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第二幕3『密室』




「──さて、これからいわゆる現場検証ってやつを行うわけだけど」


 ハーシーの部屋へと戻ってくると、スバルはそう口を切った。片手にはラムから手渡された袋を提げている。


「その前に今朝の事件を振り返っておこうか。まず当然のことながら、被害者はハーシーだ。死因は見る限りでは刺殺だけど、これは正式名称ではなく以下略。凶器はナイフで、その出自はわからない。もしかしたらこの家のものだったりするかもしれないな」


 残るふたりは屍体に近づいておらず、凶器を判別できる距離にはいなかったという。その可能性を否定することはできない。


「このことについては、伝令をしてもらった衛兵の人に訊いてもらっている。もちろん、そうするのは戻ってきてからだけど。ともあれ、凶器があのナイフだってことは明白だ。そして、一番の問題が──」

「この部屋が密室だった、ってことよね?」


 頷いて、スバルは空いたほうの手で部屋の隅に寄せられた棚を示す。


「──あの棚が、いわゆるバリケードとなって扉を塞いでいた。入室のときにわかっただろうけど、この部屋の扉は内開きだからな。おそらくかなり重いだろうその棚があれば、扉を開けることはとても難しくなる」


 実際に、シャルガフがそれを蹴破らなければこの部屋に入ることはできなかったはずである。衛兵として修練を重ねた彼ほどの実力が必要だったとは限らなくとも、ある程度以上の男手が不可欠だっただろう。


「で、屍体を検分した限りでは──俺の見立てがそれほど正確だとはいえないもこの──死亡推定時刻は、おおよそ日付の移り変わる頃。一方で、その時間帯にアリバイを持つ関係者はいないな」

「えっと、そのアリバイっていうものの意味がよくわからないんだけど」

「アリバイっていうのは、つまり現場不在証明──その時刻にその人物がその場所にいなかった、ってことだ。チェイスとエイブリーは眠っていて、三人の衛兵は別々の場所にいた。もっとも、そのうちのひとりはこの家から離れていただろうし、他のふたりも最初の事件でのアリバイは確実だろうけど」

「それで、バルス」


 滔々と語るスバルの話がひと段落ついたのを見計らって、ラムは苛立たしげに声をかけた。


「けっきょく、ラムに買い物までさせておいてこの部屋で何をさせようっていうの?」

「買い物まで、ってそりゃあ、俺もエミリアも一文無しだからな。雇い主から金もらってるラムに頼むしかないだろ?」

「だからといっても買い物までをラムがする必要はないわ。金さえあれば、たとえバルスにだって買い物くらいできるでしょう?」

「どっちにしろ、こっちだって事情聴取とかいろいろやっていたんだぜ? 初動捜査は大切なんだ。というか本来ならもっと待つことになると思っていたんだけど、伝令を頼んだ衛兵はずいぶんと急いでくれたみたいだな」

