蛇足
ナツキ・スバルは、押し黙ってワタシを見つめていた。霊体とでも呼ぶべき状態にあり、本来ならば見られないはずのワタシを、しかと見つめていた。思いこみでも勘でもなく、まっすぐに。
混乱する。
「何故──とでも訊きたいんだろ?」
そんなワタシの心を見透かしたかのようにナツキ・スバルは笑い。
「そうだな……どこから話すべきか。──あれは、だいたい八回くらい前のことだ」
「────」
呼吸が止まる。否──実際に呼吸しているわけではないのだから、それは錯覚だ。錯覚を感じてしまうほどの衝撃。
この探偵は今、なんと言った?
「なにを、言っているのデス──」
「いや、正確には最初の回のことだった」
問いに応じることなく、語り続けるナツキ・スバルを止める術はワタシにはなく。
「グリフィスが氷柱を刺され、ハーシーは密室で刃に貫かれる。見知らぬ土地でそんな連続殺人に遭遇した俺は、当然ながら探偵を自称する者として捜査し、犯人を突き止めた」
「────」
「それがお前だよ、ペテルギウス・ロマネコンティ」
睨むようにワタシを見据えて、探偵は言う。
「もちろん俺は知らなかった。深くは知らなかった。魔女教のことも、嫉妬の魔女のことも──そして、魔女教徒と大罪司教のことも」
「なにを、言って」
「なにも知らない俺はお前を犯人だと指摘し──そして、お前に殺された」
「馬鹿な」
「憶えていないだろうな」
断定、しかし根拠を提示することなく。
ナツキ・スバルは続ける。
「で、二回目だ。当然のごとく俺は混乱した。その時点では想像すらもしてなかったよ、こんな状況は。けど、グリフィスの死のあとだということはなんとなくわかったから。次にハーシーの死が訪れると知っていた俺はそれを止めようとして」
なにが語られているのかわからない。理解できない。理解が及ばない。わからないわからない。
「当たり前のように疑われた。当たり前だよな。そして魔女狩りのように、なんて冗談にもならないけど──最終的に俺は死んだ」
これが二回目。
「三回目──なんて順番に言わなくてもいいか。もう、わかってるだろう?」
「馬鹿なことを馬鹿なことを馬鹿なことをことをことをことをとをを……!」
「『死に戻り』」
ナツキ・スバルは言った。
「どうして俺がお前のことを知っているのかといえば、それが理由だよ」
「ありえない──」
「と言うのは勝手だし、別に理解を求めてるわけでもない。目的はそこじゃないからな」
「────」
「本題に入ろうか」
改めて宣言しよう、と。
ナツキ・スバルの視線がワタシを射抜き。
「ペテルギウス・ロマネコンティ。お前こそが、グリフィスおよび他三人を殺害した真犯人だ、と──俺は指摘する」
『一回目』と、同じように。
さて。と、探偵が呟いた。
◇◇◇
「まず、グリフィスの事件について話をしよう」
最初の事件だった。昨日の昼に発生したそれは、黒髪紅眼の男が氷柱により死亡していたというものだ。
ワタシが回想するのを知ってか知らずか、探偵は語る。
「大枠については表向きの推理と変わらない。凶器の氷柱は魔術により生み出されたものであるという可能性以外はありえない。そしてあの場にいた火属性の魔術師は、まずエミリアとグリフィス当人のふたりだとみていい」
「……」
「エミリアが犯人だという可能性は否定された。つまり、凶器の氷柱がグリフィスによるものだということはほぼ確実」
口を挟む余地はない。ナツキ・スバルが話しているのは自身の論理であり、それを語り直すことが否定される所以はなかった。
「ここで問題がある。自殺だとすると動機が不明だということだ。さっきは適当にごまかしたけど、理由がわからないものを事実のように語るわけにはいかない。じゃあ、自殺じゃないと仮定するとどうなるか?」
「……」
「そこで鍵となってくるのが、凶器が氷柱だということだ。そして氷柱は魔術により作り出されたもの。では、魔術とはどんなときに用いられるものなのか?」
「……」
「どう思う?」
「……攻撃、デスかね?」
