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第二幕5『ふたつの屍体と』




 エミリアの視界には、ふたつのそれが入っていた。

 ひとつは縦に、ひとつは横に。

 ひとつは大地に垂直で、ひとつは地面に寄り添うように。

 ひとつは青くて、ひとつは赤く。

 どこまでも正反対に思える、それは屍体だった。


 ひとつ──エイブリーの屍体は、床に横たわっている。両手を広げて両脚を閉ざし、背中を大気に晒した状態である。

 頭部には裂傷。そこから流れ出たであろう血は新鮮な真紅を示していた。開かれた瞳孔に宿るのが憤怒であるのか哀切であるのかというのは、実際に彼が命を喪っていることと比べれば些末なことだろう。


 もうひとつ──チェイスの屍体は、頭上のシャンデリアから吊り下げられている。首を、吊っている。

 両手両脚をだらりと下げて、閉じた瞳はなにも語らず。首に巻きつく縄はシャンデリアへと続く。そして、その手を紅く染める血が、とあるひとつの疑惑を鮮明にさせていた。


 それらの屍体のすぐ傍にはふたつの椅子が転がっている。一方はチェイスの足元に、他方はふたつの屍体から同程度の距離に。片方は、まるでチェイスが蹴り倒したかのようで。他方の脚先は血濡れていた。

 椅子はおそらくこの部屋──グリフィス宅の広間にあったものだろう。そう思われはしたけれど、確証があるほどに調査をしたわけではないため、単なる推定だった。

 見渡す限りでは、他に異常はない。ふたつの屍体、ロープと椅子、絨毯を湿らせる血。それだけが、白昼に起きた事件による変化といえるものだ。


 否、それらだけではなく、最後に。

 ──ナツキ・スバルは、それらの屍体の眼前で項垂れていた。入室してそれを目にした直後から、である。エミリアたちが話し合っていたときも、シャルガフがここを去ったのちも、それは変わらない。

 彼は目を伏せていて、なにも喋ろうとはしなかった。その眼がなにを見つめているのかはわからない。対象が屍体だろうと床だろうと、スバルの背後に立つエミリアにはそれを知ることができなくて。その勇気も、なかった。


 この部屋でなにが起きたのか。

 証言できる人物が亡くなっている以上、正確にそれを知ることは不可能だ。状況から、チェイスがエイブリーを撲殺し、自らも自殺したのだと──そう推し量ることはできる。しかし、それが確かな事実だと示すことはできないのだから。


 けれど、ひとつだけ。

 たったひとつだけ、確かに述べられることがある。

 あのとき。

 この広間に入って、ふたつの屍体を目に入れたとき──、

 確かに、ナツキ・スバルは言ったのだ。



 やっぱりな、と。



   ◆◆◆



「残念ながら──私が少しここを離れている間に、すでに現場はこうなっていました」


 やっぱりな、との一言を残したきり黙りこんでしまったスバルの様子を窺いながらもシャルガフが話してくれたことをまとめると、次のようになる。


 第一に、スバルたちふたりがこの家を出たのちのこと。


 ふたりが家を出た理由は昼食のためである。そのことはすなわち、シャルガフたち衛兵の側もいずれは昼食に出なければならないということを意味する。もちろん、スバルたちが戻ってから留守を頼むという手もあるにはあるのだけれど、その手段にはひとつの懸念があった。


「ナツキさんたちがいつお戻りになるのか──それがわからなかったのです」


 昼食を終えてすぐにふたりが戻ってこられるのならば構わないが、もし昼食のついでとしてなにかしらの調査を行ってくるのであれば、そういうことにはいかなくなる。そして実際に、スバルたちは調査──犯行時刻における現場の様子の確認──を行っているのだから、その懸念は正しかったといえるだろう。