「確かにそれも事実だけど、これほど早くこられたのはラムが急いでいたからよ。──面倒なことは手早く終わらせるに限るわね」

「そうなのか……それは助かる」

「はっ、勘違いしないでほしいわね──バルスのためだなんて気持ちは、全くこれっぽっちもなかったわ」

「ツンデレに聞こえなくもないのに毒しか感じられないのは天性の才能だよな……」


 送った礼の言葉を嗤い飛ばされ、スバルは嘆息する。しかしラムの問いに直接答えたわけではない、と気づいて口を開き、


「ああ、どうして買い物をさせたのか、っていう話だったな。といってもたいしたことじゃないんだけど、要するに──」


 視線を鋭くするラムに圧されてか、いったん言葉を切ると、扉に近づいて指でとんとんと叩いた。


「現場が本当に密室だったのかどうか──それを、検証しにきたってわけだ」

「でも、どうやって?」

「そのためにちょっとした道具を持ってきてもらったんだけど──」


 言いながらスバルは、片手の袋を揺さぶる。


「でもその前に、論理的にありえない可能性を潰しておこう」

「そんなことができるなら、最初からやっておけばいいでしょう? これだからバルスは……」

「……会って一日も経ってないのにどうしてそこまで言われないといけないんだよ……」


 繰り返される毒舌に溜息をこぼしつつも。


「ともかく──密室殺人ってやつには、いくつかのパターン、つまり典型的な例があるんだよ」


 そう宣言した。言い足したのは、エミリアたちの表情に疑問が浮かんだためだろう。


「基本的に密室っていうのは、犯行が行われた時間にみっつの種類がある。部屋が閉ざされる前、密室状態のとき──そして、部屋が開かれた後、だ」

「開かれた後、って……?」

「とはいえ実際には、ほとんどの場合前者のふたつが当てはまる。後者のひとつは稀なんだけど、そのひとつっていうのが、いわゆる『早業殺人』ってやつだな」

「……」

「早業殺人──その名のとおり、早業によって形づくられる密室。その内容は単純で、鍵のかかった部屋に突入するというふりをして相手に近づき、なんらかの手段で意識を失っているその人をその場で殺す。それだけだ」

「あれ、でもそれって……」

「そう──この方法はありえない」


 ハーシーの殺害は深夜帯であり、その屍体が発見されたのは早朝だった。さらに、一応の容疑者であるところのふたりは、その屍体に近づいてもいない。


「故に早業殺人説は否定される。……まあ、今更こんなトリックが使われるなんてことは、よほどのはったりを効かせているような状況だけだろうけどな」

「確かに、少し注意深く観察されただけで露見してしまうものではあるわね」

「で、同じ理由から他のいくつかのテンプレート──典型的な事例も否定される。開かれた扉の裏とかベッドの下に隠れていたとかもないだろう。実は鍵がかかっていなかった! なんていうのも、そもそも状況からしてありえない。というか、屍体発見は関係者が全員揃ったときに行われているし」


 スバルは新たな説を打ち出しては、それを同時に否定していく。彼自身の言っているとおり、それらはあまりにも典型的──すなわちわかりやすい。わずかに意識を向けられるだけで容易に破綻してしまうものばかりだ。


「さて。死亡推定時刻を所以として部屋が開かれてからの殺人は否定されたわけだから、残りのふたつについて考証していこうか」

「残り……被害者が殺されたのが、部屋が密室になる前か密室になっている最中か、だったかしら」

「そうだ。まあ、複雑なトリックが用いられている場合はじっくり考えるか閃きを待つ必要があるわけだから、検証するのはあくまでよくあるトリックのことだけなんだが」

「……」

「実のところは、試そうと考えているトリックはそう多くない。というか、実験できるものといえばほぼひとつしかないんだ──たとえば」


 一息つきつつも指をひとつ立て、


「典型的なものとして、遠隔殺人がある。なんらかの機械的なしかけを用いて、部屋の外から対象の殺害──この場合なら、ナイフの射出とかだな──を行った、というトリックだ。しかしながらこの説には疑問点があまりにも多い」

「そのしかけとやらをいつ回収したのか……ということかしら」

「そうだとしても、外から扉を棚で塞ぐっていうのは無理よね」


 奇しくもふたりの返答が重なり、スバルはそれらのどちらにも頷く。素人の意見ではあるが、どうやら正鵠を射られていたらしい。


「第一、そんなものがあったらいくらなんでも気づくだろうってこともあるからな。とまあこんな感じで、真相をまっすぐ射抜いたような仮説でもないと、たいていの物理トリックは矛盾を抱えてしまう」


 そもそもこの事件に物理トリックが用いられたのかも定かじゃない、と言葉を続けて、


「とはいえ普遍的なものもあってさ。今から試そうとしているそれが、いわゆる──『針と糸の密室』ってやつだ」

「針と糸……ああ、そういうことね」

「……えっと、どういうこと?」


 得心がいった、とばかりに頷くラムを横目にエミリアは首を傾げる。遣わされていたラムとエミリアではそうした差が見られるのは当然のことであるからか、その反応はスバルも予測していたようで、


