第二幕4『会話と証言、そして思考』
「……と、注文の品はこれで全部だね。ま、ごゆっくりしていきなよ」
「ありがとうございます」
「さて、食べるとするか。いただきます」
「えっと、いただきます」
「…………」
「…………」
「……うん、朝ご飯を食べていなかったせいかいつもよりおいしく感じるな」
「スバルったら、伝令さんがくるとすぐにすっ飛んでいっちゃうんだもの」
「すっ飛ぶってきょうび聞かねえな……いや、それはともかく、初動捜査は肝心なんだよ」
「そういうものなの?」
「ああ。証拠の中には時間とともに劣化してしまうものもあるんだ」
「確かに、いつまでも変わらないままっていうわけにはいかないものね」
「そうだな。たとえば、記憶も同様だ。時間が経つにつれて少しずつ、劣化していく──薄れていく」
「だから急がなくちゃいけなかった、ってことね」
「うん。とはいえ結果はあのとおり。役立つ証言は得られなかったけど」
「そういえば、けっきょくあの、密室……でよかったかしら?」
「現場のことなら、それで間違いないよ」
「で、その密室……っていうのは、実際どういうものなの?」
「うーん……正確な定義があるわけではないけど。簡単にいえば──というか、状況を見ればわかっただろうけど──鍵がかかった部屋のことだ」
「でも、あの部屋は鍵がかかっていたってわけじゃなく、単につっかえがされていただけよね」
「もちろん、狭義ではそうだというだけさ。もっと範囲を広げて話すなら、たとえばこの事件のように扉を開かないようにしているものも、扉自体は開く状態であっても視線により見張られていたという場合でも──その場所に被害者以外は誰もいられなかった、ということを意味する」
「ふうん……」
「そして、その逆のパターンもあるわけだ。人には入れずとも機械には入れた。いや猿には、否犬には、そうではなく鳥には、いやいや蚊には、あるいは空気、果てには微生物──それほどまで細かく穿って考えると、そもそも完全なる密室なんて存在しない。そう宣う人も、いるのさ」
「なんていうか、大変なのね……」
「そうかもしれない。でも同時に、これほど頼りになる考えもないんだよ。『完全な密室なんて、存在しない』。どこかに必ず穴がある。その穴を探るのが、俺のような探偵だったりするわけだ」
「…………」
「ま、難しいことを考えるのはやめようぜ。せっかくの食事なんだから、楽しい話をしよう。そういえば、昨日から気になっていたんだけど、パックは食事を食べる必要があるのか?」
「ボクが言うのもなんだけど、それは楽しい話題なのかな……?」
「あれ、パックじゃないか。いつの間に」
「流石に自分の話題ともなれば、顔を出さないわけにはいかないからね」
「そうかそうか。で、けっきょくのところどうなのさ。一介のモフリストとしては興味を抱かずにはいられないぜ」
「まあ、必要はないね。これでもボクは大精霊──食事は物理的なものではなく、魔術的なものになる。食べられないわけじゃないけど」
「そんなものか」
「うん。食事は一種の娯楽でもあるから」
「確かに。ならついでに訊くけど、精霊使いの素養ってのは見てわかったりするのか?」
「だいぶ話が飛んだわね」
「そうか? 精霊と協力したりできるっていうのは男の夢のひとつだからな」
「まあ、微妙だね。ボクにはぼんやりとわかるけど、少なくともリアになわからないよ」
「なるほど。で、どうなんだ?」
「…………いや、こういうことは本人に言わないほうがいいだろうからね。遠慮しておこう」
「……パック当人に言われてしまうとどうしようもないな」
「うん、それはこれから先のお楽しみっていうものだから」
「そうそう」
「代わりといってはなんだけど、あのふたり──青髪と黄色髪のふたりには、結構精霊使いの才があるね」
「……それを俺に言われてもなー」
「いや、気になるかと思って」
「流石にほとんど関わりのない人のことを知らされても……、いや、捜査の関係上はその程度のことであっても知っておくべきか……?」
「悩むことなのかしら」
「……その情報は、きっと君の糧になるだろう」
「そんな重々しい言い方をされても困るけどな」
「困ることなのかしら?」
「とはいえ、素養も重要ではあるけど、実際のところもっと重要なのはその先だからね」
「先っていうと、どんな精霊と契約するのかってことか」
「確かに、パックみたいにすごい精霊はそんなにいないものね」
「褒めてもなにも出ないよ?」
「めちゃくちゃ嬉しそうだな……」
「……こほん。うん、要はそういうことだね」
「まあ、そのとおりではあるよな。自分に高い適性があるうえ、それを活かせるくらい強い精霊と出会うこともできるっていうのは。いくらなんでも期待が大きすぎる」
「そして適性があったところで、それを活かす相手がいなければ意味はないからね」
「……で、けっきょくのところ俺の才能はどんなものなんだ?」
「……君も諦めが悪いなぁ」
「そりゃ、気になるものは気になるからな」
「しかたがないから教えてあげようか。──実はあの家の近くには、かなりの実力をもった精霊がいる」
「…………いや、それはだから関係ないって──」
「そうこうしているうちに、もう食べ終わったみたいだね」
「うん、私はもう出られるけど……」
