第二幕2『事情聴取と屍体検分』
「まず、お決まりの問いから始めさせてもらうけど──『日付が変わる頃、あなたはどこでなにをしていましたか?』」
「ここで眠っていましたね」
軽くふざけたような質問に答えるチェイスは、無表情に近かった。懸命に感情を隠そうとしているようで、隠しきれていないような、そんな無表情だ。
「まあ、時間からすると妥当か……なら問いを変えよう。昨夜眠りにつくまで、なにをしていたんだ?」
「眠りにつくまで、ですか。どの時間帯から話せばいいのでしょう」
「とりあえずは、夕食の頃からでいいんじゃないかな」
「では前提からお話ししますと、我が家での食事は当番制、というか交代制となっています。昨日の夕食はハーシーが担当していました。ちなみに昨朝の食事はグリフィスさんの担当でしたが、それはさておき──」
そう語り出すチェイスは、彼自身の部屋で探偵と相対していた。スバルとしては階下の食堂でも構わないらしいけれど、チェイスがそれを望んだのだ。
「──夕食をとり始めたのが、地の刻に入ってから少ししてから。食事の時間は、あのときの昼食の時間の半分くらいだったでしょう。流石に食欲がなかったのか、ハーシーは早めに入浴すると、そのまま部屋にこもっていましたね」
「やっぱり、あの部屋は風呂だったのか」
「ええ。普通の家庭にはないようですけれど、以前の家主が普通の人間ではなかったようで。ハーシーの入浴後にいったん湯を抜いてから、またお湯を沸かすくらいの余裕はあるのですよ。ですので、僕とエイブリーが続けて入浴したのは、それからしばらく経ってからでした」
「その終わりが、だいたい地の刻の半分……って頃か?」
「はい」
頷く彼の表情はいまだに硬い。食堂ではなくここでの事情聴取を希望したのも、ハーシーの死という衝撃から抜け出せていないのかもしれなかった。
「そして、諸々の作業を終えて床に就いた──正確を期して言うのなら布団に入ったのが、地の刻から風の刻に移るまであと少しといえる頃。そしてそのまま眠りに入って、日付が変わるとき──ハーシーが殺された頃には、前述のように僕は眠っていました」
「寝ているときに、何か物音がすることはあったか?」
「特に憶えはありません。実際にそんなことがあったとしても、僕の耳には入らなかったのでしょうね」
「ふむ、ならその翌朝はいつ頃目を覚ましたんだ?」
「風の刻が終わりかけている頃ですね。起床して階段を降りるとエイブリーも起きていたので、もう朝食にしようか、ということになりました。それでハーシーを起こしにいったわけです」
「シャルガフもついていったよな」
「ええ」
短く答え、スバルの後方に控えるシャルガフに目線を向けたチェイスは、すぐに意識をスバルに戻す。
「部屋の前のたどり着き、とりあえず声をかけたのですが、返事はありませんでした。数回繰り返しても何事も起こらず、一応扉に手をかけて──しかし開けなかったのです」
「……」
「僕自身は訝しむことがなかったのですが、もう一度話しかけようか、と思ったところで衛兵さんに話しかけられました。曰く──『この扉に鍵はついていなかったはずです』、と」
本来ならシャルガフよりもこの家には詳しいはずの彼も、やはり昨夜の事件が尾を引いていたのだろう。
「言われてやっとそのことに気づきまして、衛兵さんと食堂に戻り──そのときエイブリーは朝食の下ごしらえをしていたのですが──彼を連れてハーシーの部屋へ向かいました。そして、扉を破って──」
言葉が止められる。チェイスの表情に変化はない。冷静だとはいえなくとも、動転しているわけではなく。
おそらくは屍体を想起したはずだけれど、それ故顔が蒼白になるようなことはなかった。
「扉を破った──のはシャルガフで間違いないよな?」
「はい。あの三人の中で最も力があるのは、衛兵である彼だったでしょうから」
「で、破ってからはどうした?」
「扉が開け放たれた時点でハーシーが倒れているのはわかりました。ですから衛兵さんに手で制されて、部屋には入りませんでした。そうして今、探偵さんたちをお呼びしているわけです」
「じゃあ──何か気づいたことはないか? 屍体を見て、だけじゃなく、今朝起きてから」
チェイスは視線をあらぬ方向へと向ける。わずかな間を置いて彼は口を開いて、
「これは気づいたことではなく確認なのですが。……ハーシーは、殺されたのですか?」
「おそらく」
「どうしてそう判断できるのでしょう。現場は、──『密室』だったのですよね?」
馴染みのない言葉の手触りを確かめるかのような慎重さで放たれた問いに、スバルは答える。
「確かにそうだけど、現場が密室だったと偽装するなんてのは王道中の王道だぜ? それに、凶器の問題もあるしな」
「凶器、というと……背中、ですか」