「そう、そのとおり」
圧力に押されて答えてしまうと、ナツキ・スバルは頷く。いいように利用されたという感覚を拭えなかったが、当然容疑者のそれは探偵の配慮するところではない。
「氷柱は魔術によって攻撃のため生み出された。ではその対象はなんなのか? それを考えるためハーシーたちの証言を振り返ってみると」
重要なのは、とナツキ・スバル。
「ハーシーもチェイスも、なんらかを感じて視線をそちらへ向けているということ。一方でエイブリーには、そんな気配はない。そしてもうひとつ重要なのが、パックの言っていたことだ」
「……?」
パックというのは、あの猫型の精霊のことだろう。しかしその言葉がなんだというのか。
「大精霊曰く、青髪と黄色髪のふたりには、結構精霊使いの才がある、と」
「────」
「そして赤髪には言及されていない。つまり、ハーシーとチェイスが証言しているなんらかの気配とは、精霊のことじゃないかと考えられる」
「な──」
「そしてパックはこうも言っていた。グリフィスの家の近くにはかなりの実力をもった精霊がいる、と」
それは。
それは、つまり。
「お前のことだよ──精霊、ペテルギウス」
ナツキ・スバルはその事実を端的に告げる。
「これで繋がった。グリフィスが氷柱を生成したのはお前を迎撃するためだ。それに対してお前は、グリフィスに憑依するという行動をとった」
「何故、それを──!」
「グリフィスに憑いたお前は、続いて『見えざる手』により」
「──!」
「空中の氷柱を掴むと、そのまま、依代の背中に突き立てた──紙一重で貫通しないところに寸止めして」
何故、それが知られているのか。
憑依、『見えざる手』──いずれも、ナツキ・スバルの前では使っていないもので、──否、それこそが。
探偵の言う、死に戻りによる恩恵なのか。
「では、動機は──動機はなんだというのデスか」
「お前の、最も大切なもの」
「────」
言い切られる。否定の術はない。
それは、事実だ。
「食堂の女将さんが言っていた。グリフィスたちは深刻な話をしていることが多かったと。その内容とは、王国の行末、『剣聖』の家での確執、王都での犯罪数──そして、魔女教の脅威」
エイブリーという赤髪の男は言っていた。あの黒髪の男が憎んでいたもの。
たとえば世界。たとえばマナ、そしてオド。たとえば龍。たとえば剣聖。そういった人智を超えたような存在。
「たとえばそれは、嫉妬の魔女」
「──魔女、サテラ」
あの黒髪の男は話していた。魔女教がルグニカを脅かしていること。その魔女教が崇拝しているもの。そして──魔女を、否定、し、
「そう、あの男は言っていたのデス」
愛しき魔女の寵愛に応えるために、試練を取り行うことこそがワタシに与えられし身命を賭すべき使命。であればこそ、あれほどまでに彼女を否定したあの男を生かしておけるのかといえば──
「それは、自白だと受けとって構わないか?」
「否定するだけ無駄だとはわかりマスよ。そうデス、そのとおりデス──ワタシが、あの男を殺したのデス」
「そうか、なら──」
「デスが」
そこまでしか、退くことはできない。
「ワタシが他の、あの三色を殺したのかと問われれば。それは否デスよ」
「それは認められないな」
「何故、デスか」
「なぜなら。グリフィスを殺したのがお前だと確定してしまえば、他の三人を殺害したのもお前だということになるからだ」
「────」
「そう、それは論理的帰結」
思い返せばわかるだろう、とナツキ・スバルは口許を歪める。
「ハーシーの事件、表向きの推理では彼女は自殺だということになってる。しかしそれは、グリフィスが自殺だと仮定した場合の話。そうじゃない以上、根底から推測は覆される」
「……」
話の方向が読めないワタシは──否、読めているからこそ、黙りこむしかなく。
「彼女ら三人が商い通りで話しあったのは、グリフィスが自殺したことによる今後についてなんかじゃない。三人が心配しなくてはならなかったのは自分たちのことだ。彼女たちにお前の──大罪司教の行動理由がわかっていたとは考えられない。よって、自分たちも襲われる可能性を考慮するのは自然な流れだ」