 そんなわけで、昼食をとるにしても誰かひとりは残らなければならない、という判断がなされた。シャルガフがそのひとりとなった、というわけである。

 ちなみに、この時点でエイブリーとチェイスは昼食を済ませていたという。


 第二に、シャルガフを除いた衛兵たちが家を出たのちのこと。


「といっても、ひとりだけでできることなどたかが知れているのですけれど──」


 本来、衛兵が行うべき業務はみっつ。

 連続殺人の危険性に基づく関係者の保護。グリフィスおよびハーシーの屍体の腐敗を防止すること。そして、事件の真相の解明であった。

 これらのうち、最後のものに関してはスバルの協力を要請しており、家を離れられないシャルガフに可能なことは思考しかない。よって、スバルの帰還までに率先してなにかをする必要はないといえた。

 続いて、連続殺人から関係者を保護すること。これについては、連続殺人の危険性が高いとしても流石に白昼堂々殺人を犯すことはないと推測された。エイブリーやチェイスも当然ながら無力ではなく、万が一襲われたとしても抵抗の物音によって気づくことができるだろう──と、考えたのだ。


「実際には、それが命とりとなったわけですが」


 そして残るのが屍体の腐敗の防止であるが、ちょうど時間帯は昼時だった。これから気温が上がっていくだろう時間、屍体を放置しておくのは流石に不安である。故にシャルガフは、スバルが戻るまでの時間をグリフィスの部屋で過ごすことにした。

 ふたつの部屋を同時に見守ることはできないので、エイブリーとチェイスにはときどきハーシーの部屋の様子を見るよう言い含めたという。異変があったら呼びにきてください、と。それだけでなく、衛兵詰め所から深夜に持参した魔法器のひとつを設置しておいて、シャルガフはグリフィスの部屋に入った。

 すぐに魔法器の残りのうちひとつを設置して、一応の対策は完了したそうだ。


「ただし、その魔法器には室温を若干下げる程度の効果しかありませんでした」


 それだけでは不安が残るため、ふたりにハーシーの遺体の様子を見させて、自身はグリフィスの部屋に籠ったのだろう。

 以後、彼はほとんどその部屋を出なかった。思索にふけっていた、というのもあるらしい。昨昼からの疲労を多少は和らげる、という目的もあったのだとか。そしてなにより、部屋を出る必要性をあまり感じていなかった、ということが挙げられた。

 この家の一階から二階へと上がる手段は階段しかなく、そのすぐ傍にあるのがグリフィスの私室である。つまり、エイブリーおよびチェイスの部屋へと向かうには、グリフィスの部屋のすぐ傍を通らなければならない。それ以外では、広間から吹き抜けの部分を跳んでいくくらいしか方法はないのだ。

 よって、もし何者かがふたりを害そうとしているとしても、行動がなされる前にシャルガフに気づかれるはずだと判断できた。


「それが、最大の油断だったのですけれど」


 思い返してみればわかることではあったのだという。

 誰かが階段を上ってきたのならばすぐに気配を感じられる、と彼は考えていた。足音、および呼吸などの気配からである。シャルガフも仮にも衛兵の一員であり、その程度の判断はできるはずだった。

 しかしながら、まず後者からいえば、呼吸を短時間止めることくらいはたやすいことだ。衣擦れ等々の微細な音も、気を配れば最小限に抑えられる。そしてそれほどに小さな音ならば、シャルガフ自身の生活音に埋もれてしまうだろう。


「足音については、実際に見てもらったほうがよいのでしょうが──」


 端的にいえば、あの場では存在しようのないものだったのだ。

 そのことを彼は失念していた。


 二階の廊下に限ったことではなく、この家の床のほぼ全体には絨毯が敷かれている。それも安物ではなくて、在りし日のこの家の主を想像させるような、高級で柔らかいものである。その絨毯によって、足音は吸収され消えてしまう。

 もし犯人がその上を通ったとしても足音などはなく、生まれるのは絨毯の毛が擦れる音のみ。シャルガフの生活音によってそれが埋もれるというのは、先述したとおりであった。

 結果論としていうのであれば、シャルガフの意識が階段を上がってくるであろう人間に向けられていたのも大きいだろう。あくまで彼の想定、そして警戒は、外部犯に対するものだったからだ。内部犯の可能性を少しでも考慮していたら、多少なりとも気づくことができたかもしれない。