「ああ。グリフィスと同じく、ナイフは背中に突き立てられていた。その中心近くに、ほぼ垂直に。普通の人間には、自分でそんなことはできないだろう? だから現場が密室だったのにも、なんらかのトリックがあると考えざるを得なくなる」
「……それは、そうなのでしょうが。しかしその、トリックというのは、どういうものなのですか?」
「それはわからない。わからないからこそ、こうして事情聴取をしているわけだよ」
「なる、ほど」
腑に落ちたのか、チェイスは頷いた。しかしながら、彼の疑問にも一理あるだろう。
殺人だと判断されたところで、あの部屋が密室だったということは変わらないのだから。
「さて、最後に改めてもう一度訊こうか──何か気づいたことはないか?」
「…………」
尋ねられて、チェイスは考え込む。何かを言いたげな様子でもあったけれど、ついにそれが口にされることはなく。
「……いえ、特にありませんね」
言って、彼は首を振った。
◆◆◆
エイブリーは、昨日とさほど変わらない様子で自室にただずんでいた。とはいえ、かつても今も、身近な人間を亡くしたばかりだということに変わりはない。
その点から、いつもと変わらない様子だと言うことはできないだろう。
「早速だが、今朝の様子を訊かせてくれ」
切り出されて、彼はこちらへと向けた視線を強くした。
「……そう言われたところで、俺は屍体を見つけたわけじゃないしな」
「なら訊くけど、昨夜の日付が変わる頃何をしていたんだ?」
「そりゃあ、寝ていたに決まってるだろう。遅くまで起きていてもすることがないからな」
「あー、やっぱりそうか……。だったら、寝るまでにはどうしていたんだ?」
経過を異にしていながらも、終着した疑問はチェイスに対するそれと同様だ。そのことが、昨晩のこの家の閉塞的な状況を示しているようにも感じられる。
「寝る前、っていうと……夕飯ぐらいからか。なら話は簡単だよ。ハーシーの作った飯を食って、ハーシーとチェイスの後で風呂に入って、雑用とか雑務をしてから寝た。それだけだ」
「それぞれの時間を詳しく教えてくれ」
「夕飯が、地の刻に切り替わった頃。それからしばらくしてハーシーが入浴した。入ったのがだいたい、地の刻をみっつに分けた場合のひとつめが終わったくらいか。続いてチェイス、それから俺が風呂に入った。それが、地の刻をみっつに分けるとふたつめくらいだっただろうさ」
「で、床に就くついたのがそれから一時間ほど経った頃か」
「……まあ、そうじゃないか?」
首を傾げつつも、エイブリーは肯定を示した。スバルがときどき使用するよくわからない単語にも、だいぶ慣れてきたようである。
「じゃ、これはチェイスにも訊いたことだけれど、寝ている間に物音を耳にしたことはなかったか?」
「いや、別に」
「そうか。布団に入ってから入眠まではすぐだったのか?」
「ああ。わりと寝つきは良いほうなんだ」
「ふむ。で、目を覚ましたのはいつ頃なんだ?」
「あーっと……。少なくとも火の刻になってはいなかったな。だいぶ緑が濃くなっていたけど」
魔刻結晶が示す時間は曖昧なので正確にどういう時系列なのかはわからないけれど、チェイスがエイブリーよりも遅く起床したのは確かだろう。とはいえ、ふたりが起きた時刻にどれほどの差があったのかは不明だった。
「それで、せっかく早く起きられたからってことで朝食を作り始めたのさ。たいしたものではなかったけどな。食堂にいたのは衛兵さんだけだったんだが、料理の途中でチェイスが起きてきた。で、料理中の俺を見て『もう朝食ですか。それならハーシーも起こしてきましょう』、とな」
「それにシャルガフがついていったんだよな」
「ああ。警備だかなんかだとはいえ、流石に退屈していたんだろう。で、少ししてから慌てた様子でふたりが戻ってきた。ハーシーが起きてこないってのは、昨日あんなことがあったばかりだからおかしくはない。でも扉を開けられないっていうのは異常だ」
そのために彼らは彼女の部屋へと向かい、扉を蹴破って。
「そこからは、おそらく知ってのとおりだよ」
「なるほどな」
さて、と区切るようにスバルは呟く。
「なにか言い忘れたことはあるか?」
「ひとつあるな。気づいていただろうが、現場にあったはずの皿について」
「ああ、そう、それについて訊くのを忘れていたよ」
「あれは、入浴後のハーシーの部屋へと持っていったものだ。食後の果物ってやつだな」
「なるほど。ちなみにその種類は?」
「リンガ」
「リンガ?」
素っ頓狂な声をあげると、思い直したかのようにスバルは幾度と頷く。
「ああ、リンガ、リンガね。うん、わかった。それで?」
「皿ごと持っていって、その場で剥いて、それだけだ。皿を戻すのは翌朝で構わないと、そう、思っていたんだが……」
わずかに後悔を滲ませたエイブリーの口調には触れることなく、さきほどの動転を振り払うようにスバルは、口を開いた。
「まあ、これで事情聴取は今のところおしまいだ。しばらくは、休むなり朝食をとるなりしてのんびりしていてくれ」