「……」
「ハーシーは自室に立てこもった。襲撃を警戒してのことだ。棚によるバリケードもその一環。疑われないようエイブリーにナイフを運びこんでもらい、武装した。しかし、お前はその上をいったんだ」
「……」
「お前は壁をすり抜けた。あまりにも反則的な、それが密室のトリックだ。そうしてお前はハーシーに憑依し、グリフィスと同様に、手近な刃物をその背に突き立てた」
「……どうやら、認めざるをえないようデスね」
「第三の事件については」
降参を告げる台詞はあっさりと無視される。
「絶対的な根拠がひとつある。シャンデリアのロープがそれだな。エミリアたちは流れで丸めこめたけど、よく考えればあんなのは嘘っぱちだとわかるはずだ。大の大人がふたりがかりだろうと、二階の天井に手が届くはずもない」
「……それは」
「『見えざる手』。それ以外には考えられないな。あの力があれば、体格で勝るエイブリーを撲殺することも、チェイスの身体だろうとたやすい」
「……デス、ね」
「犯人はお前だよ、ペテルギウス・ロマネコンティ」
完膚なきまでに論証されている。そして否定できるはずもなかった。探偵の言うことが事実であるのなら、彼は犯人つまりワタシを知ったうえで事件に臨んでいることになるのだから。
だが、
「デスが」
そうだとはいえ──
「アナタがそれを証明したところで」
──ナツキ・スバルの口を封じてしまえば、その論理に意味などない。
「脳が、震える」
『見えざる手』。
魔女の寵愛を表す無数の腕。
不可視であり、ワタシには黒く映るそれが、ゆっくりとナツキ・スバルを襲い──
そして、避けられる。
「何故──!?」
「そのくらいは想定しておくべきじゃないか? なにせ、何故かはわからないけど、俺には霊体のお前が見えているんだから」
言葉のとおりに。
四方八方から襲いかかるワタシの腕を、危ういようでいて確実に、ナツキ・スバルは回避する。回避、できている。
「デスが、アナタに決定打がないのも同様のはず──」
「そうだな──俺、には」
「なにを言って──!」
上空から腕を叩き落とし、左方から薙ぎ払い、右方から風を切り裂き、下方から土ごと腕を跳ね上げて、隙を腕の数で埋め、数で圧迫し──
弾幕のような攻撃により、着実にナツキ・スバルは追いつめられていく。
直前まで動かず、腕の動線を見極めて身を躱していたナツキ・スバルが、足を滑らせて倒れこんだ。
「これで、終わり、デス──!」
決定的な隙が生まれる。そこへ腕を振り下ろす──
直前に。
「──パック!」
ナツキ・スバルが叫ぶと同時に、『見えざる手』が凍りつく。
「終わ、終わり、終わら、終わって、ない──?」
背後からの冷気が、実体をもたないはずのワタシにまで影響しているかのような。そんな戦慄が、ワタシの劣勢をこのうえなく伝えてくる。
「一応言っとくと、パックには念話が使える。この対面もすでに、それによって伝達済みだよ」
にやりとナツキ・スバルが嗤う。
「リアを説得して連れてくるのにだいぶ苦労したけどね……」
振り返ると目に入るのは、猫の姿をした精霊。そしてその背後、通りと裏路地の交差する壁に、銀色の髪がきらめくのが見えて、
「まさか──」
「エミリアに手出しをさせないこと。それが、お前を打ち倒すために必要な最大の条件だった」
「それでボクまで、こんな奇妙な演出をするのにつきあわされたってわけさ」
「待て、待つのデス。こんなはずが、こんな状況が、こんな展開が、こんな苦境が、ワタシに、訪れるはずが──」
「御託は結構」
パックと呼ばれる精霊がワタシの口舌を遮り、
「これで、終わりだよ」
ナツキ・スバルという探偵がその表情に勝ち誇ったような笑みを浮かべ、
「────」
視界の隅で半魔の少女の髪がなびき、
「リアを傷つけるものすべてから、ボクがリアを護る」
そして大精霊が。
終焉の獣がその猫の手を下ろし
