第三幕『探偵、ナツキ・スバル』
「順を追って説明しよう」
そう、ナツキ・スバルは口火を切った。
「まず、グリフィスの事件を考えるうえで最も重要となるのはなんだろうか。いや、正確を期して言うのなら、最も異常だと考えられるのはどんな点だろうか?」
「それは……氷柱、かしら」
「そう、氷柱だ」
ではここでひとつ疑ってみる、と彼は言う。
「グリフィスの死因は本当に氷柱だったのか」
「えっと、それはつまり……」
「別の凶器で刺したあと、氷柱を傷口にあてがったということはありえるのか、ってことだな」
「……それはないんじゃない?」
「理由は?」
「ええっと……」
考え出すエミリアを、スバルは静かに見守っていた。彼にはすべてが見通せているのだろうか。
「……そう、傷痕。別の凶器──たとえばナイフなら、ああいう氷柱とは痕跡が異なる、ってスバルも言っていたわよね」
「ああ」
「だとしたら、もし氷柱以外を刺していたとすると、なにかしら不自然な点が残るはず。でも、そんなものはなかったんでしょう?」
「そのとおり。他にも、凶器の入れ替えなんてことをやるためにグリフィスに近づいたら不審だと思われるだろう、ってことがある。その理由も簡単には浮かばないしな」
「つまり、あの氷柱がグリフィスさんを殺害したとみて間違いないのね」
そこまでは納得がいく。しかし、それがわかったところでどうなるのだろう、という疑問もあった。
それに応じるかのように、スバルは続ける。
「じゃあ、グリフィスを殺した氷柱とはどういうものだったのか? ここで二通りが想定される」
「二通り?」
「魔術か科学。その二通りだよ」
「それってつまり、その氷柱をどうやって生み出したのか、ってこと?」
「そう。魔術として生み出した氷柱なのか、それとも魔術以外の方法によって創り出したのか」
その違い。
前者であれば犯人は魔術師──それも火属性──になるというのは、エミリアも推測したところではあるけれど。
「後者だと仮定してみよう。その場合、その氷柱はいつ生み出されるだろうか?」
「いつ、って……」
「あの商い通りにおいて、その場で氷柱を生み出す方法は、魔術以外にあるか?」
「ないと思うけど……」
冷蔵庫と呼ばれる魔法器の類が真っ先に浮かぶ。しかし、それは小型のものではない。持ち運ぶことは不可能だ。他の方法も似たようなところだろう。
温暖な気候のルグニカで氷を作り出すには、魔術を使わないのであれば、多大な力が必要になる。
「なら、別の場所で作った氷柱を商い通りに持ってきたとする。それは可能か?」
「バレちゃう、と思う」
「だろうな。あの人混みでは難しい。それに、グリフィスの背後にはハーシーとチェイスがいた。そのふたりに露見することなく近づき貫くのも困難だろうし、彼らが犯人だと仮定しても、彼らは食事をしている。氷柱を持ち運んでいたら気づかれてしまう」
したがって、凶器の氷柱は魔術によるものだということになる。
「ここでエミリアの論理が適応される」
「……氷柱の射出は考えにくい」
「そして、犯人がいたのはグリフィスの背中方向」
「でも、そんな条件に当てはまる人がいるのかしら」
火属性の魔術師でさえ一般の人には珍しいのに、という感情を暗に含んでいた疑問を受けて、
「そう、そこが肝だ」
スバルは、笑った。
「ここまでの論理を踏まえてみる。犯人は昨日の昼この街にいた。それもあの、混雑した商い通りに。凶器は氷柱、魔術の氷柱。それを生み出せるのは火属性の魔術師。高位のそれだ」
「……」
「それほどの条件が満たす人物がいたのか?」
「……」
「いたんだよ。たったひとりだけ」
「……それは」
「残るのは、たったひとり──」
グリフィスさん、当人。
「それが俺の推理だ」
「でも、それは──」
ありえない。そう言おうとした。
自分の背に氷柱を寸分違わず突き刺すなんて、そんなことは不可能だ、と。
「『不可能なことを消去していけば、最後に残ったことがいかに奇妙であっても、それが真実である』」
「────」
「細かい表現については意見の違いがあるだろうけど、大筋では変わらないと思う。何百年と前から伝わる、俺のせか──いや出身地の、偉大な探偵の言葉だよ」
