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こころ豊かに

作者: 瀬川潮

「毛布が手に入りましたよ。どうぞ使ってください」

 日の暮れかけた広い公園の隅で、一人の年配女性が明るく言って畳んだ毛布を差し出した。秋はすでに深みを極め、渡る風には初冬の気配があった。

「いつもすいません」

 風よけの段ボールを立て掛けた居住の隅から顔を出した男がほほ笑んだ。身にまとった襤褸が風になびく。

「このお寒い時代に、あなたがたボランティアの温かさが本当に心に染みます」

 何度も頭を下げ礼を言ってから、男は毛布を受け取った。顔も手も薄汚れていたが、面差しはまじめで実直そうな輝きがあった。しわが深いのは汚れからなのか年齢からなのか。その女性には判断ができなかった。

 女性は、地域に点在するホームレスのため、寒さをしのぐ服や毛布を配るボランティアをしていた。無論、配布する衣類などは市民広くからの善意を募っている。時に、彼女らの活動はホームレスのためにかえって良くないのではないかなどという声にもさらされるが、ホームレスたちが好きで公園や駅などに住んでいるわけではないこと、同じ人間として少なくとも凍える寒さを耐え忍んでいる姿を放っておけないことから、誇りを持って活動を続けている。実際、この公園でホームレスの老人が寒さに耐えかね亡くなった場面も目の当たりにしている。識者によると、この寒さに老人は耐えられないという。

 誠意を持って彼らを支えるうちに、中には社会復帰や家庭に戻るなどするケースもあった。無論、彼女が活動しているのは彼らを諭すためではなく、ただ単純に「事情は知りませんが、この寒さは辛いでしょう。頑張ってください」と励ますため、彼らに笑顔を取り戻してほしいという思いからだ。

 したがって、彼女は彼らに過去や事情を聞くことはしない。

 それでも、何度か声を重ねるうち聞いてもしないのに口を開く人もいる。

 先ほど毛布を手渡した男もその一人だった。

「今はこんなだけど、昔は大きな屋敷に住んでたんですよ」

 自慢をするなどという嫌味な響きもなく、むしろ悲しそうに男は言う。

「まじめにまじめに働いて、その結果、屋敷はなくなって。そして時代ですかねぇ。次に私が住めるところもなく……」

 いつも、ここで声を詰まらせる。その度に彼女は、「ご苦労されたのでしょうねぇ」とうなずいて慰めた。時代は、不景気にあえいでいる。かつて名を成した大企業の会長や資産家ですら、突然没落してしまう時代だ。

「わたしなんかもね、やっぱり辛いこともあるけれど、前向きにやってますよ。困っている人がいることを伝えれば、善意で毛布を持ち寄ってくださる人がいる。ありがたいことです。やっぱり、人ってのは温かいものです。世の中の人は、みんな家族みたいなものですよ。人ってやっぱり、それくらい温かいんですよ。だからあなたも、どうぞ前向きになって。辛くてもね、心を豊かに持って考え方をちょっと変えてみれば、また歩き出せますよ」

 女性は、心の底から感情を込めて言う。彼女自身もかつては資産家の夫とともに大きな屋敷に住んでいたが、突然没落した。主人が事業にことごとく失敗し、そればかりか悪質な不正が発覚し資産を没収されたのだ。彼女は、別人のように顔がしわがれ精神的にも衰弱し記憶も定かでなくなった主人と別れ、今では生活補助を受けながら市営住宅でひっそりと暮らしている。同じような境遇にあったらしいこのホームレス男性が、まったくの他人という気がしない。いや、むしろ同じ屋根の下で暮らしていたかのような懐かしささえ覚えていたのだ。

「……そうですねぇ。こうして今まで良くしてもらってるうち、自分もまたまじめにまじめに働けるような気がしました」

 女性は、男が今まで見せたことがないほど晴れやかに破顔したことがとてもうれしかった。つられて、笑顔が生まれる。とても赤の他人とは感じられない。一つ屋根の下にともに暮らす家族のように思え、とても心が豊かになったような気がした。


 後日、女性が男をたずねると、男は変わらず晴れやかな笑顔でいた。

「おかげさまで、あれからまじめにまじめに働いてますよ。……あなたのおっしゃる通り、人間ってのはみんなが家族なんですよ。世の中は一つの家なんですよね。素晴らしいことです」

 ホームレス生活は続いていたようで身なりは襤褸をまとったままだったが、全身から充実感がみなぎっていた。

「そうですか。それは良かった」

 女性の表情は若干さえなかった。突然の物価高や消費税の増税、国の地方への財源委譲にからむ市民負担の増加などにより、彼女も以前より困窮していたのだ。それでも、男の笑顔につられて明るさが戻る。彼女は、ボランティアに取り組んで本当に良かったとしみじみ感じ、心が豊かになった幸せを喜んだ。

「毎日バリバリ、以前大きな家に住んでいた時のようにまじめにまじめに働いてますよ。何せ、今度は世界全体が大きな大きな家ですからね」

 男は晴れ晴れと繰り返している。

 世の中は突然貧乏神に憑かれたかのごとく、さらなる不景気を極めどん底の低迷にあえいでいた。



   おしまい

ふらっと、瀬川です。


自ブログに発表済みの旧作品です。

リアル働くと負けな方の物語をお楽しみください。

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― 新着の感想 ―
[良い点] うたかたの 富の偏り 卑しけれ  喘ぐ民こそ 心ゆたかに じんときますね。
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