目には見えないほどに細かく砕け散った氷が西陽を受けてきらめくのを見て、ようやくスバルは一息ついた。
魔女教の大罪司教にして『怠惰』の権能をもつ者。繰り返されるループの中で何度もスバルを苦しめた彼あるいは彼女──ペテルギウス・ロマネコンティも、流石に霊体の状態において氷づけにされてしまえば生きてはいないだろう。
「……もう出てきても大丈夫だよ、リア」
砕けた氷の欠片からペテルギウスが復活することもない、と確認してか、パックが声を投げた。応じて路地裏に入ってきたエミリアは、そのまま足早にスバルに近づくと睨みつける──ということもなく、首を傾げる。
「……それで、結局どういうことだったの?」
どうやら、状況を理解できていないらしかった。スバルが用事があると言って去ったのをパックに指示され追いかけるという、自身の行為の目的は伝わっていないようだ。
──もっとも、そうでないと困るのだけれど。
自らの心臓を撫でるあの手の動きを想起して、スバルは身体を震わせる。
「それはボクも訊きたいな。ボクの場合は、さっきの変な指示についてだけど」
パックもエミリアに追従した。理由を話さず、彼女のためにスバルに従うよう伝えただけなのだから、それも当然だろう。訊かれなかったら逆に不安を感じるところである。
とはいえ、どこから説明するのかは難しいのだけれど。
「えっと、それはだな……」
死に戻りのことには言及できない。ペテルギウスに話しても見逃してもらえたのは、彼あるいは彼女が魔女の配下だったからだろう。エミリアたちに伝える際にもそうしてくれるとは考えづらい。
よって、それ抜きで経緯を説明しなければならないのだ。
そうともなれば、
「まず」
このことから話すのが手っとり早いだろう。
「前提からいえば──ペテルギウスのことを、俺は、最初から知っていた」
このループが始まった時点でそれはすでに知っていたのだから、嘘はついていない。
「犯人があいつなんだと、俺にはわかっていた。最初から、っていうのは比喩じゃない。そのままの意味で、やつを知っていたんだ」
ペテルギウス・ロマネコンティについてなにを知ってる?
そう、尋ねる。
「……魔女教の大罪司教の中で、最も有名な存在だね。『怠惰』の大罪司教。魔女教としての活動を多く行っていて、それ故に広く知られ、怖れられている」
「うん、まあそんなとこだろう」
何回目かの際に彼から聞いた内容とまったく変わらない、それはこの世界の一般的知識だ。淀みなく答えたパックの傍でエミリアが困惑しているのも、見たことのある光景だった。
「けど、俺はある事情から──それは話せないが──それ以上の知識をもっていた」
と、ここで『死に戻り』のことをぼかしつつ。
「よって、あいつの目的と、その捕縛のため必要なことを判断できたわけだ」
「その、目的っていうのは……」
「君だよ」
まっすぐにエミリアのことを指差す。
「正確には、君と同じ姿をしていたという嫉妬の魔女。それがペテルギウスの動機だ。一連の連続殺人においてもそうであり、そして」
ペテルギウスを打ち倒すうえでも、それが重要となるのだ。
「ここで仮定する。グリフィスが殺されていない段階で、ペテルギウスの凶行を止める術はあるのか否か」
「うーん……わからないけど、こういう状況になっているんだから、できないんじゃないかしら」
「そう、無理だ──無理、だった」
「だった?」
「いや、なんでもないけど、とにかく無理なんだ。主たる理由は、あいつがもっている権能にある」
見えざる手。そのことについてはエミリアたちもわかっているだろうから、その説明は飛ばして──
「あー、あの、スバルがなんだか踊っていたみたいなののこと?」
「…………」
……飛ばしてしまう、というわけにはいかないようだった。
「あれは、エミリアには見えなかったみたいだけど、ペテルギウスのもつ能力のひとつだよ」
その名のとおり、ヒトには見ることのできない腕。なぜか視認できるスバルは失念しかけていたが、彼女にわからないのは当然のことなのだ。