強い、言葉だった。
その人物がどれほどの探偵だったのかはわからないけれど、その言葉の重みだけは、強く伝わってくる。
「とはいえ、流石にそれだけで『グリフィスは自殺だった』と決めつけるわけにもいかないよな」
「まあ、それはちょっと無理があるわよね」
「だからある程度以上は流れを確かにしておかないといけないわけだけど──ここで、ふたつの事実を思い返してくれ」
「ふたつの、事実……」
エイブリーは言っていた。
グリフィスは加護をもっている。ハーシーのそれとは違い、とても強大な加護なのだと。
ロム爺さんは言っていた。
グリフィスには仕事を手伝わせていた。遠方の金持ちにお求めの品を届けるのがそれだ、と。けれど、グリフィスが何日も帰らないようなことはなかったという。
「これは完全に推測というか当てずっぽうであって、根拠もないようなものなんだけど」
そう、スバルは苦い顔をする。
聞いたところによれば、彼の出身地の読みものでもそういった能力が扱われていたのだそうだ。
「グリフィスの加護とは、瞬間移動のことなんじゃないか」
と、スバルは自身が考えたことを述べた。
瞬間移動。
しかしそれだけでは、この事件を説明できないように思うのだけれど。
「瞬間移動というよりは、座標移動と称したほうがわかりやすいかな。いや、ムーブポイントというルビが振られるそれではないけど」
「……?」
「なんていえばいいのかな。ある地点があるとする。その地点、つまり座標の位置をしっかりと認識したうえで、そこにあるものを移動させる、っていうこと」
「……なるほど」
グリフィスがかつてなんでも屋をしていたことも、その推測の一因だとスバルは言う。
「あちこちを飛び回っていたグリフィスなら、遠方の座標もぼんやりと把握できる。その経験を活かして、なんらかの手段で連絡をとりながら、物品を輸送したんだと思う」
「……けっきょく、それがどう関わるの?」
「つまり、グリフィスは自分の背中を座標に設定したんだよ」
「……え、っと」
「グリフィス自身が生み出した氷柱は、その加護により彼の背中に移動して──突き刺さる」
細胞を破壊し、組織を断裂させ、皮膚や血管を切り裂き──しかし背中を貫通することはなく、想像したとおりの位置に、氷柱が現れる。顕現する。
「動機は不明だ。こればっかりはさっぱりわからない」
「自分を殺したくなる、動機……」
それは想像できなかったけれど、ともかく。
グリフィスは自殺だったということに、ふたりの認識は決着したようだった。
◆◆◆
「次に、ハーシーの死についてだけど」
と論を移したスバルは、しかし矛先を変えた。
「この件で不思議だったのは動機だ。グリフィス以外の三人は他者との繋がりをほとんど絶っていた。三人の中に限っていえば、その間には信頼と親愛だけがある。到底殺されるようには思えなかった。でも」
「でも?」
「グリフィスを自殺だと推定すれば、見えてくるものがある」
グリフィスは、三人にとって誰よりも大切な存在だとハーシーは言っていた。
「そのグリフィスが自殺だった。それが不名誉だと、ハーシーが考えたとしてもおかしくはない」
「けど……」
「そして、その事実をハーシーは知りえた。なぜなら彼女はグリフィスの後ろを歩いていたからだ」
「……」
商い通りの中央で彼が自殺を敢行した理由は不明だけれど、それをハーシーが見ていたとして、不自然になるところはない。
「もちろんチェイスも同様で。だからこそ、あの三人はすぐに名乗り出てこなかった。『これからのことを話していた』──という言葉に嘘はなかったんだと思う。ただし、その意味は違っていたけれど」
「そして三人は、そのことの隠蔽を決意した……」
「──でも、その直後に俺が現れた」
探偵を名乗る、ナツキ・スバルという少年。
「いかんせん、中途半端に達者なロジックを披露してしまったということもあるんだろう。彼らの警戒は一気に高まった」
最終的には見破られてしまうのではないか──そう考えた可能性はおおいにある。
「誰が言い出したことかはわからない。事実だけを推測するならば──」
連続殺人に仕立てあげよう、と。
「彼らは決断した」
たとえ、自分たちの命を犠牲にしたとしても。
