【4】
翌朝、私は大役を無事に終え、帰り支度をしている。
着替えを済ませ、リュックを背負う。
約1ヶ月振りに着る服は、元の世界のもの。
タンクトップにパーカーを羽織り、ショートパンツにスニーカー。
「ささっと、帰るぞう!」
おーっ!
と、気合いを入る。
そこへ、ノックと共にいつにも増して不機嫌な大神官イシュタルが入って来た。
私も20歳の大人だ。成人だ。
最後ぐらいは、ちゃんと挨拶ぐらい出来る。
「今まで、大変お世話になりました。色々ご迷惑をお掛けしましたが、今日という日を迎える事が出来たのも猊下のお心遣いに感謝してます」
「――シオリ」
え?
今“シオリ”って…!?
「げ、猊下!今、私の事“シオリ”って…!?」
「少しだけだが、練習してみた。発音は合っているはずだ」
はい、間違いなく、合ってますよ。
異世界では“オ”という発音は難しく“フォ”と発音してしまう。
なので“シフォリ”となり、発音し辛いと言うので、いつの間にか“シーリィ”となった。
別に名前なんて、どうでも良くって、どうせ数ヶ月ほどしか居ない人の名なんて――そう言えば、そんな名前の人居たっけ?と、なるだろうと思っていたから「呼び易いように、お好きにどうぞ」って答えたっけ。
「あ、あの、猊下?」
結局、よく分からん、この男だけは。
私の名前を練習して、どうなるって言うのよ。
「私の事は、イシュタルと呼ぶように」
「……イシュタル、様?」
「“様”は、要らない」
ひーっ!!
呼び捨てOKって、言われても、じゃあ、今からそう呼ぶねー!って、そういう間柄じゃないでしょう!!
でも、最後なんだから、ここは相手の言う通りにした方が、いいに決まっている。
変に怒らせて、帰さない!!なんて意地の悪い事を言われたら、堪ったもんじゃない!!
「あの、イシュタル?私、そろそろ、聖女の間へ行って、送還の儀式をお願いしたいのですが…」
「その前に、シオリに話がある」
ええっ!!
最悪!!
最後の最後で嫌味のオンパレードかよ!!
折角、少しでもいい気分で帰りたいなって思っていたのに…。
まぁ、1ヶ月とちょっとしか居なかったから、さして思い出も何も、これっと言って無いけど。
サンドバッグになりましょう。
きっと、大神官様も私と同じ様に、ストレス三昧だったはず。
覚悟を決め、背筋を伸ばし「お、お話、お聞きします」と、答えた。
「………」
「………」
「………」
「…えーっと、イシュタル?」
「シオリは、」
「…はい」
「元の世界に帰さない」
「……は?」
「シオリは、私の妻として迎える事にした」
「な、な、な、――ひぃーーーー!!!!」
何?何を言ってんの!!この人!!
頭を、どこかにぶつけたんじゃない!!
どこをどうしたら、そんな展開になるのよ!!
何を勝手に“妻として”なんて!!
しかも“迎える事にした”って“した”って、過去形じゃない!!
「ふ、ふざけるなーーーっ!!!!」
敵前逃亡!!
違う!!この場合は、逃げるが勝ちだ!!
久し振りのスニーカーで、思うように、走れる、走れる。
部屋を飛び出して、私は聖女の間へと駆ける。
「カイル!!」
「あ、シーリィ様」
「カイル!付いて来なさい!!」
「えっ!!シーリィ様!?」
こっちに向って廊下を歩いていたカイルを捕まえ、手を引張って、走り続ける。
「カイルって、送還魔法、出来るよね?」
「はい。出来ます、けど…」
私の慌てっぷりに、何か有ったのかと不思議そうに見詰めるくるカイル。
今は説明とか出来る状態じゃないの!!
昨日、次期国王を決めた聖女の間に入り込む。
「兎に角、ささっと、始めちゃって!!」
「え?でも、大神官様が――」
「いいの!!イシュタルとは、ちゃんと挨拶も済ませたから!!」
「ええっ!!そうなんですか?シーリィ様、お断りになったんですか?」
えーい、お断りとか、そういうのどうでもいい!!
早く、ヤツが来る前に、私を元の世界に戻せーーっ!!!!
「…ど、どういう事?」
ゆっくりと目を開けると思い描いた世界と違う。
期待外れもいい所だ。
奇妙な紋様が床一面に浮かんでいるだけで、何も変化が無い。
「ま、まさか、失敗!?」
カイルが「シーリィ様…」と情けない声を出す。
私は石床をカツカツと大きく靴音を立てて、すっかり血の気を失った男の胸倉を掴む。
「このへっぽこが!!どうしてくれるのよ!!」
カイルは涙目になって、首を横にブンブンを振るだけ。
「他に、送還の術、使える人って居ないんでしょう!!」
「シ…リ、様、く、苦しい、で…す」
「どうするのよ!!失敗なんて!!有り得ない!!」
「私に、も、ちっとも、分から…、」
はーっと、大きな溜め息吐き、カイルから手を離すと身体から力が抜ける。
「カイル」
「はい…、シーリィ様」
「聖女送還の儀式は、成功した」
「は?」
「何度も言わせないで!深谷史織は、無事に元の世界に戻った」
「あの…!?」
「イシュタルには、そう言いなさい!!」
幸い、此処には私とカイルしか居ない。
「私は姿を隠すから。出来るだけ早く原因を突き止めて、私を元の世界に返すのよ!!」
私は、リュックをギュッと抱き締めて、神殿内にある聖女の間から姿を消した。