「などというのも、終わったからこそ言えることなのですが」


 ともあれ、シャルガフがそれを知ることができたのはしばらくしてからのことだった。

 定期的に入退室を繰り返していた彼の間隙をついて犯行は行われた。次に彼が部屋を出たとき、その視界にはチェイスの姿が映り込んでいたという。玄関へと面を向け、すなわちシャルガフには背を向けて、首を吊っているチェイスの死に姿が。

 不意を打たれて言葉を失うシャルガフの目に、続いて横たわるエイブリーの屍体が入ってきて──、

 そうして彼は、自らの不覚を悟った。


「その後は、なるべく現場を保存するために動いたつもりです」


 二階の、玄関側の三部屋と反対側のふた部屋が無人であることを確認し。一階の、食堂や洗面所も無人であることを確認して。要は家全体がもぬけの殻だということを確かめてから、家の前に居座ったという。

 シャルガフがそこを見張ってから、スバルたちが帰ってくるそのときまで、この家の中にいた人間はひとりもいない──。



   ◆◆◆



「……と、長くなりましたが、こんなところでしょうか」


 そう結ぶと、シャルガフは改めて居ずまいを正した。意見を求めるかのようにエミリアを、あるいはスバルを見る。

 しかし、対するエミリアとしては言葉がなかった。彼の話は筋道が非常によく立っていて、素人の彼女には指摘するような点がないのだ。


「じゃあ──」


 とはいえ、黙っているわけにもいかない。よってエミリアはその指を伸ばした。指し示すのは屍体──ではなく、その上方の縄である。


「──とりあえず、この遺体を下ろしたほうがいいと思います」

「それはそうですが……、現場保存などをしたほうがいいのではないでしょうか」

「そういうことは私にはよくわからないですけど……」


 スバルは黙りこくったまま、目線を地に向けている。


「たぶん大丈夫、だと思います。このままだとかわいそうですし」

「わかりました。では、確かエミリアさんは火属性の魔術を使えるとおっしゃっていましたよね? すみませんが、それで縄を切断していただけませんか」

「はい」

「縊死したあとの人体はいろいろと垂れ流すと聞いていますが、それを含めて屍体を下ろすのはこちらが担当しますので」


 そう言ってシャルガフが吊り下げられたチェイスの下に近寄ったのを認めてから、エミリアは軽く手を振った。瞬時に形成された氷刃が、縄を寸分違わずに音もなく切り裂くとあっさり霧散する。垂直落下する遺体をシャルガフが受け止めて、わずかに静止したのち、少しだけ空間を作りながらもエイブリーの隣に横たえた。

 その間は数瞬。パックを呼ぶ必要がないほどに単純だったそれは、もはや作業だった。死者への冒瀆という言葉が頭をよぎったものの、それはシャルガフの黙想を目にして消失する。


「ふむ」


 数秒して目を開いた彼の動作につられて、エミリアもシャンデリアを見上げた。さきほどまで屍体によって遮られていた、というわけではないけれど精神的な壁があったそちらには、切れた縄の根本がある。

 エミリアには経験がないため正確にはわからないけれども、その縄は見た限りでは両端で輪を作っているらしい。複雑な結び方によって。一方の側は切断され、屍体の首を囲いながら地に落ちており。他方、チェイスの重みを支えていたであろう側は、しっかりとシャンデリアに結ばれていて──、


「ところで」


 まっすぐそれを見つめながら、シャルガフは誰にというわけでもなく問うた。


「あの縄はどうやって結ばれたのでしょう」


 その問いに対しての解答をエミリアはもっていない。よって彼女は黙していた。おそらく彼にとってもそれは独りごとだったのだろう、疑問を反復することはなく彼は視線を戻して、エミリアと目を合わせる。