「ひと括りにしていえることじゃないけど、基本は変わらない。要は、針を利用して糸を扉に固定し、その糸を引くことで扉を閉める、っていうやり方だな」

「そしてラムが、そこのスバルに頼まれて糸や針の類を買ってきた……というわけです」

「あ、そういうことなのね」

「さて、それではそろそろ検証を始めよう、といきたいところだけど。この『針と糸の密室』に限っても、いくつか否定できることがある」


 彼の視線につられて、エミリアたちも扉へと視線を向けた。会話の中で幾度となく触れられている、木星の扉である。気づける範囲には異常はない。

 その扉を閉ざしたスバルは、


「これを見ればわかると思うけど──」


 言いながら扉の上方に指を触れさせて、


「──このように、見る限りでは傷はない」


 その指を下方へと滑らせていった。

 そう、気づける範囲には異常は、そして傷もない。


「このことから、この扉に針などが突き立てられたことがないってことがわかる。つまり、もしこの密室が『針と糸』によるものだとしたら、それ以外の方法が使われたというわけだ」

「たとえば……扉の取っ手に糸を巻きつけた、っていうのはどう?」

「それもありえるけど、その前に確認しておかないといけないことがある」


 エミリアの着想を流して、スバルは屈み込んだ。袋から薄い板のようなものを取り出す。


「部屋を密室にするには、当然室外から鍵をかけなければならない。つまり外から室内へと糸を通せるような隙間がないといけないわけだ」

「そこでその板を使って確かめる、ってこと?」

「慣習に則れば名刺を使うべきなんだろうけど、流石にそれはないからな」


 ゆらゆらとその板が振られた後、表面から側面を見せるように回転させられていく。その薄さはかなりのもののようだった。


「で、これをこうしてこうやって……」


 閉められた扉の下を潜り抜けるように、スバルはその板を動かした。足元のごくわずかな空間へと近づいた板は、滞ることなくそこを通り抜ける。


「というわけで、ある程度以上に薄い糸の類ならこの扉の下を潜り抜けられる。よって、次の検証に移ろうか」


 板を袋にしまうと、続いてスバルは言葉のとおりに糸を取り出した。


「ちょっと待っていてくれ」


 言って、扉を半分ほど開く。糸を輪っか状にすると輪の部分を反対側に送り、そこでふたりのほうへと振り返った。呼びかける相手はラムだ。


「悪いけど、ラムは向こう側に行ってくれないか」

「……この貸しは高くつくわよ」

「頼む」

「……はあ」


 やれやれ、とでも言いたげにラムは肩を竦める。そして半開きの扉を通り抜け、廊下に出た。面倒だと感じていることがありありと伝わってくる仕草ではあったけれど、いざスバルの指示を待つ段となっては、その顔は真剣そのものだ。