「それのために、この人混みの中でペテルギウスと闘うことはできなかった。俺はなんとか避けられるけど──」
「他の人が巻きこまれちゃうだろうね」
「そうなんだよ。よって、苦渋の決断ではあったけど、俺にはペテルギウスを見逃すしかなかった。……やつが余人には理解できない理由で人を襲いかねないと、知っていたのに」
というのは方便であり、実際のところは、スバルのリスタート地点がグリフィスの死後だったというのが単純な理由である。
スバルに、グリフィスを救うことはできなかった。
「続いて仮定しよう。グリフィスが死んでからハーシーが死ぬまでの間で、ペテルギウスを止めることはできたのか。あるいは──」
言葉を続ける。これらの条件は並立するものだから。
「ハーシーが死んでから最後の事件までの間に、同様のことは可能だったのか」
──答えは、いずれも否だ。
「ペテルギウスがもつ、もうひとつの権能。その正確なところを俺は知らない。根本的な原理がどういうことなのかはわかっていない。そのうえで説明するのなら、それは──」
思い返す。幾度目かのループを。グリフィス邸についてすぐにペテルギウスを攻撃したときの、その光景──
「──他人を狂わせる能力、というのが正しいと思う」
『「怠惰」であれ──』と、ペテルギウスは叫んでいた。
「周囲にいる、ある例外を除いた人物を狂わせる力。おかしなことに俺には効かないそれも、周りを巻きこんでしまうことに変わりはない」
「だから、この家ではペテルギウスを止められない……」
「一応、俺と君だけになっていたときもあった。だけどそれは一番危険な状況だ。なぜなら、あいつの狙いは君でもあったから」
スバルは確かにペテルギウスの権能を喰らうことがない。しかし同時に、スバルは凡人でしかないのだ。不可視の腕が見えたところで、避けるのには限界がある。魔術に意表を突かれたのも苦い記憶だった。
したがって、スバルには。
ハーシーも、チェイスも、エイブリーも──救えない。救えなかったのだ。
「彼らの傍にずっといたところで、不自然に思われてなにも起きないのが関の山。いずれは離れざるをえなくなるだろうし、それとも俺たちごと殺されていたかもしれない」
「でも、チェイスが自分でカタをつけると言ってたっていうのは……」
「ああ、それは嘘だよ」
「う、そ?」
「それについては追って話す」
話を仕切り直そう、とスバルは言葉を放る。
「ペテルギウスを倒すための条件はひとつ。可能な限り、周囲に人がいないことだ。けど、俺だけでは倒せない。強力な味方が必要だった」
「それがパック、ってわけね」
「ところがパックは、エミリアの近くじゃないと力を発揮できない。これは言っていたよな。そしてエミリアは狙われている。ペテルギウスの前に出させるわけにはいかない。そんな複雑な事情をどう話せばいいのか……」
と、そこで御誂え向きに登場するのが、パックの心話なのである。
「同じ精霊であるペテルギウスには心話を聞かれる可能性もあった。探偵、なんていう名乗りを上げた俺を警戒して、やつは俺を追ってきていたようだしな」
それは、どの周回でも同様だった。
「だから、相談ができたのは──」
「昨日の夜、そして今日の昼ご飯のときだよ」
パックがここぞとばかりにエミリアに解説する。
「どうしてそのときは心話を使えたの?」
「もちろん、ペテルギウスがいなかったからだ。あいつは犯行の最中だった。当然アリバイはなく、俺たちの話を聞くこともできない」
その隙をついて舞台設定を話しあった。昼食時に限ってはエミリアとも話していたため、確認だけに努めたとはいえ、不自然な沈黙も残ってしまったが。
「あとは知ってのとおりだよ……助手という立場にあったエミリアが俺を離れれば、ペテルギウスには不審がられてしまう。だから、やつを倒すには、偽の解決を用意しないといけなかった」
チェイスが話していたことについての嘘も、そのためのものである。