「……今度絶対に教えてもらうから覚えておけよ、パック」
「はいはい」
「さて、ごめんくださーい」
◆◆◆
「──できたら、もう一回昨日の話を聞かせてもらいたいんだけど」
頃合を見計らって、スバルはそう切り出した。対する、その女性──王都内某食堂の女将は、さして気負うことなく笑う。
「構わないよ。なんでも訊いてくれ」
答えながらも手の動きは止めることなく、ついさきほど受けとった硬貨を棚の反対側で整理していく。他方スバルの傍では、お金の入った、ラムから預かった袋をエミリアがしまうところだった。
「じゃあ、とりあえずは確認から──」
グリフィス、エイブリー、ハーシーおよびチェイスと思しき人物を見たのか。その証言に確信をもてるか。
ふたつの点を質してから、スバルは続ける。
「で、その四人がそれ以前にこの店を訪れたことはあるか?」
「ああ」
間を置かずに女将は返答して、
「ときどき──おそらく、仕事の関係だろうね──ご飯を食べにきていたよ。よく覚えているさ。もちろん昨日言ったように、黒髪の人が好みだったっていうのもあるけど──」
そこでいったん沈黙を挟んだ。目線をわずかに上向ける。
「──わりと深刻な話をしていたからね。王国の行末だとか、『剣聖』の家での確執だとか、魔女教の脅威だとか、王都での犯罪数だとか。どこでそんな話を耳に入れてくるんだろう、ってくらい、深入りした話を」
「ということは、昨日も彼らはそういう話をしていたのか?」
「そのとおり。といっても昨日は繁盛していたから、具体的にどういうことが話題に上っていたのかはわからないけどね」
「そうか……」
訊くべきことは訊き尽くした、と判断したのだろう。礼を述べたスバルは首を店内へと振り向けた。過度な装飾が少なく質素な、庶民的といった雰囲気を醸し出す食堂。ちょっとお昼どきだということもあるのか、その中は多くの人々で賑わっている。
そちらを少しだけ眺めて、スバルは踵を返した。
食堂を後にすると商い通りに出る。当然ながらそこは昨日と同様に混雑していた。その混雑の中を、スバルたちはしばらくの間歩いた。左右の商人から声を投げかけられ、前後の通行人と衝突しかけたりすれ違ったりしながらである。
日はすっかり高く昇っている。朝と比較して熱気を増した雑踏は、おそらく犯行当時と似ているであろう状況を呈していた。スバルは黙りこんだままだ。エミリアもその横を、黙って歩いている。
スバルはなにも語っていないけれど、彼の目的を推し測ることはたやすかった。時刻も場所も、グリフィスが死んだときと同じなのだ。犯行時の現場の様子を検証するため、とみるのが妥当だろう。
そして、スバルでなくともわかることはあった。さほどの智恵を働かせなくとも、現場にくればわかることが。一応はこの場所の近くにいたエミリアにはその経験から推測できることでもあったけれど。
商い通りは酷く混み合っている。今日の朝早くや昨日の夕方と比べれば、それは顕著だ。誰かとぶつかりやしないか、と懸念するほどに。身の振り方にも難儀するほどに。要は、この混雑のながらで他人を害しようとするならば、周囲に気どられる危険は非常に大きいのだ。
グリフィスは氷柱によって死亡したと推定されている。同時に、犯行現場と時刻は確定的だ。すなわち、ちょうど今頃の、このあたりである。では、こんな状況のさなかで、部外者に気どられることなく氷柱を突き立てられるだろうか。
──不可能だろうと結論づけるのは、無理のないことに思えた。
単に氷柱を魔術によって展開するだけであれば、一応は可能かもしれない。偶然、この人混みに空白地帯が生じることも、なくはないといえる。たまさか何者かが注目を集めて、犯人へと視線がなくなることがあっても、おかしくはない。しかし、それらの偶然が積み重なるなんていうことは、到底ないだろう。
……と、いうようなことをスバルが実際に考えていたかはわからないけれど。不意に立ち止まると、彼はかぶりを振った。
「いや──ここでこうして考えてばかりいても、どうにもならないか」
食堂を出てから、少し長めの時間が経っている。スバルのいうところの『一時間』にはほど遠いものの、グリフィスたちの家を後にしてから、という観点ではだいぶ時間が経ってしまっていた。
「とりあえずは戻ろうか。かなり長く空けてしまったからな」
「そうね。シャルガフさんたちも、まだご飯を食べてないかもしれないし」
スバルの提案にエミリアも賛同する。幸いというべきか、今彼らがいる場所はグリフィス宅からそう離れていなかった。
煩雑な人混みを真っ向から横切り、路地に入る。通りの表とは打って変わって薄暗い中を進んでいく。
入り組んだ道を曲がり、折れ曲がり、右折し左折して。そうして歩いていった先に、立派と形容できなくもない建物は構えている。
その玄関の前に立つ人影を見て、名状しがたいような、厭な予感に襲われた気がした。
その予感は、すぐに証明されてしまうことになる。
連れ立って戻ってきたふたりを視認したシャルガフは複雑な表情のもとに口を開いて、
静かに、言った。
「──また、亡くなりました」
◆◆◆
そして──
突然に。
唐突に。
それをそれとして、意識させることもなく。
それがそれだと誰かに気づかれるより早く。
ナツキ・スバルの虚勢は、呆気なく崩れ去った。