そうして生み出されたのが、あの密室だった。
「部屋の出入口はふたつ。窓と扉。しかし窓は塞がれている。扉の前には棚があった。ハーシーが刺されたあとに設置するには、それなりに重い棚が」
『針と糸』の可能性は否定された。他のしかけの痕跡はなく、余地もない。早業殺人でもなく、死亡が推定されるのは深夜である。ハーシーが刺されたのは、その棚が設置されたあとだった。
「ハーシーもまた自殺だ」
「手法は加護、でいいのかしら」
「認めたくはないけどな」
苦々しい表情。
ハーシー自身が語りて曰く、彼女の加護は、風属性の魔術師であれば容易に再現できるという。
「ナイフを浮かせるくらいはできたんだろうな」
正確な予想は不可能でも、その加護によって可能な事象の推量はできる。
「事情聴取の段階で、俺が加護の類に疎いということは明らかになっていた。加護があれば、背中に刃物を突き刺すことはたやすいと誰にでもわかる」
けれど逆に、加護のことを知らない人間は、背中に刃物が突き刺さっている屍体を見たとき、他殺だと判断する。
「奇しくもグリフィスの事件が、そのことを補強してしまっていた」
スバルは加護に疎く、エミリアは俗世に疎く、シャルガフは殺人に疎い。
対するこの家の住人は、かつてはなんでも屋を営業しており、現在は裏の世界に暮らしている。
明確な知識と経験の差が、そこには存在していたのだ。
「凶器は、食後のデザートとしてエイブリーが持ちこんだナイフ。それを手にしたハーシーは、機会を見計らって、扉の前に棚を置くと、自死を決行した」
現場は真の密室だった。なぜなら、自殺だったから。
「最後の事件に限っていえば、ほとんど言うことはないよ。シャルガフの分析は非常に的確だった。ゆいいつ、事件を見逃してしまったことを除いては」
彼の証言を振り返る。
「外部犯を警戒していた彼は、故に内部の犯行には気づきにくかった。それを利用して、という意識が犯人にあったかはわからないけど、そいつは行動を起こした」
自室を出て、もうひとりを連れて階下へと向かう。
「その途中、物置に寄って縄を手にすると、それをシャンデリアに結びつける」
ふたりで協力すれば可能だっただろう、と。
その一言で、エミリアにもスバルの考えが知れた。
「そうして準備は整った。あとは不可解性を演出すればいい」
体格、筋力ともに劣るチェイスがエイブリーを撲殺するには、どのような方法を採ればよいのか。
その答えは単純だ。
被害者の側が、加害者に協力することである。
「エイブリーが軽く屈んだところに椅子を振り下ろす。もちろん、一撃では亡くならない。その隙でエイブリーは、自身が不意をつかれたように装うように移動する。あとはシンプルだ」
殴り、殴り、殴る。
「近くにいたシャルガフに悲鳴が届くようなこともなかった。エイブリーが協力していたからだ。ことを済ませると、チェイスは自らも首をくくった」
こうして、完成したのだ。
チェイスという連続殺人鬼が、自らに関わる者すべてを殺害したのち自殺したという、一連した事件が。
「チェイスは俺に口止めをし、最後の事件の段階ではこの家から離れさせると同時に、後始末も依頼したかったんだと思う」
「不可思議に見えるさんグリフィスさんの死に、なにか解釈を施す、ってこと?」
「そういうことだな」
ともあれ──と、スバルは静かに、
「これが俺の推理する、事件の全貌だ」
「…………」
ふう、とエミリアは息をつく。
呑まれていたのだ。
さて、という宣告以来の、スバルの探偵としての本領に。
これですべてが解決したのだ、という、それは溜息で──
「というのが、表向きの推理だよ」
その溜息はすぐに収まり、エミリアは息を止めた。
「────」
言葉はすぐには出てこない。
心に沈んでしまっている。
混乱。錯乱。
呆然。唖然。
「え──、っと、ちょっと、スバル──」
ようやく言葉を絞り出し、彼の真意を問いただそうとするエミリア。
と同時に、この家の戸が叩かれる音が大きく響きわたり。
「……お、シャルガフが戻ってきたみたいだな」
するりと逃れるように、スバルはそちらへ迎えにいってしまい。
エミリアの疑問は、誰にも受け止められることなく、空白の中へと立ち消えていった。