 彼の言を受けたラムは、扉の下を通された糸の輪を手に取ると扉を閉ざした。


「──さて、問題はここからだ」


 手元に残された糸の両端のうちの一方を廊下にすべて送り出すと、他方を手にしたままスバルは立ち上がる。


「これを使って、どうにかしてあの棚をこちら側に寄せないといけないわけだな」


 まずはエミリアの意見を検討しよう、と彼は閉まった扉の握り玉を指先で示した。


「この扉のドアノブは、いわゆるL字型になっている」

「えるじがた?」

「……要は、見てのとおりの形だよ」


 首を傾けるエミリアに軽く返答して、


「だから、糸の通し方としては二種類が考えられる」

「えーっと、扉に沿うように、と扉から離すように、ってことよね」

「ああ。早速順々に確かめていこう。まず、扉と平行に糸を引っかけた場合──」


 糸は扉の下方から部屋へ侵入すると上方へと転じ、取っ手で再び曲がって壁に向かっていく。


「あ、ちょっと持っていてくれ」


 そこでスバルは糸をエミリアに手渡し、棚に近づいた。引きずるようにして、それを扉の近くへ運んでくる。


「……ふむ」


 考え込みつつも、スバルは受け取った糸を棚に回していく。角ごとに直角に折れた糸は取っ手に帰り着き、そこで下方に進んだ。最終的にそれは扉の外へと終着する。


「つまり」


 室外のラムに糸が巻きとられていくのを視認して、立ち上がるとスバルは周囲をぐるりと見回す。その動作と呟きから、彼の言いたいことは察せられた。


「扉から離すように糸を曲げると、これとは反対の向きになるだけよね」


「だな。どちらも同じようなものってわけだよ」


 次に、外に口頭で指示が出される。それがラムに伝わってから、スバルはエミリアを促して扉を離れた。


「……よし、始めてくれ」

「じゃあ、引くわよ」


 合図に応じるラムの声とともに、糸がまっすぐに伸びた。このしかけによって棚を寄せられるかの実験、というわけである。

 糸がぴんと張ったのは確かだけれど、それだけで。棚は微動だにしなかった。


「やっぱり、無理だよな……」

「なら──これでどうかしら」


 思わずこぼれたのだろうスバルの言葉を聞きつけてか、なにかを抑えたようなラムの声が投げられる。それに続いて息を呑む音。そして糸がいったん緩み──


「────」


 声にならない気迫と同時、糸が再び張り詰める。先刻とは比べものにできないような力がかけられていて、けれど、棚はやはり動かない。


 しばらくして、糸が緊張を失った。

ラムが嘆息するのが扉越しに伝わってくる。


「……まあ、ある程度想像はついていたんだけど」


 口を開きつつも、スバルは扉に近づくとしゃがみこんで糸の一方を引いた。ラムが手を放していたためか、抵抗を示さずそれは戻ってくる。


「第一に、糸の向き。どう見ても曲がりすぎていて、滑車がないと力はあまり通じないだろう。まあ物理には詳しくないから、深入りはしないけど」


 設置した糸を迷うことなく回収し始めたスバルは言葉を続けて、


「第二に、棚が重すぎること。力の伝わりにくい、糸を引くという動作ではとても動かせないだろうな」

「けっきょく、犯人はどうやってこの部屋を『密室』にしたのかしら」

「さあな」


 投げやりに答えながら、スバルは糸を袋に入れた。次いで扉を開く。


「少なくとも『糸と針』は使われていないわけだ。でも、他の──そうたやすくは思いつけない物理トリックが用いられたって可能性もある」


 証明はできないけど、とスバルは両手を挙げた。降参、とでも言いたいのだろう。


「ともかく、今できる検証はこんなところだな」

「けっきょくはなにもわかっていないわね」

「わからないことがわかった、ってくらいだな」

「じゃあ、この後はどうするの?」

「そうだな……」


 棚を朝の位置に戻してスバルは考えこむ。ちょうどそのときシャルガフが顔を見せた。敬礼して、


「物置を捜索した結果をお伝えしに参りました」

「そうか……なら、あったものをひとつずつ言ってくれないか? なにがどう関わってくるのかも全然わからないし」

「わかりました」


 そうして、シャルガフが物置の中身を並べ立てていく。日用品、使い古された家具、雑紙、色褪せた盾。役に立つもの立たないもの。新しいもの古いもの、大きなもの小さなもの、厚いもの薄いもの。そして、


「細くて長めの糸はなかったか?」

「糸、ですか。なかったですね。代わりといえるのかは不明ですけれど、長い縄ならありました」

「縄か……グリフィスはなんでも屋をやっていたっていうから、そんなものがあっても不思議じゃないな。けど、けっきょく関係していそうなものはたいしてなかったわけか」

「それは残念です。ところで、これからはどうされるのですか?」

「ああ、それは……」


 言葉を続けず、スバルは視線を上げた。その先には魔刻結晶がある。ちょうど、それは蒼く染まったところだった。


「……切りのいい時間だから、お昼ご飯でも食べにいこうか。そういえば朝も食べていないことだしな」

「……まさか、ラムに一緒に行けというのかしら」

「そりゃ、俺もエミリアもお金を持っていないからな」


 なんてことのないようにスバルが答え、ラムはため息をつく。ともかく、次なる行動は昼食に決着したのだった。


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