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バキッ。
背後の壁が、メキメキと異様な音を立てる。
何事かと少年が振り向いた時にはもう遅かった。
喉元に押し付けられた、銀の切っ先。月の光で鈍く光るそれは、刃。
人を殺す為の道具。
「さよなら」
それを口にしたのは、朱に光る化け物。無音のそこに凛としたその声はよく響いた。
死ぬのか。
そう思った少年は、自分を殺す相手をまっすぐ見据える。
闇の中浮かび上がる赤いそれは、風に靡き空を舞う。
その光ばかりが目について、直ぐには気づかなかった事が一つ。
火の玉のように浮かんだそれが、どのようにして刃を少年に向けて居るのだろう。どのようにして声を発したのだろう。
どうせここで死ぬのだ。
真実ぐらい教えてくれても、構わないのではなかろうか。
だからじっと、それを見つめた。
丸みを帯びた光を放つそれは、人の頭ぐらいの大きさで、人を丸呑みできるようには到底思えない。
それ以前に、丸呑みできたなら刃を向ける必要がないはずだ。
事実は噂とは異なるらしい。
「"タスケテ"とか、言わないのね」
化け物が口にしたそれに、少年は眉を顰める。今から殺す人間に、そんな事を何故問うのかと。
「君は……誰なんだい?」
まだこちらを殺すつもりはないと察した少年は、炎の魔物にそう問いかけた。
「私は、アイリッシュ。アイリッシュ・ヴェルトレア。今日はあなたを殺しにきたの」
アイリッシュ・ヴェルトレア。
それが炎の魔物の正体だった。
燃え盛るような光の中に、切れ長の大きな瞳。目を凝らせばその下は黒い布で覆われていることが分かる。そう、炎の魔物は紛れもなく人間だ。
焔色に光る髪を持った、少女だったのだ。