その以前に絶望を挟んだのは演技ではなく、虚勢が保たなくなったからだけれど。
「それを披露してペテルギウスを油断させる。あとは打ちあわせに従って、エミリアを離れて俺は人気の少ないところへ向かい、そして犯人と対峙する。そのあとをパックは、エミリアに指示を出してついていく」
「……」
「そしてあいつを倒した、ってわけだ」
以上、証明終わり。
冗談めかしながらも真剣にその言葉を用い、虚構を含んだ説明の信憑性を大きくする。その奮闘の影響かはわからないが、
「……ふう」
と、エミリアは息を吐いた。疑問に答えを得たからかその表情は晴れやかで、どうやら、信じてくれたらしい。
「うん……、なんていったらいいのかわからないけど、すごいのね、スバルは」
「……そんなことはないよ」
「あるわよ」
もっといい解決があったのではないかと、ずっと思っていた。誰も犠牲にならない結末。グリフィスすらも亡くならないような、底抜けに幸福な終焉が、あったのではないかと。
それは、とても強い後悔だったけれど。
でも、
「確かに、あの人たちは殺されちゃった。それが哀しくない、とは言わない。けど、最悪だってことでもないでしょう?」
「…………」
「ペテルギウス・ロマネコンティはスバルがやっつけた。もしその人がこれからも誰かを殺め続けていたとしたら──その人たちを、スバルは救ったのよ」
「……でも──」
「そして、なにより」
そうして、エミリアは言った。はっきりとした意志をもって、
「スバルは私を助けてくれたじゃない」
迷いなく、そう言われてしまうと──この結末もそう悪くはないと、そう、思えてしまう。
エミリアも、スバルも──誰もが死んでしまうような終わりよりは、ずっといいものなのだろうから。
「だから、すごーく、ありがと」
「……ああ」
言葉に詰まった。まっすぐな思いをぶつけられたあとでは、なんといえばいいのかわからない。沈黙が痛かった。それから逃れるように、話を逸らすように、
「そういえば、これが初めての事件になるんだな」
思い浮かんだことを呟いてみた。期待どおりに釣られたエミリアが、その呟きに応えてくれる。
「初めて、って?」
「このルグニカにきてから、ってことだよ。故郷での菜月昴としては、何度も事件を解決しているけど」
菜月昴ではなく、ナツキ・スバルとして解決する最初の事件。そんな、ちょっとした感傷だった。
「それって、すごーく大事なことじゃないかしら」
「どうだろう」
「なんていうか、異名? みたいなのはないの?」
「い、異名……」
「なになに探偵最初の事件、みたいなものよ!」
なぜかきらきらとした眼で訊いてくるエミリアから眼を逸らす。何度も繰り返してきたなかでも、あのような表情は初めて見た。
実はミステリマニアだという設定がある、ということはないだろう。親かなにかの影響かもしれない。
「異名、か……」
ともあれ、その単語を噛み締めてみる。
異名。かつてはその類を目にしたり聞いたりすることも多かった。高校生探偵菜月昴、というのもそれにあたるだろうか。
しかし、この異世界で高校生という肩書きは意味をもたない。引きこもり、というのも自虐でしかないし、もはや過去の話である。
「それに、な……」
思えば今回の事件、スバルは悩んでばかりいた。まだループしていなかった頃は単純に事件に頭を悩ませ。二周目ではループという信じられない現実に頭を抱え。三周、四周、五周……繰り返される事件を前に、ひたすらに考え続けた。そしてこの周回も、ずっと。
悩んで、迷って、迷い続けて。そうして今にたどり着いたのだ。最良だとはいえなくても、最善だと思える結末に。
「……ん」
ふと、着想が降りてきた。簡単な発想。誰にでも浮かぶようなそれ。
エミリアに視線を向けると、すぐさま視線で応じられた。思索を待っていてくれたのだろう。
「なにか考えついたの?」
「うん、まあ」
そんな彼女に、スバルは自身の思いつきを口にする。
◇◇◇
こうして──迷探偵ナツキ・スバルの最初の事件は、その幕を下ろしたのだった。