序幕1『モノローグ/プロローグ』
改めて注意を。
この小説は鼠色猫/長月達平氏の作品『Re:ゼロから始める異世界生活』の二次創作です。氏の許諾は得ています。同作の三章までのネタバレを含みますので、未読の方はご注意ください。
また、軽度の原作無視やオリキャラ等の要素を含みます。それらが苦手な方も、ご注意するようお願いします。
──菜月昴という探偵を物語るうえで枢要となるのは、ただひとつのエピソードだといっていい。
彼がどういうできごとを経て探偵を志したのか。いってしまえばそれだけが、どのようにして菜月昴という探偵が形成されていったのかを話すうえで肝心なところだからだ。
しかし、そのことだけを語るというのはあまりにも味気ないだろう。それだけであればさほどの時間は必要にならない。そして、この事件のことを理解するために知っておくべきできごとはもうひとつある。
それを踏まえて、最初から話をしていくことにしよう。
星の名をもって昴と名づけられた子供は、埼玉県のあるところに暮らしていた菜月家において生を受けた。
ごく普通の男子として、すくすくと彼は育っていく。並外れた才能を発揮するわけではなく、かといって落ちこぼれるわけでもなく。平均を多少上回る程度の少年に、彼は成長していった。
転機が訪れるのは、そんなある日のことである。
否。
正確にはそれは、あくまでも決定的だというだけのできごとだったかもしれない。
彼の人生を決定づけることになったのは、ふたつの事象だった。
ひとつは出生。すなわち、彼の父親である菜月賢一が探偵と呼ばれる職に就いていたこと──それも、名探偵といえる部類のそれであったということ。
もうひとつが、転機と呼ばれうるできごとだったのだ。
その日。菜月家の親子はあるところへとやってきていた。家族団欒の延長線上としての、それはお出かけである。当然、その場所を訪れた理由は大きなものではない。近かったから、という程度の理由でやってきたそこで、殺人は起きた。
ありふれた密室。やけに疑わしい関係者たち。保たれない平静。典型的な状況下で自然と彼らの秩序は崩壊し、見苦しい罵りあいと罪の押しつけあいの末に、ひとりの女性が生贄となる。
そんな状況に遭遇したのが菜月一家だった、というわけだ。
傍から、部外者から──つまり昴から見ても、その殺人は不可解で、解決の糸口は見当たらなかった。その女性が無罪であっても証拠がなければ説得できず、関係者たちは冷静さを欠いている。
八方塞がりのようなそのときに、昴の父である菜月賢一は名乗り出て、
そして。
『──さて』
彼はあっさりと、事件を解決した。
鮮やかに。流麗に。的確に。颯爽と。素早く。ロジカルに。快刀が乱れた麻を断つように。等々、等々──形容する言葉は数あれど。
その推理が。その活躍が。その『探偵』が。
彼の──菜月昴の幼い心を大きく揺り動かしたというのは、確実なことだった。
そうして彼の運命は動き出すことになる。
出生と、経験。それらふたつの要因により、菜月昴には夢が生まれた。
探偵になる、という夢が。
本来なら叶わなかったであろうそれは、なんの因果か実現していった。
彼の父の、探偵としての経験に基づく助言の影響もあるだろう。彼自身もその夢にまっすぐ向かっていた、ということもあるだろう。
日々探偵術を学び、観察眼を鍛え、着眼点を増やした。運動を重ね、武術を習い、身体を強化した。推理小説を読みふけり、先人の知恵と奸計を知った。努力を怠らず、先を見据えて、彼は前進していったのだ。
菜月賢一の人脈も大きかった。学校がない時間帯に起きた事件であれば、無理を言ってでも息子を連れていく。そういった彼の姿勢により、昴は着々と素地を伸ばしていった。
そして数年後。中学三年にして受験真っ只中の菜月昴を、またもや転機が訪れる。ある事件の現場で些細な違和感を覚えた昴は、そこから推理を組み上げた──父よりも先に。見事に彼は事件を解決し、世間には賢一の新たな活躍として知らされはしたけれど、刑事たちの間では一目置かれることとなる。
探偵としての、それは一歩だった。
幸いなことに、と称するべきことなのか、昴には運があった。探偵として名を知られるようになるにつれ、事件に遭遇することが増えたのだ。
名探偵という存在が死を招くのか、死に名探偵が惹かれるのか。どちらが定かだとはいえず、仮に前者であればそれは良くないことだが、どうやら昴も、その宿命を背負っていたらしい。
受験を無事終え、探偵としての活動も増えていき。「高校生探偵、菜月昴」の名は、次第に広まっていく。お世辞にも学業成績が優秀であるとはいえなかったものの、彼の生活は充実していた。
そんな、ある日のこと──
ナツキ・スバルは、挫折を経験することになる。
◆◆◆
──これは本当に困ったことになったわね。
通りの真ん中で途方に暮れながら、少女の思考はそんな言葉で満たされていた。
腰まで流れるまとめられた銀髪、華美とはいえない服装。華奢な体格と美貌を備えた彼女は、今現在迷子である。
居候先の邸宅を出て、竜車に乗ってこの地へ到着し、宿をとったのが昨日のこと。そして今日、桃髪の家政婦とともに街へと繰り出した彼女は、早速その娘とはぐれてしまったのだが──、
それは、もはやさしたる問題ではない。
重要なのは。
と、少女は視線を右に向ける。そこには群衆。男性も女性も、少年も少女も、子どもも老人も、混在してごった返している。
続いて視線を反対へ投げる。そこにも、群衆。ただのヒトだけではなく獣人も。獣耳も尻尾も、鱗も角も、異様な長身も短躯も、溢れかえっている。
これだけ多くの人が集まっている、という事実と。そして──前方。
そこには、
堂々たる体躯と、
鮮烈なる黒髪と、
鍛えられた腕と、
傷の残った脚と、
質素である服と。
そして。
力を失って、投げ出された脚。
同じように、土に触れた片腕。
地に伏せて、背を反らした体。
反対の手はなにかを求めるかのように突き出され、
頭はなにかから逃れるかのように少し上げられて。
少女のほうにその顔を向け、正反対に腕を伸ばさんとする、その男の──
その背中は血に濡れていて、
その中心にはそれが在って、
血はそれをも濡らしていて、
血濡れたそれは太陽の下で、
光を照り返し、輝いている。
要するに、その男は死んでいた。
その背に凶器を突き立てられて。
よって、
──これは本当に困ったことになったわね。
と。
その名をエミリアという銀髪の少女の思考は、その言葉で満たされているのだった。