらにそういう人物がこういう事件を起こすとは考えにくいため、
そして他に明確な手がかりが見つからない限りは、
エミリアはもっとも疑われやすい立場にいるのだということ。
それは明白で。
よって、彼女は名乗り出た。
自らが疑われるよりも早く。
◆◆◆
シャルガフという人物はあくまで単なる衛兵でしかなかった。屍体発見や殺人事件の経験など碌にない。当然捜査の基本など知る余地もなく、暗黙の了解なんて知れるはずがなく、判断材料も少ない。
故に、あっさりと名乗り出てくれた捜査協力者に訊ねるべきこととして、なにが適切なのか彼にはわからなかった。
しかし、経験はなくとも推測は可能である。
「では、エミリアさん」
考えをまとめると、改めて彼はその少女──エミリアを見やった。
全体として、どこか茫洋とした印象のある少女だ。といっても、本人がぼんやりしているということではなく、なんとなく輪郭がはっきりしないような。現世を超越した、というのは言い過ぎだろうけれど、どことなく得体の知れなさが感じられる。
特に目立つのは、被っているフードの下からこぼれ出ているような長い銀髪だろうか。陰となっているために素顔は伺いにくいものの、彼女の美しさは容易に判別できる。
その少女に、静かに問いを投げかけた。
「この屍体に刺さっている氷柱を、どう思われますか?」
「氷柱……ですか」
シャルガフも多少は魔術に対する知識を蓄えてはいるけれど、本職の魔術師に比較すればたいしたほどではない。また、彼自身に火属性の適性がないということもある。
故に、凶器と見られるこの氷柱については、エミリアのような魔術師に聞くべきことだろうというのが、シャルガフの推量だった。
「私見ですが……というよりは見ればわかることですが、この事件の、いわゆる凶器と呼ばれるものはこの氷柱です。そしてエミリアさんもご存じの通り、王都ルグニカの気候は基本的に温暖でして、氷柱ができるほどに冷え込むことは、滅多に──まったくと言って構わないほどに、ありません。つまり──」
「……つまり、この氷柱は魔術によって作り出されたもの」
「と、いうことです。もちろん、私やあなたには想像すらできないような手法を用いて用意された氷柱だ、という可能性もあり得ますが……しかし」
そんな場合を考慮する必要はありません、と彼はためらいなく言い切る。
「もし実際にそういった手段が使われているのなら、私たちがそれをそう簡単に見つけられるはずがないでしょうから」
「…………」
「よって、このような所以に基づいて、魔術の専門家である魔術師であり、なおかつ火属性に熟練しているエミリアさんに、問いたいのです。つまりは、意見をお聞きしたい──この氷柱を、どう思うのかについて」
その言葉を受けたエミリアの表情に、わずかな迷いが垣間見られたように思えたのは、シャルガフの気のせいだったかもしれないけれど。
──彼女は言った。
「……そのことについてなら、ひとつ気がついたことがあります」
そうして、語り始める。
彼女が最も疑わしいという、どこまでも不利なその推察を。
◆◆◆
「──これは、少々困ったことになりましたね」
呟きは確かに小さかったけれど、それでもしっかりとエミリアの耳へと響いていた。
思わずこぼれ出た無意識のうちのそれを、エミリアはさっぱり予期していなかった──と言えば、嘘になる。
実際にエミリアは、そういう感想を持たれるだろうということを予想していたし、覚悟も決めていた。とはいえ、それが全く彼女の内心を揺さぶらないというわけではない。
予測も、覚悟もしていた。けれども、その言葉はエミリアを動揺させる。
「……エミリアさん」
不意に顔を上げると、衛兵はエミリアの方を見て口を開いた。少なくともその表情自体にはさきほどまでとはなんら変わるところがないけれど、
「本当は、私にもこのようなことをするつもりはなかったのですが」
しかしながらその謝罪に含まれる心情は、全く異なっていた。その変化が、エミリアが伝えた考えによるものだということは確実であり。そしてそれが取り返しのつかないことだというのも同様だった。
「おそらくはあなたにもなにか事情があるのでしょう。それを忖度するのなら、こうすることは間違っているのだろうと思います。ですが、事態がこうなってしまったからにはそうするしかない、とも思うのです」
シャルガフと名乗った衛兵はゆっくりと言葉を紡いでいく。その中にはわずかな悔恨が、その口調にはわずかな懺悔が含まれているかのようでもあって、
「エミリアさん」
そして彼は、衛兵という立場に基づいて宣告する。
「そのフードを、外していただけませんか?」
善意の協力者であるならともかく、容疑者という立場である以上、明らかに怪しいその服装を暴かないわけにはいかないのだ、と。
そう彼は言う。
疑問形をとっていながらも、それはもはや質問ではなく、通告でしかなかった。拒否することを許されてはいない。
「……わかりました」
そのためか、エミリアが肯んずるとシャルガフは表情に不思議を浮かべた。おそらく、そう簡単に肯定されるとは考えていなかったのだろう。
それをさして顧みることなく。
エミリアは、ゆっくりとした動きで自らのフードを外して。
自身に対する認識を阻害する術式の組まれたそれを外して。
そして、
──ひりつくような視線が、その途端に彼女を襲った。
視線の根源は、相変わらず屍体の周囲に並び立ち事件の進展を見守っていた人々であり。
そしてそれに宿されているのは、
畏敬であり、疑問であり、
驚愕であり、殺気であり、
憎悪であり、諦念であり、
──紛れもない、紛れようのない、恐怖だった。
誰もがエミリアを見つめていた。
──誰もが、エミリアの耳を見つめていた。
普通の人間のそれよりも少し尖った、エミリアの耳を。
──『銀髪のハーフエルフ』
と、誰かが呟く。
それだけが理由だった。
そのことだけが、これほどまでに彼らの心情に波紋を呼び起こしていた。
その事実に、今更ながらにエミリアは後悔を抱きそうになる。
自分の容姿に対する風評は知っていた。それを理解していたつもりだ。けれどそれでも──否、それだからこそ理不尽を感じてしまう。
どうしてなのか。
なにかしら悪いことをエミリアがした訳ではないのに、かつて悪いことをした銀髪のハーフエルフがいるというだけでしかないのに、どうして──、
と、
「──エミリアさん」
眼前、群衆と同じように瞳に驚愕を浮かべていたシャルガフは、すぐさまある種の確信を持って、言う。
同時、エミリアの肩でわずかにパックが魔力を集中させようとして、
「まさか、あなたは──」
思わずエミリアが緊張に身を固くするなかで。
彼の言葉は、
「それ以上は言わせねえよ」
エミリアの背後から、遮られた。
再び目を驚愕によって見開くシャルガフにつられ、エミリアも振り返る。
「事情を知らない俺が言うのもどうなんだか、って感じだけどさ」
そこには、ひとりの少年が立っていた。
「それ以上の暴言を許すことは、俺にはできねえよ」
ひとりの黒髪の少年が、立っていた。