「申しわけないのですがエミリアさん、しばらくこの家で遺体を見ていてくださいませんか?」

「構わないですけど、シャルガフさんはどうするんですか?」

「用事はふたつです。衛兵ふたりを呼び戻すことと、詰め所へと連絡をとること。後者に関していえば、こうも屍体が多くなってしまったからには、正式な設備のほうで保存しなくてはならないでしょう」

「なるほど」


 そういうことならば、エミリアにも異存はなかった。遺体を放っておけないと言ったのも彼女の側だったし、スバルの様子が変わらない限り彼らはここに残る必要があるからだ。

 その旨を伝えると、静かにお辞儀し礼を述べてシャルガフは去っていった。

 残されたのは、ふたりと一匹。

 いつの間にか現れ出ていたパックは、口を開くことなく。

 そして、長い沈黙を経て。


「……スバル」

「…………」


 エミリアの声かけに、ナツキ・スバルは答えない。

 床を見つめたまま沈黙を貫く。けれど、その意識は若干エミリアたちに向けられている気がして。


「……スバル?」

「──、悪い」


 再度の呼びかけに、ようやく彼は返事をした。挙げられた顔は苦笑いのような、ばつの悪そうな表情を貼りつけている。おぼろげな視線が、エミリアとパックの中間のあたりでさまよう。


「ちょっと覚悟が決まっていなくてさ」

「……覚悟?」

「そう、覚悟だ──」


 悪いけど、とスバルは言った。

 その覚悟を固めるために。


「少しだけ、昔話につきあってくれないか」

「昔、話って……どんな」

「たいした話じゃない。別に、これが真相と関わっていたりはしないよ。単なる、昔話だ」


 そうして、彼は語り始める。


「菜月昴という探偵を物語るうえで枢要となるのは、ただひとつのエピソードだといっていい。──」



   ◆◆◆



 ……。

 …………。

 ………………。



   ◆◆◆



 それはありふれた物語だった。

 ある日小さな夢を抱く少年の話。

 夢へと努力するひとりの少年の物語。

 そしてついにそれを叶えた、ナツキ・スバルの半生。


「……その挫折については、悪いけど割愛させてもらう。まあともかく──それが理由だよ」


 最後にまとめるようにして、スバルはそうしめくくる。


「犯人はわかっていた。最初から。明白にそれを俺は知っていた──」


 やっぱりな、と彼は言っていた。


「──けど、でも」

「……でも」

「その挫折を経ていた俺は怖かったんだ。不用意な推理をしてしまって、また誰かが亡くなることが。自分の推理が犯人を刺激して、不要な人死にが出てしまうことが」


 怖かったのだ、と。

 そう呟く彼の表情は窺えなかった。


 同時に思い返す。スバルが、自分は引きこもりだと言っていたこと。しばらく事件とは関わっていないということ。

 彼がいうところの『挫折』が、それらに関わっているのかもしれない。


「もっとも、この事件に限っていえば、推理を話さなかったのは頼まれていたからなんだけど」

「頼み、って……誰の?」

「チェイスのだよ。曰く、『これは僕がケリをつけないといけない事件だから』、と」


 エミリアから離れている間にそう言われたのだろうか。その言葉の意味は、現状によってはっきりと理解させられてくる。『ケリをつける』というのが、果たしてどれほどの意味をもっていたのかということが。


 けれど、


「それもさっきまでのことだ」


 ナツキ・スバルは顔を上げる。


「結果としてみれば、俺が推理を語らなかったことでふたりは死んだのかもしれない。チェイスの要請に従ったのは間違いだったかもしれない。そのことについて整理はできてる、と言ったら嘘になる。けど」


 強い意志を湛えた瞳で。


「今俺にできることは他にあるから。後悔をしてる場合じゃなく、IFを語る場合でもなく。関係者が皆亡くなってしまった以上──」


 彼は明確に宣言した。


「──推理するのが、俺にできる唯一のことだ」


 そして、紡ぐ。

 その言葉を。


「さて」


 と──

 ひとりの探偵が、その存在を世界に表明した。






次話は明日の22時、その次は明日の23時になります。更新チェックの一覧から最新話に飛んでいる方はご注意ください。

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