「おしまい、って──今の話だけでもう何かわかったのか?」
「そんなわけないだろうが。ただ、訊いておくべきことはだいたい訊けたからな。次は確かめる番だよ」
「確かめるったって、何をだ?」
「今朝の屍体のこともあるけど。でも、その前にひとつ確認しておきたくてさ」
いったん言葉を切ると、振り返って背後のシャルガフと目を合わせ、
「グリフィスの遺体は、本人の部屋にあるんだよな?」
いまだに訪れていない場所のことを、スバルは話題にした。
◆◆◆
当たり前といえば当たり前のことだけれど、屍体の背中から氷柱は抜かれていた。グリフィスの屍体は、仰向けに、寝台に横たえられている。胴は布団に覆われて、顔には布がかけられて。
「まあ、確認したいことなんてそれほど多くはないけどな」
そんな屍体にスバルは、首から脚へと下りるように触れていく。ハーシーに対する行動と同じそれは、おそらく死亡推定時刻を診るためなのだろう。
「犯行場所が場所だからな──凶器が特殊だとはいえ、実は殺害がそれ以前だったりはしない。もちろん目撃証言もあるというか、あの三人が一緒だったわけだから、可能性はもともとなかったけど、念のためだな」
言いながらも、屍体を起き上がらせて傷痕を露わにする。
「凶器が氷柱なのも、ほぼ確実。見る限りでは、一度ナイフを刺してから改めて氷柱で刺された、ってこともないようだ」
再び屍体を横たえると、スバルは部屋にあった魔刻結晶を見上げた。赤色がだいぶ濃くなっている。
「まだ一時間とちょっとしか経っていないから、あと少し時間を潰す必要があるかな」
「それって、衛兵さんに頼んでいたことのこと?」
「ああ」
返答はしているけれど、彼の目は屍体にいまだ向けられている。
「さて、じゃあとりあえず、昨日の事件を振り返ってみようか」
その視線をエミリアとシャルガフに向けて、彼は言った。
「といっても、たいして振り返るほどのことがない、っていうのが実情なんだよな。まず、殺害されたのはグリフィスという男性だ」
「振り返るというのは、そんなところからなのですか?」
「前提条件を明確化しておかないと足を掬われるかもしれないからな。流石に屍体入れ替えの線はないだろうけど、一応だ。で、次に死因は刺殺。正確には失血死とか出血性ショック死とかいろいろな言い方があるわけだけど、そこまで気をつける必要はないだろう」
「そして、凶器はあの氷柱なのよね」
「たぶんな。ところで、その氷柱はどこに行ったんだ?」
「溶けるといけないので、詰め所のほうで冷やしてありますが、必要でしょうか?」
「否」
スバルは首を振る。その動作には一切の迷いもない。
「少なくとも、今は必要ない。普通に冷やして凍らせた氷柱と、魔術で生み出した氷柱の差異を見破れるっていうのなら話は別だけど──」
「私が見たことあるのは魔術によるものだけしかないわね」
「──ってことだから、意味がないよ」
「傷口の照合などは行わなくともよいのでしょうか」
「ああ。傷痕はひとつしかないように思える──たとえばナイフと氷柱では、その刺さり方に違いがあるはずだ。そして発見時の屍体に刺さっていたのが氷柱なのは、誰もが見ている。さらにそれを抜いてもいるんだから、なおさらだな」
「それもそうですね……」
「氷柱についての論証はこんなものでいいだろう、と言いたいところだけど。俺は、あの氷柱は魔術によるものと見て間違いないと思っている」
理由は後述しようと、言い切った後から言い足して、
「お次は動機面。これは全くもって不明瞭だ。第一に故人の関係者が少なく、第二に、彼らが故人に持っていたのは好印象ばかりだったためだな。人は見かけによらない、とは言うけど、そもそも人情なんてものは論理的じゃないのが常だから、これは置いておこう」
「でも、あのロムっていうお爺さんは犯人じゃないわよね?」
「それはもちろんだ。あの巨体は目立ちすぎる」
確かに、スバルはロム爺の行動を訊いてすらいなかった。
「で、容疑者はあのとき商い通りはいた人物。絞るための要素は全然、さっぱりだ。ゆいいつ、犯人は魔術師──それも火属性の──だろうっていう可能性が高いけど、あの場にいた人物では、技量が足りないか、犯人ではあり得ない。……他に何かあるか?」
尋ねられて、シャルガフとエミリアは同時に首を振る。
「なら、グリフィス殺害についてはこれでいいだろう。さて、次はハーシーの事件だけど──」
言葉を切って、再度スバルが魔刻結晶を見上げる。その直後、扉が叩かれた。
「あ、入って構わな──」
彼の返答を遮るように、扉が開け放たれる。そして、入室したその人物は──
「全く──バルスのくせしてラムに命令するだなんて、何様のつもりなのかしらね」
「…………」
──ラムは、手に提げた袋の重みを確かめるかのように腕をぶらぶらとさせつつも、不遜にそう言い放ったのだった。